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beachmollusc ひむかのハマグリ


海辺の浅瀬は水産動物のこども達のゆりかごです
by beachmollusc
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海辺の自然を取り戻そう
 自然の恵みを後世に残すためには、その生態と環境を深く、よく知ることが基本です。

 海岸の浅瀬、干潟や砂浜は資源生物のゆりかごです。
しかし、それにおかまいなしに埋立てや海岸構造物の建設、水質汚染も加わって、日本中の水辺、海辺の環境は撹乱され、破壊されてしまいました。その結果、ハマグリなど干潟の動植物の多くが絶滅危惧種となっています。

 このブログでは、主に砂浜環境の保全を念頭において、日本各地の山、川、海の姿を調べて見てまわったこと、
そして2006年5月に移住した日向市の海辺と里山の様子や生き物などを紹介します。

このブログにリンクを張ることはご自由にどうぞ。

    - 自己紹介 -

大学院博士課程修了後7年間の海外での研究と28年余り大学教員をしていました。

海の無脊椎動物(貝、ヒトデ、サンゴ、クラゲなど)が専門、自称の学位は Doctor of
Underwater Marine Biology
(DUMB:バカセ)

楽観的な悲観論者または悲観的な楽観論者:生態的に無理をしている人類の滅亡は近いだろうが、それも自然の摂理じゃないのかな

せっかちな慎重派:ゆっくり
見極めて急いで集中的に
お仕事します

好きなもの:日本蕎麦が一番、パスタ・スパゲッティ、うどんもよし、つまりメンクイです

嫌いなもの:人混み、投棄ゴミ、マスゴミ、脳衰官僚

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高森山のミカン園でミカン狩り

20日は天気が持ち直した午後になってから尾鈴山方面に行ってみようかと思い立ち、尾鈴サンロードを走っていました。この広域農道のループ公園を過ぎて、谷にかかる橋のすぐ前に左折する枝道があり、そこにミカン狩りの案内の看板を見つけました。
高森山のミカン園でミカン狩り_e0094349_9181961.jpg

ミカンのストックが切れていたので、その補給をかねて、このミカン園のある高森山(341.8m)に初登山というわけです。以前、鳥インフルエンザ騒ぎの頃、この辺の林道をさまよっていた時に、道路まで消毒されて真っ白けの鶏舎をいくつも見たことがありました。

ミカン園は広域農道沿線に多数ありますが、ミカン狩りを呼びかけているのは、この場所以外では見たことがありません。日向市の中心部から車で15分くらいの距離で、手ごろな高度の見晴らしの良い山があり、そこにしっかりした舗装道路があって山頂まで登れることは知りませんでした。山頂のすぐ下にミカン園があって、日向市と小倉ヶ浜方面を見渡すことが出来ます。

ミカン園では、経営者の黒木さんが携帯電話での呼び出しにすぐ応じてくれました。
高森山のミカン園でミカン狩り_e0094349_9201386.jpg

今月一杯ミカン狩りが出来るそうです。ミカンの木々にはメジロが飛び交っていました。
日向市を一望の下に見渡せる場所となっていて、夜景がとても綺麗だろうと思われます。
高森山のミカン園でミカン狩り_e0094349_9203728.jpg

このようなすばらしい場所が市内のすぐ近くにあったことを知らなかったのは不覚でした。日向市の市民の間でもあまり知られていないようです。(観光案内などで見たことがありません)

ミカン園のすぐ近くの高台に石碑があったので、何だろうと見てみたら、道路と農地開拓事業の詳細が記述されています。
高森山のミカン園でミカン狩り_e0094349_925476.jpg
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(上はクリックすれば画像が大きくなって読みやすくなります)

国営パイロット事業とやらの一環であったようですが、サルナシの多い乙羽山と同様に、山頂まで舗装された農道が張り巡らされています。農地開拓事業の途中で養蚕が消え、ミカン栽培も厳しくなったと思われます。

