beachmollusc ひむかのハマグリ


海辺の浅瀬は水産動物のこども達のゆりかごです
by beachmollusc
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海辺の自然を取り戻そう
 自然の恵みを後世に残すためには、その生態と環境を深く、よく知ることが基本です。

 海岸の浅瀬、干潟や砂浜は資源生物のゆりかごです。
しかし、それにおかまいなしに埋立てや海岸構造物の建設、水質汚染も加わって、日本中の水辺、海辺の環境は撹乱され、破壊されてしまいました。その結果、ハマグリなど干潟の動植物の多くが絶滅危惧種となっています。

 このブログでは、主に砂浜環境の保全を念頭において、日本各地の山、川、海の姿を調べて見てまわったこと、
そして2006年5月に移住した日向市の海辺と里山の様子や生き物などを紹介します。

このブログにリンクを張ることはご自由にどうぞ。

    - 自己紹介 -

大学院博士課程修了後7年間の海外での研究と28年余り大学教員をしていました。

海の無脊椎動物(貝、ヒトデ、サンゴ、クラゲなど)が専門、自称の学位は Doctor of
Underwater Marine Biology
(DUMB:バカセ)

楽観的な悲観論者または悲観的な楽観論者:生態的に無理をしている人類の滅亡は近いだろうが、それも自然の摂理じゃないのかな

せっかちな慎重派:ゆっくり
見極めて急いで集中的に
お仕事します

好きなもの:日本蕎麦が一番、パスタ・スパゲッティ、うどんもよし、つまりメンクイです

嫌いなもの:人混み、投棄ゴミ、マスゴミ、脳衰官僚

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カテゴリ:評論( 62 )


ダムの無い川のダム群

日向市の北となりの門川町には五十鈴川という大きな川が流れています。流域面積で見ると、県内で大きい方から7番目となり、日向市の耳川に匹敵するほどです。この川には貯水池としてのダムはありません。

降雨と水源となる河川に恵まれ、宮崎県のダムは発電用のものが多くを占めています。これが集中豪雨をかわしきれないで、さらにまた斜面崩壊などを引き金にした河川氾濫・洪水を繰り返しているようです。ダムの存在そのものが洪水の源となるのでしょう。

耳川の上流域の椎葉村、諸塚村などで川が水面から数十mも上の国道を洗い流したことは信じがたいことでした。造林すべきでない急傾斜の山に人工林地帯を闇雲に広げた影響が大きかったようです。

2005年台風水害で、耳川上流などの斜面崩壊の様子を空中写真で見ることが出来ます。
http://www.ajiko.co.jp/bousai/kyusyu2005/kyusyu.htm#a1

延岡市の北川や宮崎市の大淀川などの氾濫は下流域で起こっていますが、発電ダムの放水管理がうまく行かないのでしょう。しかし、五十鈴川では、そのようなパターンの洪水は起こりにくいようです。

ダム便覧 14.宮崎県ダムのまとめ
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jdf/Dambinran/binran/TPage/TPSyosi367.html
<発電ダムは多目的ダムのなかの発電ダム10基を含めると34基と増え73.9%を占める。宮崎県は、富山県、長野県と同様に発電王国といえる。>

五十鈴川の源流域は旧北郷村(現美郷町)の奥山にあります。6月1日、高い山の中のサルナシを探しに北郷から日之影を結ぶ県道210号線を椎野谷沿いに走ってきましたが、その途中で次々に砂防(治山)ダムが出現するのであきれ返りました。全部でいくつあるかわかりませんが、道から見えただけで6基ありました。

一番の傑作ですが、最近流行している砂防ダムの公園化と思われる現場がありました。建設予算を獲得するために、治山・防災だけでなく、市民の憩いの場所を提供するという名目を付け加えた、賢い役人の「(悪)知恵」です。建設する意味が(わから)ない場所でも造ってしまえ、となります。
そして、いつものように、相手がいないままでむなしく語りかけている看板を立てます。緑をはぐくむのは自然の力ですが、それを人工林の造林と「治山」対策のダム建設事業が破壊しています。
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なぜか、この場所で泳げるようにしたつもりのようでした。
たしかに水溜りが出来ていて、ハヤッコが泳いでいましたが、ヒトッコ一人いません。
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上流側にわずかな水量で流れていましたが、このようなダムでは土砂の堆積が進んで水はほとんど伏流してしまいます。
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本流に段々畑のようなダム群を造っただけでは飽き足りないようで、それに合流する谷からの小さな流れにも堰を造っています。
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これらのお飾りダムのすぐ上には本格的な砂防(または治山、同じ構造ですが造った予算で名称が変わる)ダムが二つ(おそらくさらに多く)並んでいました。
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ダムの上流側は土砂でほぼ埋まっています。このようなダムの存在する意味・目的が理解できませんが、埋まることは(本来の)目的を達成したことのようです。しかし、それで何がどうなるのかわかりません。
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渓流の自然を壊すだけで何の役にも立っていないダムをずらっと並べて建設してきたのは、役人たちが正気ではなかった証拠に思えます。
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by beachmollusc | 2009-06-03 08:02 | 評論

植樹のその後

2年前に自宅のすぐ近くで日向市ふるさとの自然を守る会が主催した植樹行事がありました。
2007年3月18日のことでした。
http://beachmollu.exblog.jp/5351266
その2ヵ月後の様子です。
http://beachmollu.exblog.jp/5742309
2008年7月の夏草がよく茂った時の状況です。一部で草刈が行われていました。
http://beachmollu.exblog.jp/8369329
昨日(5月2日)の午後、西日が植樹された斜面に当たっているところを記録しておきました。
この植樹された場所は急斜面であって、中央部の谷間は崩落しかかっています。

まず全体像を写した画面です。右側の杉の下側にある密林状態が植樹されなかった、放置された状態です。その左側の植林されたゾーンとの間に明瞭な空間が開けていますが、これは植樹前に雑木が刈り倒されていたことによるものです。隙間の左側に見える大きい樹木は伐採されずに残されたもので、よく育っています。
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植樹されたイチイガシの苗は当初は腰の高さくらいでしたが、現在は肩の高さくらいまで成長し、新葉が出て元気に育っています。下草刈りの効果で、歩留まりも高いようです。今年もこれからススキなどが急激に伸びて苗木より高くなるでしょうが、さらなる手入れが続けられるのでしょうか。

植樹された(事前に伐採された)ゾーンとそれに隣接した右側の林の所を撮影した写真です。草がまだ伸びていないので、植えられたイチイガシの姿を見ることが出来ます。おそらく2ヵ月後には草に隠れて姿が見えなくなるでしょう。
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植樹ゾーンの中で、谷のようになっている、崩落しそうな中央部分です。このゾーンでは、植樹の事前準備で伐採されるような樹木がもともと無かったようです。ここでは新しく植えられたイチイガシもかなり苦戦しているように見えます。
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植樹されたイチイガシについて「木の知恵」サイトの説明を一部引用します。
http://www.geocities.jp/kinomemocho/tie_jushu.html

<材は古来船の艪材,槍の柄として最も賞用せられ鋤鍬の柄,轆轤,歯車其他堅牢を要する器具に賞用せらる 又堅牢にして水切れよきをもって下駄の歯に適す 此樹の老大なるものの内部は黴菌(ばいきん)の為めに蜂巣状を呈し雅なるをもって煙草盆,額縁,短冊掛等の如き堅牢緻密を要せざる所の装飾材に用いらる。

別名櫓樫(ロガシ)。戦国時代に高鍋藩や細川藩では、長槍用に植樹していたという。一位樫のアラメは、一方の木口から息を吹くと他方に抜けるもので槍材として最良とされていた。イシメは全く息が抜けないもの。コマメはこれらの中間とされる。この槍の柄のお陰で鹿児島軍勢は強軍と言う評判を勝ち得たと言われている。>


薩摩の槍部隊に貢献したということですが、現代と近未来では何に使う予定でしょうか。船の櫓の需要はほとんど無いし、鋤鍬の柄にしてもあまり期待できません。何かに使うための木材を生産するための植林ではなかったと言うことでしょう。国の林業政策で需要と供給の関係が昔から無視されているようです。

樹木は利用される大きさになるまでに多くの年数がかかることは自明です。将来予測というのは難しいことですが、多様化という戦略があるはずです。照葉樹の自然林、水源涵養林として保全されるべき奥山を杉の人工林とし、それを皆伐して大規模林道建設に狂奔し、その一方で里山の林産資源の利用に無関心、無策である林野庁は存在意義が疑われて当然でしょう。
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by beachmollusc | 2009-05-03 08:30 | 評論

里海について

海岸環境調査研究会の行事案内で開催を知っていたが、先週の3月27日、東京海洋大学における水産学会で「里海シンポジウム」が開催された。

「海洋学研究者の日常」ブログ http://blogs.dion.ne.jp/hiroichiblg/
の管理人さんが(有給休暇をとって:海洋物理が専門分野であっても、私には大学の教育研究の本務の一環に思える)これに参加されて、シンポジウムの様子を報告された。
<シンポ「里海の理念と水産環境保全」に参加して>2009年03月29日ブログ
これに関連しているブログ記事:
<里海>2009年01月03日 追記有り
<シンポジウム「里海の理念と水産環境保全」>2009年03月13日

シンポジウム講演題目リストから見て、学会・行政主導の行事のように思われたので、東京まで出かける意欲が湧かなかった。しかし、草の根運動として一昔前からMANAさんたちが進めてきている「里海と入浜権」運動との関連に興味を持っていたので、具体的にどのようなシンポジウムであったかを知らされたことは有意義で、ブログ記事はありがたく思っている。

MANAさんのサイトでは下のような記事がある。
[季刊里海]通信2009年1月 6日 <「里海」の氾濫>
http://satoumi.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-1482.html

MANAさんたちは、人間の側から見た社会的アプローチとして、渚、海辺・浜辺の利用のあり方(環境権)を考えているが、漁業権による水産資源利用、それに関連する生態・環境保全からのアプローチとうまく調整・連携しないと現実に進んでいる深刻な沿岸の環境破壊を食い止め、改善することは難しい。

自然科学から見た「里海」について「海洋学研究者の日常」ブログで報告された内容について、そのブログのコメント欄に自分の意見を投稿したが、ここで改めて話の前提を踏まえて論議しておきたい。

まずは、上のブログで書かれた、里海の理念と自然科学、のところを引用する:

{2.「里海」の理念-自然科学の立場から
柳さんは、ご当人が提案する「里海」構想に対する、多くの生態分野の人たちの「人手が加わることで生物多様性は高くならない」という反対意見に対し、「人手が加わることで生物多様性は高くなる」実例を示していた。これは、反対意見に対する反論ではある。しかし、この反論によって、「里海」の理念が従来よりも深化した訳ではいない。「里海」を提案・推進する柳さんの立場からは、あるいは本シンポジウムでの他の講演が政策あるいは実践活動に関する話題提供であったことから、このような内容となったのはやむを得ないようにも思うが、管理人としては、これまで「人手が加わることで生物多様性は高くならなかった」原因とその対策への言及が欲しかった。なお、沿岸部の人口密度に応じて、都市型里海と漁村型里海があるのでは、あるいは里海の定義をもっと易しい表現にする必要があるという会場からの指摘(柳さんの話だったかも)は、今後、里海の定義を議論し、普及させる際に重要な視点と思う。}


里海の理念に生物多様性の論議をミックスさせるのは生態学から見て無意味なことと考えられるので、ブログの管理者が「里海」の理念が従来よりも深化した訳ではないと指摘されたのは当然である。理念の本質に関係が薄い、不適当で不毛な点を議論しても意味がない。

最近流行しているが、「人間にとって良好な里山の資源環境は人手が加わることによって(生態的に言えば意図的な干渉・撹乱によって)維持される」という概念が一人歩きしている。

その例として、水産関係では野生動物であるクジラ資源利用を里山にこじつけて、捕獲するための根拠にしている。
環境goo WEB講義 第19回 鯨資源の管理
<鯨は人間と自然が交流する里山のような存在だ>
加藤秀弘(独立行政法人水産総合研究センター 遠洋水産研究所鯨類生態研究室室長)
http://eco.goo.ne.jp/business/csr/lesson/nov01.html
里山という言葉をこのような形で使う「水産研究者」が存在している事実には唖然とするしかない。

過去には、里山で試行錯誤の結果として「自己組織化されて」行われていた「資源・生態環境を意図的、合目的に撹乱・干渉すること」を科学的に理解し、持続的で経済的な生産と資源利用を図ることは有意義であろう。シンポジウムの講演の意図はその点にあったと善意に理解したい。しかし、理解が進んでいない生態研究分野を置き去りにして、行政主導で事業化を進めることが企画され、結果としてさらなる環境改変・破壊を招くことが懸念される。

日本の水産試験研究の特徴であるが、中途半端な基礎情報を根拠にして、とにかくやってみる「思考錯誤」がはびこっている。基礎研究を積み上げて、さらに試行錯誤を重ねて改善を進めるような意識が乏しく、結果が出なくても惰性で続けられている。その代表的なものが(一部は成功しているが)人工種苗の放流事業である。沿岸漁業の衰退を招いているのは乱獲と環境破壊が主因であるが、それを社会的に容認させたアリバイの一つが種苗放流事業であろう。

人工干潟や藻場造成などの水産的な里海事業が各地で展開され、それを後押しするために行政が事業予算をつける動きが活発化しそうである。東京湾とか瀬戸内海のように徹底的に環境破壊が進んだ海域では無からつくり直すような事業にも意義があるだろう。しかし、一般的な海では、沿岸の水産資源と環境が損なわれてきた理由、メカニズムを明確に科学的に押さえてから、問題を除去・改善する努力が先決である。里海というキーワードを利用して、資源環境問題の根本的な解決でなく、目先だけの代償行為に走ることは長い眼で見て好ましくない。行政関係者と業者の点数稼ぎ、お金稼ぎの餌食にしてもらいたくない。