しかし、その後、柑橘類は様々な品種が作出され、輸入オレンジと対抗しています。ここのミカン園でも、温州ミカンから新品種の清見オレンジ(温州みかんとトロビタオレンジを交配させた新しいオレンジ)に作付けを変えるそうです。熟す時期をずらせながら、多品種(ポンカンやデコポンなど)で観光農園経営をする戦略だそうです。味が良いキヨミは春に熟します。

この記念碑のある見晴台から展望した小倉ヶ浜の北側の景観です。
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中央の赤岩川の河口とゴルフ場が見えます。
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さらに南側の吉野川の河口付近も見えました。
高森山のミカン園でミカン狩り_e0094349_938144.jpg

..............................................................................................................................
下に1970年の国会で行われたパイロット事業に関する質疑の記録を抜粋して引用する。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/063/0230/06311100230035a.html

第063回国会 農林水産委員会 第35号
昭和四十五年十一月十日(火曜日)


○瀬野委員 次に、宮崎県日向市を中心として一市二町村にまたがるところの美美津地区の国営パイロット事業について、農地局長にお尋ねをいたします。
 この国営パイロット事業は地域面積が千七百ヘクタールで、昭和四十二年から四十四年について開拓基本計画の調査が行なわれ、四十五年度全体実施設計が行なわれ、いよいよ四十六年度着工予定で、五十一年から五十二年度には完了予定であると聞いております。この開拓パイロットの開発構想といたしましては、ミカンが七百九十ヘクタール、養蚕八百三十ヘクタール、畜産八十ヘクタールとなっておりまして、参加農家戸数は九百七十一戸、総事業費が七十億円で事業実施の計画のようでございますが、この事業も営農指導など開発構想について、基本方針をまずお伺いをいたしたいのであります。
○岩本説明員 宮崎県の美美津地区のパイロット事業につきましては、ただいま先生の御質問にございまましたように千七百ヘクタールの農用地造成を計画しておりまして、その内訳としましてミカン園七百九十ヘクタール、桑八百三十ヘクタール、牧草八十ヘクタールの造成を計画いたしております。これら作目に関する生産団地の育成を行なうことによりまして、集団的な営農により、また機械の導入によりまして、高能率の営農を行なえるように計画を取り進めておる最中でございます。
○瀬野委員 ただいま答弁いただきましたが、この開発構想によりますと、いまも申されましたようにミカンが七百九十ヘクタール、養蚕八百三十ヘクタール、こういうことでございますが、ミカン、養蚕に重点が置かれておりまして、先ほども質問がございましたように近年ミカンの過剰生産、グレープフルーツの自由化等が懸念されまして、ミカンの生産農家は地元でも早くも心配をいたしておるところであります。 また、過日私から農林大臣に質問した海のバイパスといわれる日本カーフェリーが来年三月一日から就航することになっておりまして、これによって宮崎県では新しい産地の形成策として大型畑作の団地づくり、計画的な農産物の生産、出荷体制の整備等を行ない、食糧基地として意欲を燃やしておるのでありますが、この美美津地域の国営パイロット事業の全体開発構想の計画を若干修正、変更すべきじゃないか、かように思われるのであります。この点について従来計画した四十二年度からかなり経過をいたしておりまして、米の生産調整等の問題も起きておりますゆえに、その点あわせまして御見解を承りたいのであります。
 したがって、質問の第一点は、ミカンの栽培計画が多いが、将来の価格面等で不安がないかということでございます。