ここで現代の「里海」について自分なりの理想を述べておきたい。

春を迎えた里山では、彩りあざやかなツツジや山桜の花、新緑、野鳥の繁殖、湿地ではカエルの大合唱など冬を越えた生命の息吹があふれている。そして、季節が進むと次々に様々な山菜や木の実、草の実、きのこなどの収穫が待っている。その多くが忘れ去られている現状であるが、里山には触れ合って楽しめる素材が満載である。かつては生活のための重要なサプリメントとして多くの里の資源が利用されていた。現在ではグリーンツーリズムのアイテムとしての重要性が高まっていて、また山村の地域おこしの目玉とされている資源がいろいろある。なお、里山における野生哺乳動物と人の関係はきわめて残念な状況になっていて、その改善が必要である。

海辺でも同様であって、春の干潟の潮干狩りをはじめ、ヒジキやワカメなどの海藻採取が行われる。これらは水産業の対象物と重なっているが、地域によっては一般住民によって自家消費のために採取されている。

海岸の野生動物と人々とが触れ合う対象としてはウミガメの上陸やオカガニ類、海鳥の集団産卵、礫浜でのクサフグの集団産卵などがある。海岸での魚釣りは古来から一般人にとって自由であり、多くの愛好者がいる。

海岸における空間利用として、海水浴はもちろん、サーフィン、ウインド・サーフィン、(個人的には好まないが)ジェットスキーなどから、浜辺ではビーチバレーやビーチサッカーなどのスポーツ、そして砂遊びから発展したサンド・アート、海岸に打ち上げられた宝物を拾い集めて楽しむ(貝殻集めを含む)ビーチ・コーミングもある。欧米での海水浴の起源は病気療養であったが、現代では海水によるアトピー治療や癒し効果を期待するタラソ・セラピーも出現している。広々として障害物が無い広場が珍しい今の時代では「凧揚げ」やラジコンなどを楽しむことができるのは砂浜海岸だけであろう。

海の渚の景観資源が観光で重要であることは指摘するまでもないだろうが、それに加えて上に列記したような様々な資源と空間を利用して楽しむメニューがある。地域住民だけでなく観光客が楽しめ、かつ環境と資源を損なわずに渚、海辺を持続的に利用すること、それが現代の里海つくりであろう。それを漁業者による水産資源の利用・管理と調和させるためには、ある程度のすみわけも必要であろう。海は漁業権のある漁業者だけのものではないので、環境権としての入浜権を認め、お互いに相手の権利を尊重し、資源と環境を一緒に守るべきである。
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by beachmollusc | 2009-04-03 10:23 | 評論

入浜権の思想と行動 (本間義人 著)

「渚と日本人」(副題 入浜権の背景) 高崎裕士・高桑守史 著 1976年 NHKブックス 254
という本について以前のブログで論じた。http://beachmollu.exblog.jp/8449651

その「続編」ともいうべき「入浜権の思想と行動」 (本間義人 著、御茶ノ水書房、1977年)を古書店から購入し、一気に読んでしまった。その中に日向市における入浜権運動のいきさつが記されている。

自分は1971年から1977年9月まで国外に出ていたため、上の2冊の書籍で記されたことはほとんど記憶・認識していない。海域の汚染と埋立てが激しい日本で水産生物の研究はとてもできそうにないので、暖かくて美しく、未開拓のサンゴ礁生物、熱帯海洋生物の研究を「愉しむ」ことにし、事実上、敵前逃亡していたわけであった。

1977年10月に琉球大学の海洋学科に着任し、沖縄でサンゴ礁生物の教育・研究に従事するようになった。JICAやFAOなどの海外技術協力プロジェクトに乗って、サンゴ礁の貝類資源の増養殖と資源管理問題に取り組んでいた。地元沖縄では、本土復帰後に沿岸部で激しい環境破壊、特に埋立てや護岸工事が行われ、結局、沿岸資源生物の研究の意義も実行する場所も失われた沖縄に見切りをつけて、宮崎県に疎開して現在に至っている。

沖縄においてもっとも残念(遺憾)であったことは、海を守るべき漁業者が埋立ての補償金を受けて漁業権を放棄し(させられ)続けていたことである。着任直後の新石垣空港建設問題から始まり、最終的に沖縄を見捨てる動機ともなった中城湾内の与那原地先の埋立てまで、身の回りで絶えず海辺の環境が失われ続けていた。海を売り渡す権利が漁業者に与えられているわけではないのにも関わらず、そのような構造が構築され、開発行為の主体である行政側に都合よく(合法的に)利用されている姿を嫌というほど見せつけられた。

沖縄で見せつけられていた官製のすさまじい環境破壊を伴った開発事業は、本土復帰でスタートが遅れた分を大急ぎで「本土並み」にしたことであった、という構図がこの本からよくわかる。海辺の自然環境を粗末に扱い、陸上の穢れをすべて海に押し流し続けるヤマトの民に対して竜神の怒りは頂点に達しているはずである。

本の中に、日向市で1970年代に行われた市の行政による竹島売却(1964年の新産業都市指定を受けて、工場用地の確保)に対するささやかな抵抗運動について記述を見つけた。そこで、日向市の住民の記憶から消えてしまわないように、その部分をスキャンして下に貼り付けておくことにした。

富島高校の教諭だった萩野忠行さんらが「ひゅうが公害研究会」を結成し、竹島解放運動をはじめた動機の一つとして、「海岸はコンビナートの向こうへ行ってしまった。なぜ、だれにそんな権利があるのだろうか」という生徒の訴えがあったという。

このような抵抗運動にもかかわらず、臨海工業地帯の埋立ては進み、30年あまり過ぎた現状が地域住民にとってどのような意味を持っているのか、行政と住民が率直に評価するべきであろう。
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by beachmollusc | 2009-03-29 19:08 | 評論

スギの紅葉

冬が深まると家の周囲のスギが真っ赤になることは最初の年に気がついた。花粉を出す花がついて色が変わっているのかと見て回ったが、近隣に花をつけたスギの木は極めて少ない。全くないことはないが、滅多に見つからない。下の写真は花が咲いたスギと葉が枯れているスギである。赤く見えるところでは枯れ葉が圧倒的に多く、強い風が吹くと枝ごと落ちてきて、枯れ枝が林道に一面に堆積する。
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スギの葉っぱが赤くなっている様子を見ると、木の位置が日当たりの強い場所であることが多い。しかし、それもまだらになっている上、木の大きさにも関係なさそうである。鹿や熊が樹皮をはがしてスギの立ち枯れを起こすという話もあるが、熊はいないし、鹿も滅多に見ない。
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寒い地方では、スギが葉っぱに赤い色素を出して太陽光の直射の害から組織を守るという情報もある。宮崎県は寒い地方か、という疑問があるが、山間部では寒波が来れば氷が張るし、霜柱も立つ。しかし、それは早朝の一瞬の出来事である。色素生産による時期的な紅葉も混ざっているような気もするが、それだけではなさそうである。

海岸林の松枯れ問題も気になるが、スギ林は挿木苗からつくられたクローン集団であると聞いたので、疫病が出たら、それには極めて弱いはずである。一斉に枯死して枯れ木の山、すなわち山火事の燃料になったりしたら、エライこっちゃになるだろう。カリフォルニアの山火事はただの対岸の火事ではない。あちらでは樹木の立ち枯れが蔓延したのを放置していた結果、被害が激化したとされている。何しろ、宮崎県の県の面積の約半分はスギ林である。家のまわりも完全に取り囲まれている。

情報検索してみたら、大分から宮崎の北部にスギの病気が蔓延していることについて調査報告が出ている。松枯れほど人目につかない問題なので調査研究結果も目立たないまま、病気の本質についてもまだ解明されていないようである。九州大学の黒木逸郎,讃井孝義が報告した「宮崎県におけるスギの葉枯症状被害の分布と枯死葉上にみられる病害」(九州森林研究、2005年)
http://ffpsc.agr.kyushu-u.ac.jp/jfs-q/kyushu_forest_research/58/58pr006.PDF
一斉調査によると、葉枯れの被害は耳川と一ツ瀬川の中、上流域に広がっているそうである。

宮崎県だけでなく、九州全体についても調査されているが、面白いことに四万十帯の中に集中している。このことから、地質的な環境条件が背景にあるのかもしれない。
http://ffpsc.agr.kyushu-u.ac.jp/jfs-q/kyushu_forest_research/57/57pr009.PDF

最近の報告を追ってみて、病原体は特定されず、生理障害についても明確ではないようで、この問題に携っている研究者グループが苦労している様子が下の二つの報告から読み取れる。
http://ffpsc.agr.kyushu-u.ac.jp/jfs-q/kyushu_forest_research/54/54pr001.pdf
http://ffpsc.agr.kyushu-u.ac.jp/jfs-q/kyushu_forest_research/60/p142-143.PDF

スギの植林において、病害問題に関する対策は考えられているらしいが、下のような報告もあった。

スギ挿し木苗の赤枯病 (讃井孝義,水久保孝英、2002 Kyushu J. For. Res. No. 55)
樹病学はスギ赤枯病の研究そのものという感じの時代があった。しかし,薬剤散布等の防除技術が確立された現在では,報告を見ることは少なくなった。以前,筆者らは,宮崎県のスギ造林はすべて挿し木苗によっており,苗木の赤枯病はほとんど問題とならないことを報告した。
http://ffpsc.agr.kyushu-u.ac.jp/jfs-q/kyushu_forest_research/55/55pr005.pdf
自宅近くに最近植えられたスギの苗の多くが赤くなっているが、これであろうか。

現在の林業のあり方が環境的に健全でないこと、適材を適所に植林しているようには見えないことを見ていると、財政赤字を膨らませながら一向に持続的な林業が出来るような状態に出来ない理由が見えてくる。赤くなったスギの木も林業関係者と一緒に苦しんでいるのかもしれない。

<追記>
「サイエンス」にアメリカ西部の樹木の枯死問題のレポートがあります。
Science
23 January 2009: Vol. 323. no. 5913, pp. 521 - 524

Widespread Increase of Tree Mortality Rates in the Western United States
Phillip J. van Mantgem et al.

Persistent changes in tree mortality rates can alter forest structure,
composition, and ecosystem services such as carbon sequestration.
Our analyses of longitudinal data from unmanaged old forests in the
western United States showed that background (noncatastrophic)
mortality rates have increased rapidly in recent decades, with
doubling periods ranging from 17 to 29 years among regions.
Increases were also pervasive across elevations, tree sizes,
dominant genera, and past fire histories. Forest density and basal
area declined slightly, which suggests that increasing mortality was
not caused by endogenous increases in competition. Because
mortality increased in small trees, the overall increase in mortality
rates cannot be attributed solely to aging of large trees. Regional
warming and consequent increases in water deficits are likely
contributors to the increases in tree mortality rates.


今朝のニュース:2009/01/23 04:05 【共同通信】

樹木の枯死、30年で2倍に 温暖化の影響と米チーム

 米西部の天然林でモミなどの樹木が枯死する比率が、約30年前と比べて2倍になっているとの研究結果を、米地質調査所やワシントン大などの研究チームが、23日付の米科学誌サイエンスに発表した。地球温暖化と、それに伴う水不足が原因とみられるという。

 これまで熱帯地域の森林で同様の報告があったが、温暖地域では初の大規模な分析。研究チームは、他地域の森林でも同様の現象が起こっている可能性を示唆。「世界の多くの人々は温暖の森林の近くに住んでおり、何が起こっているかを調べることが重要だ」としている。


原文では「地域の温暖化」としていますがニュースでは「地球温暖化」としています。
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by beachmollusc | 2009-01-21 18:05 | 評論

小倉ヶ浜の砂の起源

小倉ヶ浜に(現在)流れ出ている主要な川は塩見川ですが、山間部の谷間から平野部に出たところで支流の奥野川が永田川と合流しています。奥野川をはじめ、周辺の山間部の谷川を見てまわってきましたが、流域の地質は大体同様で、四万十帯の日向層群と呼ばれる頁岩を主体とし、透水性の悪い岩盤です。奥野川の本流は渇水期でも流れが枯れることはありません。

宮崎の地質サイトで地質図が示されていますので、塩見川のところを含んだ表層地層図を引用します。図の中のHhは乱雑層(メランジュ相,混在相)、Hsは砂岩、Hmは泥岩、Hrは赤・緑色珪質泥岩とされています。始新世~前期中新世という、数千万年前に海底で砂泥が堆積して固まった岩層です。
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/shoukou/kougyou/m-geo/
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図の中の矢印の部分、平野に出る手前の谷間で海抜20m弱のあたりの奥野川で川の写真を撮影しました。この上流では、山中で急傾斜になって砂防ダムが建設されているあたりまで大体似たような景観が続いています。岩底の瀬とジャリや岩がある淵が交互にありますが、淵はせいぜい腰までの深さしかありません。川筋の屈曲部には礫と砂が溜まっている部分があります。
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これまで3年近く、奥野川の様子とその変化を観察してきました。
この川筋に見られる砂は黄褐色の粒子が中心です。小倉ヶ浜の砂浜の砂の中にも
同様な色の粒子が混ざっていますが、おそらく花崗岩が風化したものでしょう。
台風の時などの大雨で濁流となった奥野川から塩見川を経て海に運ばれる砂の
中には黒い粒子が余り含まれていないようです。

下は小倉ヶ浜の汀線付近の砂の顕微鏡写真です。粒子の大きさは0.1から0.3mmの
径の砂がほとんどを占めています。磨耗度が低く、角張っている砂が多いようです。
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陸から海に運ばれている砂は風化・破砕と磨耗、溶解などの変化を受けていて、
さらに海水の中で波浪による淘汰により大きさと比重で選別されて堆積します。

石英という鉱物は物理化学的な抵抗力が大きく、波が強く当たる砂浜で主要な成分と
なることが世界的に普通です。ところが、日本の海岸では石英を主成分とする岩石が
乏しくて、河川流域にあるごちゃ混ぜの地層から、特に未固結の砂泥が洗い出されて
出てきたものが砂浜を養っているようです。つまり使いまわしの石英砂の成分が頼り
なのですが、それが少なく、その他の雑多な成分が混ざるという特徴が現れている
ように思われます。