 第二点は、カーフェリー就航によって野菜づくりを導入するなど若干の計画変更は考えられないか、この二点を質問申し上げるわけでございます。その見解をお伺いしたいのであります。
○岩本説明員 この地域は平均の傾斜度が二十五度という傾斜地でございます。そういう地形条件と気象の条件を考えますと、やはり計画の内容といたしましては、ミカンと桑に重点を置いたほうがよろしかろうと考えております。特にミカンにつきましては、価格面等で御不安があるということでございますが、この計画は農林省が公表いたしております果樹農業振興基本方針の示す方向に沿いまして濃密生産団地の形成を行ない、機械の導入によりまして生産性の向上をはかり、そうして計画的かつ効率的なミカンの集出荷体制の整備をはかる前提のもとに計画をされておるわけでございます。したがいまして、この開発によってかなり高能率なミカンの生産団地が育成されるはずでございますから、将来不安はないというふうに考えております。また、カーフェリーの就航によりまして、むしろミカンや桑から野菜に計画を変更してはどうかという御指摘でございますが、冒頭に申し上げましたように、この地帯は平均傾斜度二十五度という傾斜地帯でございますので、普通の畑作物は地形から見ましてむしろ不利ではないかと考えております。もちろん米の生産調整等と関連をしまして非常に大きな条件の変更もありますし、またカーフェリーの就航ということで地元の受益者の御希望等もございますれば計画変更について考え直すことに関し弾力的であることにやぶさかではございませんけれども、ただいま申し上げました理由によりまして、耕地の造成方法と省力的な営農方式の導入を考える限り必ずしも野菜作に転換しないでも不安がないというふうに考えております。いずれにしましても、現地の御希望等を十分に承りまして、今後不安のないような開発を進めてまいる所存でございます。
○瀬野委員 ぜひ今後検討いただきまして、不安のないような開発をしていただきますようによろしくお願いします。
 なお、この美美津地域の国営パイロット事業の千七百ヘクタールの中に林野関係の林地が三百十五ヘクタールございまして、この国有林野を払い下げて活用することが含まれておるわけであります。この約三百十五ヘクタールの国有林野は私の調査では五、六年生から十年生の幼齢造林地が約百五十ないし百六十ヘクタールございまして、すでに所属がえも終わっております。土地代と幼齢木の払い下げ代金が、地元では約五、六千万円もかかるのではないかと推定いたしておるようでありますが、林野庁当局は事前に支払うことをたてまえとして要求されておると聞いておりますけれども、地元ではこの五、六千万円の負担を一時に支払うということになりますと、たいへん地元負担が重く、苦境に立たされておるのでございます。この負担についてまた支払いについて、分割支払いまたは別途考慮はできないものか、この点林野庁長官にお伺いいたしたいのであります。
○松本説明員 国有林を農地局に所属がえをいたしまして売り渡す場合には防風林等を除く以外の幼齢木の場合、農地法上の所属がえの対象になっておりません。そのために年賦払いも認められておらない。現行制度の上ではそのような方法がいまないわけでございます。そこで、この事例の場合どうしたかということでございますが、補償額が約四千七百万円でございます。それを宮崎県が営農育成資金を創設いたしまして、その資金で受益者が営林署に対しまして即納をして、この問題は解決をいたしております。
 なお、国有林野活用法案、いま継続審議になっておりますが、その活用法案が成立する場合には、そういった場合に二十五年の延納が認められるというたてまえになるわけでございます。

...................................................................................................................................
1986年の国会で行われた意見陳述を抜粋して引用する。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0230/10403180230005a.html
第104回国会 農林水産委員会 第5号
昭和六十一年三月十八日(火曜日)