小倉ヶ浜の砂が黒っぽく見えるのはなぜだろう、と以前から考えていましたが、まだ
結論は見えていません。白い砂浜は日本海沿岸にかなり多く見られるのに、太平洋
沿岸部に「白砂」が見られない理由は石英砂の不足を意味しているのでしょう。

究極的には海洋性の溶岩である玄武岩由来での砂が黒い色をもたらすのでは
ないか、と想像しています。日向層群の頁岩も黒いのですが、これは古代の泥が
黒かったことを引きずっているのでしょう。多量にある頁岩から砂が出来ているか
どうかを確かめる必要があります。
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by beachmollusc | 2009-01-01 13:05 | 評論

近未来の環境

日本第四紀学会の町田ほか編、地球史が語る近未来の環境、という本を注文してあったのが昨日配達されていた。本の包装が大きくてポストの中に入らず、外にはみ出ていたらしく、今朝見たら包装の段ボールと本の表紙カバーなどが噛み千切られて散乱、本体も危うく読めなくなる寸前で回収、作業を楽しんだワンコたちが幸せそうな表情で出迎えてくれた。写真は上下の角が噛まれてしまった本の成れの果てである。本の惨状は地球の近未来を示唆しているのかも。しかし、読むのに支障はなく、午後になってから3分の2ほど読んた(150頁余り)。今夜中には読了するつもり。日本第四紀学会というのは日本国内にひきこもって、ろーかるデータの記載ばかりやっているような印象を持っていたが、最近では国際的な視野で日本発のグローバルな仕事を進めている研究者がいることは頼もしい。
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地球温暖化と海面上昇、という第2章の著者は東大の横山裕典、これがかなり面白かった。「縄文海進―そのとき氷は融けていたか」そして「西九州の海底遺跡と海水準」などの話が目から鱗がポロポロで、地球表面の変形を視野に入れるべきことが理解できた。おかげで、以前からなぜなんだと不思議だったブラジル沿岸の海岸平野と海水準変動の様子が北アメリカ大陸の大西洋沿岸とは大きく異なる理由を理解できた。(ブラジルの海水準変動は日本と似ている)

産業技術総合研の斎藤文紀の第3章、アジアの大規模デルタ、にはタイ国における地下水くみ上げによる地盤沈下がチャオプラヤ河の河口デルタ平野の海岸線を大きく後退させた話があった。これまでに1mの地盤沈下で海岸線は約1km後退したそうである。とにかく河が土砂を大量に運んで海に向かって年間10-20mの割合で広がっていたデルタ平野で海岸を侵食する海面低下の効果は絶大である。沿岸侵食の結果で海中に電柱が林立する様子が見られるというのが凄い。(ネット上で画像は発見できず)

新潟平野では2mの地盤沈下が起こっていて、海岸侵食が起こっている地域と地盤沈下の地域がピッタリ重なっているのだから、それが海岸侵食の主要因であることは容易に理解できるはずなのに、行政当局が海岸侵食の要因としてあえて軽視していることは大変おかしい。
http://beachmollu.exblog.jp/8615692
宮崎平野北部でも沿岸部の地盤沈下が砂浜の侵食と絡んでいる気配があるが、行政当局はこれをスルーしたがっているかもしれない。

[追記]

上高地では砂防ダム建設や河川改修事業で自然改変(破壊)が進められ、相当メチャクチャになりつつあるらしい。国立公園として自然景観と生態系を保全するはずだった場所で、防災という錦の御旗をたて、それも自然環境への侵入者である人間側の営利活動などの都合を優先させるということで、河川の自然の営みが生み出した生態系を拘束する、一時的な姿に固定するための人工化で、結果として生態系そのものを破壊する「公共事業」が行われていることが報告されていた。立教大学の岩田修二の「国立公園上高地の未来像」という章である。

この件で重要なポイントは、海岸の問題でも全く同じ図式であるが、国立公園の管理のあり方として、「林野庁の土地を環境省が管理する」、そして「管理人は地主に口を出せない」という誰のための行政であるのか訳のわからない姿である実態である。公園利用が優先され、その管理手法は自然に対する干渉として行われ、その公園の姿を生み出した自然の営みを尊重しないまま人工化する、という自然破壊行為を税金を使って続けている、というのは狂っている。
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by beachmollusc | 2008-11-21 17:10 | 評論

浜の真砂のバランスシート

<ずっとくだけた話だが、「浜の真砂が尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」と言われたその真砂が今、尽きようとしている。
桂浜の竜王岬の東西の浜に30年も昔は「桂浜の五色石」拾いの女性たちの姿が沢山見られたものだった。
ドンゴロスというインド産の粗い麻布袋に詰め込んで、出荷をしていた。確か、上野の西洋美術館外壁にも使われていたように思う。
一般的には金魚鉢の底に敷く石だと思ってくれればいい。
それが、今は海岸の五色石が補給されなくて、多くを拾うのは難しい。それで女性たちの姿が消えて久しくなるのだ。> 


以上、「浜の真砂が尽きるとき」という高知の下司孝之さんのブログ(高知おこし 新堀川 文化と歴史遺産を生活や観光に活かそう)から部分的に引用した。
http://white.ap.teacup.com/shinbori/1081.html

桂浜がジャリ浜だったという40年以上前の記憶はかすかだが残っている。学生時代に岡山県水産試験場で夏休み期間に現場実習をやった後、四国を漫遊して歩き回った時のことだった。高知大学の宇佐臨海実験所で大先輩の所長さんをたずね、足摺岬の方に向かう前にちょっとだけ立ち寄って、竜馬の像を見上げてきたときの足元が確かじゃりじゃりだった。

その当時、五色石というものが名物だったことはまったく記憶にない。検索をかけて最近事情を調べてみたら、仁淀川が海に運び出したものと説明されていた。また、その周辺に五色浜という海岸もあるようだ。

数年前であったが、足摺岬に近い大岐の浜と東洋町の生見海岸のチョウセンハマグリ調査のための往復の途中で、仁淀川の河口付近の海岸を一度くらい見ておこうと思って、横道に入ったが、海岸の手前で巨大な水門に出会って完全に興味を失い、そのまま立ち去ったことがあった。

GOOGLE EARTHで見ると2007年10月24日撮影の上空から見た海岸の様子がわかる。この画像で見ると、仁淀川河口から桂浜までの砂浜?海岸には11本の突堤が建設されていて、沿岸流で砂や砂利が運搬流動されないようにしてある。桂浜の五色石の供給源が仁淀川だったとしたら、この海岸構造物の建設で供給が絶たれ、また、浜では土産用や金魚鉢用に大量に採取されていたようであるから、枯渇したのは当然の成り行きだっただろう。供給がなくなり消費が一方的に進んだら、消失は時間の問題である。

砂浜侵食について、砂の供給と消失のバランスシートを考えることは原因を理解し、先行きを占うために必要である。そのため、どこの海岸侵食の対策委員会でもこれを評価、考察している。しかし、これまで点検してみた範囲では、いわゆる漂砂系問題として、どんぶり勘定で、見かけだけの計算、見積もりしかやっていないようである。

見かけの説明がもっともらしく見える場合は、それでわかったつもりになりやすい。砂浜ではないが、サンゴ礁海岸の隆起サンゴ礁の侵食メカニズムでこれを例示してみたい。

沖縄本島と周辺離島の海岸は隆起性の地盤の上にあって、海水準変動を超えた隆起の結果、陸上に露出した「隆起サンゴ礁」が石灰岩となって各地に露出している。すなわち、過去に海水面が安定していた時代に形成されたリーフの平坦面が次々に隆起し、段丘を造っている。本島北部の離島である古宇利島や瀬底島を見ると、数段の段丘構造がはっきりと見える。
http://www.zanmarine.com/IMGP012911.jpg
http://www.kinkuma.com/homepage/okinawa/u051205/04.jpg

現在の隆起サンゴ礁でもっとも低い、海抜数mの平坦面は約6000年前の縄文海進時代の高海水面を示している。石灰岩の海岸線をこのような低い段丘が取り囲んでいるが、その波が当たる部分は深く切れ込んで「石灰岩ノッチ」と呼ばれる地形を造っている。満潮の水面はノッチの下向き面の上部にあり、大潮で干潮の時は写真(瀬底島)のように最下部まで露出する。
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このような石灰岩の切れ込みがどのような仕組みで出来たのかと学生たちに問いかけると、全員が「波による侵食の結果です」と当たり前という表情で答える。しかし、それは間違いではないけれども正解とは言えない。生半可の答でしかないのである。

ノッチの部分で波が砂を巻き上げて岩をこすり、浸食していることは事実である。しかし、波がない場所でも石灰岩ノッチはできるし、むしろ波が弱い場所の方がノッチは深く切れ込む。その現場写真、たとえばパラオ諸島の隆起サンゴ礁石灰岩で囲まれたMarine Lakeと呼ばれる、完全に波から遮蔽された場所(地下のトンネルで外海とつながっている)の写真を見せると、学生達は説明できなくなって苦しみの表情に変わる。これこそ、センセイ稼業をやっていて幸せを感じる瞬間である。
http://copine.ciao.jp/photo/21_03.jpg

石灰岩は弱アルカリ性である海水中では溶けないが、酸性の環境では溶解する。波が弱いところで石灰岩の上を覆って成育する海藻のマットが昼間は酸素を出しているが、夜間は呼吸で消費して、マットの下の炭酸ガスが酸性環境をもたらす。これを毎日繰り返していれば侵食が進むわけである。また、波があってもなくても石灰岩の中には様々な動植物がもぐりこんでいる。特に貝類とカイメン類、そして多毛類がトンネルを掘りまくっている。これらの動物による侵食もバカにならないが、表には見えていない。さらに岩の表面にはヒザラガイとかカサガイの仲間がへばりついている。これらの貝類はベロに仕込まれたヤスリのような歯で岩の上に生えている藻類をかじりとって食べる。その時に基盤の石灰岩も一緒に削られている。実はこれが最大の侵食量をもたらしているらしい。

以上のように、波あたりの差異などでそれぞれの貢献度は違ってくるが、摩擦による機械的、酸性環境で溶解する物理化学的、そして生物的な侵食が同時に働いていることを認識しないと、岩の侵食率を測定しても、それをもたらした要素を正しく評価、認識できない。

話を砂浜の問題に戻すが、たとえば前浜の砂の量変化を汀線の移動距離で推定しても、砂が堆積している場所が変わり、移動した砂が堆積したサンドバーが出来ていることを計算しないと、収支は合わないだろう。宮崎海岸などの調査報告ではこれが不明瞭である。侵食で前浜から消えてしまったように見える砂が、具体的にどこにどのような仕組みで「消えた」のかを評価できていない。

平常の漂砂で動く部分では、海岸構造物による堆積パターンの変化が表面的によく見えるが、その沖の海底で、どのくらいの深さまで堆積変化が起こっているのか、それを定量的に調べて見ておかないと、見せ掛けの答が出てしまう。実はこれが侵食を捉える時の最大の難問となっているようであるが、問題が起こっている現場の実務ではそれを見て見ない振りのようである。

漂砂系の圏外(水深が大きい場所や陸上の砂丘)に消える砂がある一方で、陸側から河川によって運び込まれている土砂がある。これについては前のブログですでに指摘しているが、粒度・比重の違いとその流動特性の関係を踏まえた、そして海底の広がりを面的に調べた議論が欠けている。結局、前浜の砂収支では供給と消失両面とも全体像が具体的に把握された議論を見出せない。つまり、見かけの数字合わせが行われているとしか思えない。

海岸平野では全体の地形と地盤の隆起・沈降傾向の差異にもよるが、結果的に砂の供給が勝っていて、海側に汀線が移動していたところが多かった。この場合、陸棚の前面にも堆積物供給が広がっている。平均海水面が変動しない場合を想定すれば、供給された土砂が沖に向かって汀線移動を促していたはずである。その土砂の供給が減少あるいはストップした場合、汀線移動は単純に停止となるのか、あるいは「前浜の侵食」をもたらすのか、それを知りたいのである。汀線の後退を見て短絡的に砂の供給が減ったから、と説明するのはどこかおかしいと考えるべきであろう。

{追記}

海の中で砂が移動する場合は、波浪の営力で重力に逆らって、海底では低い所から高い所に向かうことがある、という点が認識されていないのかもしれない、と気がついた。

流れがあると砂浜海底でリップルマークと呼ばれる漣模様ができることがある。その美しい模様が絶えず変化しているのは、砂粒が移動し続けているからである。

砂浜海岸で波長の長い波浪が寄せて砕ける過程では、水深が浅く変化するにつれ、回転運動としてのエネルギーが伝達されていた海水運動が次第に扁平になり、海底では往復運動になる。それが支えきれなくなった深さで波が砕ける。波の最後は砂浜の傾斜を駆け上がり、一部は砂の中を通って元の方向に戻る。

このように波という海水運動は沖と岸の軸方向に非対称であるが、さらに風が表層で岸に向いて吹いている場合には岸に吹き寄せが起こり、沖に向かって吹くと逆になって、海岸で潮位がかなり変化する。そして、岸から沖に向かって吹く風は波浪を相対的に弱める効果もある。

こういった、非対称の力が働いている環境では、海底で砂の一方通行の移動が起こるようである。重力にしたがって高いところから低いところに移動しやすい砂であっても、正味で流れる方向が岸に向かっている場合は重力に逆らって移動することになる。経験的に、うねりの波が安定して続く間、浅い沿岸の海底でサンドバーが次第に岸に向かって移動するのは、正味の砂の海底流動が岸に向かうという条件が満たされているからであろう。

温帯の砂浜海岸で、夏に、塩分の低下と温度上昇で密度低下が起こった表層海水がより密度が高い海水層の上に明瞭な層をなして乗っている姿になることが多い。台風などの波浪でこの成層状態は壊されるが、高気圧で覆われた穏やかな天候の時には発達する。