○黒木参考人 ただいま御紹介をいただきました黒木でございます。
 私は、現在宮崎県の美々津地区土地改良区の事務局長をいたしておる者でございます。今回の土地改良法の一部改正につきまして、現場において土地改良の実務に携わっておる者としての立場から御意見を申し上げる機会を与えていただきましたことは大変ありがたいことでありまして、深く感謝申し上げる次第でございます。
 まず、私の意見を申し上げます前に、美々津地区農用地開発事業の概況及び経過を申し上げたいと存じます。
 美々津地区は、宮崎県の中北部沿海地帯に位置する日向市、東郷町、都農町の一市二町から成る地区面積一千百六十五ヘクタールで、背後地は尾鈴山系の畑倉山等、標高八百メートル前後の連山より成りまして、東面は日向灘に面した緩傾斜地帯でございます。耳川を挟みまして南北に二十キロにわたる標高五十メーターから四百七十メーターの地域でありまして、地層の形成は第三紀層に属し、海岸寄りの平坦地は第四紀沖積層となっております。黒潮暖流の影響で暖かくて、年平均気温は十六度から十七度と高温で、降雨量も年間二千二百ミリから二千四百ミリと多いわけでございます。また、地区が谷間を挟んだ起伏の多い地形なので、局地的にはかなり変化に富んだ気象条件となっております。
 交通事情を申し上げますと、短距離輸送につきましては、南北に国道十号線が走り、宮崎市へ一時間四十分、北九州市へは約六時間。長距離輸送につきましては、日向市細島港より川崎、大阪、神戸間に日本カーフェリーが就航して比較的便利でありますけれども、農家経営の安定、近代化のためには輸送時間の短縮を図ることが必要な地域でございます。
 この地域の農業は、山間、谷間に開けた水田を主体に行われておりましたが、地形的条件から零細農業地区でありました。また、この地区の中央を水量豊かな耳川が流れていながら、畑地帯は全く利用できる水もなく、不安定であったために、農外所得に依存を余儀なくされている地域であります。
 このような状態を打開すべく美々津地区の事業計画の構想が出されまして、土地改良長期計画の調査に基づき、かつ一方では宮崎県の新産業都市計画に対応して背後地域における農業開発、つまり県政の方針であるところの農工併進の行政の方向を当地域に具体化すべく、昭和四十二年七月に大規模開拓パイロット事業の開拓基本計画が採択され、調査計画が行われ、昭和四十五年七月に基本計画の決定がなされたものであり、地区面積は当時一千九百六十六ヘクタール、うち国有林の活用面積が二百九十六ヘクタールあります。これを対象に一千六百ヘクタールの農地造成、参加農家八百二十六戸の全体計画を完了して本格的に農地開発に取り組むことになりまして、昭和四十六年度から昭和五十三年度の八カ年計画で、総事業費七十五億五千万円の国営農地開発事業として着工され、農家の経営規模を拡大し、機械化営農に対する道路網、畑地かんがい施設等を施行し、営農作物としてわせ温州ミカン、桑園、牧草を選定、導入することによりまして地域の農業構造改善を図り、農家経営の安定と所得の向上を図るというものでありましたが、厳しい農業情勢の変化、中でも温州ミカンの新規植栽抑制措置とか価格の低迷、農業従事者の老齢化等による参加農家の農業生産に対する意欲の減退及び地形による開墾不適地等によりまして、造成面積が大幅な減少を余儀なくされたものであります。