成層状態の海水境界面では、何らかの外力があれば波が発生する。そのような海の中だけで起こる内部波は表層では見えない。かなり最近、経験的に発見されたことであるが、その内部波に周期が長いのがあって、境界面で一方的に沖から岸に向け海水が進む形をとる。これはinternal boreと呼ばれていて、沖から岸に向けフジツボなどの付着動物の浮遊幼生が運搬されていることから発見された海水の運動である。

ボアという現象は潮汐と密接に関係しているだろうが、その発生メカニズムはどうなっているか、研究途上だろう。ちなみに、大きな河川の河口部で海から内陸に進むボア、すなわち海水の逆流(アマゾン川ではポロロッカと呼ばれる)はよく知られている。

個人的な想像であるが、このような内部波による海水の流動があると、沖から岸に進んで海底に届く深さで砂を巻き上げて運搬することもあるかもしれない。これが起こるような条件がどうなっていて、どこかで実際に起こっているかどうか、情報は確かめていない(見つからない)。多分、まだ調査:研究が進んでいないだろう。

なぜこのような現象を想像しているかといえば、ナミノコガイの1~2mmサイズの稚貝が、ある時突然大集団で砂浜の潮間帯に出現するからである。稚貝たちは、その大きさになる前は沖の波浪が比較的弱い場所にいると想像している。このような移動には、海水の流動は海底の砂が動くような強さである必要がある。それは稚貝が粘液の糸を伸ばして受動的に流されて移動するからである。この想像が実際に起こっているかどうか確かめたいが、まだそのチャンスに恵まれていない。
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by beachmollusc | 2008-10-03 16:06 | 評論

宮崎平野とその砂浜海岸の特性

宮崎市の海岸における砂浜侵食問題に関係して議論されている内容をオンライン情報で見ていると、沿岸海洋学的な地域特性や地史・環境履歴を考慮しないで漠然とした一般論ベースで説明しているように思える。また、一般論としては漂砂系問題一辺倒であるが、その基本となる「活動帯」つまり流動して堆積・侵食の空間的・時間的な変化を続けているゾーンの把握が不十分と思える。

現在進行中の問題が、人間活動の干渉で起こった汀線の局所的な地形の応答変化であるのか、あるいは海岸線の内陸へ向かう後退という形で起こっている地学的な現象であるかを識別することは、その対処方策の立案に大きな違いをもたらすであろう。(もちろん、人為・自然の要因が複合していることが多いだろうが、階層的に理解する必要がある)。ここでは、まず、砂浜における汀線移動という表面に現れている「侵食」問題を考えるために必要な背景情報を概説しておきたい。

{宮崎平野とその砂浜海岸の形成と維持のメカニズム}

現在考慮している問題に関わる部分でもっとも重要なことであるが、現在我々の目の前に存在する単調な砂浜で縁取られている海岸平野の形成には、過去数万年間の海面の相対的な変動を考えなければならない。その変動には地殻と沖積平野の地盤の沈降と隆起、そして全世界的な気候変動による平均海水面の変動がある。その結果、ある特定の地点で見ていると、相対的な海水面の変動はそれらが複合して起こっていることになる。なお、平野部の固結していない堆積地層(沖積層)の圧縮で起こる地盤沈下はそれを乗せている基盤岩層とは独立して起こる変化であり、局所的な場合があるので、地域全体に及ぶ現象と分けて考える必要がある。

氷期の最盛期で、海水準が現在より100m余り低下していた約18,000年前から現在までの気候変動と海水面変動について、古環境の復元情報が豊かになっていて、現在の沖積平野が出来た道筋が説明できるようになっている。日本の多くの海岸で、その間に、地殻の上下変動を上回る相対的に大きな海水面の上下変動が起こっていたことは重要なポイントである。

約6500~5500年前のヒプシサーマル期に海水面が現在より数m高い状態であったことが、現在の海岸平野という地形を産んでいる。もしも、この高水面の時代が6000年前の海水準のまま固定されていたら、日本の海岸平野は極めて狭いものになったはずで、宮崎平野という広い平坦地はできなかっただろう。6000年前の宮崎の海岸は、山が海に迫り、入り組んだ海岸地形であったから、現在の豊後水道沿岸域のようなリアス海岸が基本的地形であって分断された小さい海岸平地がある状態になっていたはずである。

次に「相対的海水面の変動」がどうやって宮崎平野(そして他の多くの同様な日本の沖積平野)を今の姿にしたか、を考えてみよう。そのヒントは大陸棚の存在である。海岸平野の海側には傾斜が緩やか(宮崎平野では、水深50mの場所が海岸線の沖で10から15キロの位置にあり、1:200~1:300の勾配)に広がっている。すなわち、大陸棚の上部が露出すれば海岸平野は拡大する。そのためには地盤の隆起でも海水準の低下でも、どちらでもよい。3m余りの相対的海水準低下があれば汀線は1キロ近くも沖に移動し、海岸平野が広くなる。

海上保安庁水路部(5万分の1沿岸の海の基本図、海底地形地質調査報告 宮崎、1997年)そして地質調査所(海洋地質図 54 日向灘表層堆積図 1:200,000、2000年)によれば、大陸棚は水深約120mのところで終わり、その先には強い傾斜の陸棚斜面が続いている。平野部の沖で水深50mまでの大陸棚上には「細砂」が堆積していて、その粒径分布のモード(中心)はファイ・スケールで2.7~2.9、径0.1mm付近にある。シルト(泥)や粘土の含有率が低く、粒がよくそろっている(淘汰がよい)堆積状態である。これは次に述べる二つの重要な環境要素を示している。

① 大陸棚の上は河川から流出した泥や粘土が沈殿・堆積しにくい流動環境である
② 砂浜海岸の浅い海底では砂粒の波浪による淘汰が強く働いている

陸上から河川で平野部を経由して海に運ばれる土砂は、流域の地質によって異なる成分(火山性のものなど)を含んでいる粒の大きさが不ぞろいの雑多なものであるが、それがまず河口の外で堆積し、波浪の力で淘汰(比重と粒の大きさによる選択)される。外洋に面した凹凸のない海岸では波浪とそれが産む(海岸に押されてきた海水が岸に平行に流れる)沿岸流、(表層で沖に向けて強く狭い帯状に流れる)離岸流が休みなく働いている。波浪には風波とうねり、そして嵐の時の高波、おまけに稀にではあるが津波がある。

外洋に面した砂浜で、通常の波浪では水深20m程度、嵐の時には水深40mくらいまで砂は流動すると考えられている。そして陸棚の上では潮汐流と海流の影響を受ける場合がある。宮崎平野沖では黒潮の影響を間接的に受けているらしく、海岸に沿った南下する強い海流が出来ているらしい。宮崎平野南部の沖合いで、大陸棚の海底で細砂の堆積ゾーンが北側に比べて大きく広がっているのは、この結果であろう。

海岸に砂粒だけが堆積する(つまり砂浜ができる)のは、他の大きさの成分がその場所に到達しない、あるいは運ばれていてもそこに止まらないからである。礫浜には平野を通らないで急傾斜のまま海に流れ出る河川で運び出される礫が堆積している。しかし、広い平野部を経由した場合は岩や礫成分が海にほとんど運ばれてこない。