 この事業実施につきましては、一般会計予算では予算の伸びが悪く事業完成までには長年月を要し、計画年次どおり完成しないので、昭和五十一年度に参加農家の同意を得まして、特定土地改良事業として特別会計に切りかえ、移行し、事業の
早期完了を図ることといたしたものであります。
 この時点で一番問題となりましたことは、財政投融資資金の建設利息が問題となり、県、市町で種々協議がなされまして、道路事業費の負担は市町負担とすることになり、また利息分についてはなるべく農家負担を軽くするとの話し合いがなされたものであります。
 また、参加農家は未墾地取得資金とか植栽資金、経営資金等の借り入れの返済、さらには昭和五十六年二月末の当地区の異常寒波の被害によりましてミカンの枯死等による収益城、価格の低迷が重なり、畑地かんがい施設、それに伴う維持管理費の負担等で極めて困難な状態になったので、このような実情から参加農家のかんがい施設工事の除外の陳情、請願等が出されました。県、市町の行政当局としては、水施設の必要性を受益農家に対して啓蒙されたのでありますけれども、農家といたしましては農産物価格の低迷、維持管理費の増大等、農家経営の不安定等で水計画は断念せざるを得なくなったのであります。経営状態が安定したるときは、県営とか団体営等の他事業による水施設を導入することとして、国営事業による水計画を除外することといたして、受益農家の計画変更の同意を得たものであります。
 土地改良区の設立につきましては、美々津地区の事業内容が国営事業一本やりで、県営、団体営等の末端事業もなく、本来なら事業認可申請時点で土地改良区を設立することが常道であると思いますが、この地区の事業推進は一市二町の行政主導の促進協議会で進められたものであります。昭和五十四年度より、計画変更の説明会と一緒に、土地改良区の設立も並行して進められて設立が図られたものであります。
 この地区、団地の説明会で、計画変更の水の問題のほか、事業費の地元負担金軽減のことが受益農家より強く出されましたので、土地改良区といたしましては農家の負担軽減に努力してまいり、幾分かの負担金軽減がなされたものであります。
 土地改良区は、昭和五十七年六月県知事の認可を受けて設立され、ようやく三年七カ月の改良区でありますが、国営事業が昭和五十九年度、六十年三月に十四カ年の長年月と総事業費百四十七億円で工事並びに換地業務としての換地処分及び清算事務も同時に完了となりました。
 この工事の完了に伴いまして、昭和六十年度、六十一年三月より事業費の据置期間の償還に入ることになっております。この地元負担金につきましては、国、県、市町において、それぞれ負担額の引き上げが図られましたので、農家負担が幾分か軽減されましたが、これは農業振興を図るとの観点で、県条例で地元負担は四十六年から五十七年までが一一%、五十八年、五十九年が五・六%となったものであります。農業情勢の厳しい折からであるので、農家には頑張っていただくよう、改良区の役職員一体となって努力いたしているところであります。
 本土地改良区の問題点を申し上げますと、第一点として、土地改良区の運営の問題があります。御承知のように、兼業農家がふえてまいりますと、農家の考え方も多様化して、せっかくの有意義な事業を実施いただいても、組合員の土地改良区に対する関心が薄れてまいることであります。
 第二点としては、維持管理について、昭和五十九年の法改正で排水処理等については改善が図られておりますけれども、耕作農道等については、地方交付税も五十九年度より五カ年間で減額補正されることになっており、新規の農道については交付税の算定基準の対象から外されております。弱小の土地改良区といたしましては、市町との助成の話し合いもなかなかであります。維持管理等のことの問題が出てくるわけでございます。
 第三点といたしましては、山林原野を開墾して、また急傾斜地でありますので豪雨等による災害の心配があることであります。この災害防止のために農地保全事業を行政当局へお願いしておるところでございます。
 第四点といたしまして、事業費負担金の徴収の問題がありますが、負担金は確定いたしましたので、組合員に十分に説明を申し上げております。また、前に述べたとおりでございますが、農業情勢が厳しいので、償還条件あるいは税制面等の緩和はできないものかと思っております。
 今回提出されました改正法案につきまして簡単に意見を申し述べさせていただきます。
 土地改良事業は、農業の生産性の向上、農業構造改善の推進を図る上で重要な事業であることは申すまでもありませんが、しかしながら、近年の土地改良事業におきましては、工期の延伸、完了の遅延で工事費の増加等の事態が生じておりますことは、土地改良事業に参加する農家にとっては甚だ迷惑なことであります。参加者、また土地改良区としても、計画どおり一日も早く工期を短縮して早く事業効果が生ずることを望んでいることであり、また、事業参加者は事業負担金が幾らかということが最大の関心事であります。事業負担金のいかんで事業の遂行も左右されるというものであります。
 今回の土地改良法及び特定土地改良工事特別会計法の一都改正につきましては、借入金をもってその財源とすることができる国営事業の範囲が拡大されることは、土地改良事業遂行、推進上、土地改良事業の早期完成が図られること、農家の負担が増加しない等のことでは期待が持てるわけであります。事業が計画どおり実施されれば、本当に一定の評価はできると思います。しかし、県、市等の地方財政事情も厳しい折からでありますので、国としても配慮していただきたいと存じます。
 そのような意味におきまして、今回の提案されている改正案につきましては時宜に適したものと考えられますので、ぜひとも委員の皆様方のお力によりまして、できるだけ早く成立を願いたいと思う次第でございます。
 以上述べまして、私の意見といたします。どうもありがとうございました。(拍手)

 (これに続く質疑応答は省略)

国営パイロット事業は日向市とその周辺の山間部に多くの耕作放棄地をもたらす結果に終わっている。周辺の現状としては、みかん園を中心とした小規模な農業に加えて養鶏場と産業廃棄物関係の企業が立地している。また、広域農道とその枝道である農道、林道の舗装道路が都市部へのアクセスを容易にしているので、粗大ゴミの不法投棄が目立つ。

国会での質疑・証言を見ていると、この事業で目指したミカン類栽培の先行き不安が論議の的となっていたが、養蚕については問題視する意見が見られない。

塩見地区の家の周囲もかつては桑畑だった(それが栗園と杉畠に変わったらしい)。これから見て、近代養蚕業の発展が当時の山間部の農地開拓の目的に掲げられたことは、(拡大造林と同じく)農水省による基本的な政策課題となっていたと理解できる。

貿易自由化の時代になってから、養蚕業と林業の先行きを読めない(わかっていたがわざと無視した?)中央官僚が、各地でこのような大規模な開拓事業を展開した事実は極めて不可解なことである。個人ではできない、行政が本来やるべきソフト面の支援を充実させる投資、関連する技術開発、試験研究などは置き去りだったように思える。

養蚕業についてその歴史を総括した論文を見つけたが、1962年に繭と生糸が輸入自由化され、その後の約20年間で国内の生糸生産は事実上消滅状態となっている。引用した1986年の国会での意見陳述の中で養蚕:桑畑について全く言及されていない。

現代蚕糸業の社会経済的性格と意義  -持続可能な農村構築への示唆-
矢口克也 (2009) レファレンス No. 705, 平成21年10月号
http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/refer/200910_705/070502.pdf

このように、中央官僚が計画した事業が地方に降ろされて、大きな不安要素を抱えながら破綻するまで強行された結果、現地で事業計画に巻き込まれていた開拓農民の苦難は計り知れない。この美々津地区の国営パイロット事業はなぜ(どのような政治力が働いて)強行されたのだろうか。これは農業の発展というよりも、土建事業の推進が本当の目的であったのではないだろうか。

みかん生産の問題について、オレンジの輸入自由化後、1995年に発表された論文がある。これによると輸入自由化でみかん生産が直撃を受けたのではなく、むしろ時代の流れで消費動向の変化(少数品種の多量消費から多品種の少量消費)が問題となったらしい。需要と供給の動きが消費・生産と直結しているのであるから、生産計画の基盤整備は市場の動向が読めない中央官僚任せにするべきではないことが教訓となる。

麻野尚延 (1995) 輸入自由化と柑橘産業.  愛媛大学農学部農場報告(Bull Exp Farm Col Agr, Ehime Univ), 16, 85-92
http://web.agr.ehime-u.ac.jp/~farm/16(11).pdf

中山間地農業を安楽死に導く施策を考えて(煙草の煙に消えるだけの)零細補助金をばら撒き、上から押し付けの不合理な規則で縛り、偽装農家を産んで育て、民間の知恵と努力を働かせる自発的な取り組みの足を引っ張るような行政組織は誰のためにあるのだろう。

by beachmollusc | 2009-11-21 09:39 | 日記
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