海に出た泥と粘土成分は海水中に巻き上げられて浮遊し、流動しやすい。閉鎖的な内湾の干潟や入り江では泥が堆積物の主成分になっているが、強い波浪が常にある外洋の海岸では泥が堆積しない。平野部の前に砂浜海岸が出来るのは、波浪・流動によって砂が絶えず動きながらもそこに残されて止まっているからである。さらに細かく見れば、地域的に卓越する流動の力や方向の差異で砂粒の粒度分布が空間的に微妙に変化・変動している。

宮崎平野は九州山地で西側と北側を囲まれ、冬のモンスーンの影響が小さい。つまり、冬場の時化で東シナ海や日本海の海岸で激しくなる風浪と飛砂による岸に向かう砂の吹き寄せが起こらない。一方、夏の間は太平洋のかなたから到達する長周期の波、うねりの影響が続く。うねりは浅い海岸で往復運動し、沿岸流と離岸流を強める効果があり、それが同時に砂浜の砂の粒度をよく揃える(堆積物、つまり砂の粒度分布の淘汰度が高くなる)。

飛砂は砂浜の前浜部分で乾燥した砂の粒子が内陸に向かって強い風で飛ばされる現象であるが、これが激しいと堆積した砂が盛り上がり、砂丘がよく発達する。宮崎平野では北部の一ツ瀬川の近くで砂丘が相対的に盛り上がっている。その日向住吉、浜松の三角点が標高28mで最高である。

大波(台風の高波で、波高6m程度であろう)の波浪が届かなくなった砂丘部分には植物が成育し、砂丘の地形・地勢が安定する。宮崎の海岸は砂丘の上で植物が育ちやすい多雨・高温の環境であるから、かなり安定しやすいだろう。乾燥地域で植物が育たない砂丘(砂漠など)では内陸の飛砂で砂丘の凹凸が移動する現象が見られる(dune migration)が、宮崎平野でそのようなことは起こらないだろう。

宮崎平野の海岸砂丘では大昔から自然林、そして江戸期頃からの松の植林もあっただろうが、1960年代からは組織的に海岸林を拡大する事業が全国で展開され、宮崎県でも各地で実施されてきた。この事業は、海岸砂丘と前浜のダイナミックな関係を一方的に閉じるような結果をもたらした、と考えられる。

強い台風の高潮が砂丘の最高点まで届いたり、波が超えたりする場合、植生や護岸などの海岸構造物でブロックされていない砂丘は侵食を受けるだろう。侵食された砂は海中に運ばれ、それが後に平常の(平均的な)波浪の営力で前浜の上の方へ運ばれ、飛砂で砂丘が回復する。飛砂の量が侵食に勝っている場合は砂丘が成長を続けるだろう。しかし、このサイクルは10年単位の長い変動となる。

砂丘の海側には平坦面の高まり(バーム)があって、それも砂の垂直移動に関わっている。砂丘までは届かないが平常より強い波浪による侵食とその後の回復でバームの消長サイクルが起こっている。このサイクルは一般に「ビーチサイクル」と呼ばれている季節的あるいは一時的な周期変動となる。宮崎平野の海岸では、台風がこのサイクルのペースメーカーになっている。バームの砂は沖に移動して浅瀬の帯を作るが、これは「バー」と呼ばれている。

遠浅になっている海岸では前浜に届く前に大きな波は繰り返し砕け、エネルギーを失い、バームや砂丘に当たる場合でも破壊力が弱まっている。そのバーの高まりが波を効果的に砕かせるからである。(人工リーフ、と呼ばれる構造物でこのバーの消波効果を真似る試みがなされているが、自然のバーは波の営力に応答して位置と高さが変化する柔軟な構造であり、コンクリートで固定された人工物で真似ができない性質を持っている。人工リーフはサンゴ礁を真似ているとされ、名称も「人工サンゴ礁」といわれているケースを見るが、本当のサンゴ礁の構造は波の当たって砕ける場所でspur and groove(縁溝・縁脚) と呼ばれる消波構造を持っていて、それはサンゴや他の生物が波の力に応答して時間をかけて形成されたものであるから、単純に比べても宮崎の海岸に設置された人工リーフはまさに「まがい物」であり、それによる消波効果があまり期待できない構造になっていると思われる)。

自然海岸ではバームと砂丘の2段構えの砂浜構造が、嵐による大波で起こる砂浜侵食を柔らかく受け流している。大きな波が元で、季節的あるいは数年規模で侵食は起こるが、一方的に海岸線が後退し続けることは考えられない(ただし、平均海水面の高さが変化しないで、堆積物の供給と消失が平衡している場合)。それはバームや砂丘の砂が海側にもたらされる「自然の養浜」が起こるからである。しかし、現在の宮崎の海岸では砂丘部分は植林で固定されていて、それが出来ないような構造に変えられている。(日本経済の大きな問題である、フローに貢献しない塩漬け状態の預金に似ている)

バームまでの侵食で止まっていて、砂丘に侵食が及ばないでいる場合は地学的な意味で海岸侵食を心配する必要はない、しかし、他の要因、たとえば地盤沈下や漂砂系の変動(突堤などの建設)で汀線が陸側に移動し、大波が当たって砂丘が侵食を受けだす場合には浜崖の形成が始まるだろう。そのとき、海岸砂丘の上に保安林があり、それを侵食から守ろうとすると深刻で不毛な自然との戦いの始まりとなる。それは護岸がその前面の堆積条件を変えてしまうからである。日本各地で起こっている「砂浜消失」の多くでは、ここで説明したような流れで、海岸林あるいは陸側の資産などを守る代償として砂浜の消失を招いたと考えられる。
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by beachmollusc | 2008-09-28 14:11 | 評論

砂浜における拡大造林と護岸建設

小倉ヶ浜の南部には吉野川という小さい川が流れ出ている。その南側にはサーファー用の駐車場などの施設があり、休日には路上にまでサーファーの車があふれている。

小倉ヶ浜の砂浜で侵食問題が起こっていないのは幸いであるが、これは海水準が安定していることに負っていると思われる。

この海岸のすぐ北にある日向市の細島港には明治時代に設置された験潮所があって、海水面の変動を1世紀前まで、オンライン情報で遡ってみることが出来る。
日本列島沿岸の年平均潮位=グラフ 海域Ⅵ
http://cais.gsi.go.jp/cmdc/center/graph/kaiiki6.html
e0094349_9473081.gif

小さな変動を繰り返しているが、地盤沈下や隆起が進んでいるようには見えない。

国土地理院の1974年撮影空中写真と海上保安庁撮影の1993年の空中写真を見比べると、その間に海岸で起こった大きな変化を知ることが出来る。
e0094349_15351057.jpg

北側では赤岩川の河口部にゴルフ場が出来ている。
南側では海岸利用者のための駐車場が出来て、漁港の防波堤ができている。

1974年の写真で見てわかるが、砂浜の前浜部分では松林がすでに広がっている。その植栽域の前面には、吉野川河口の内側からはじまった護岸が松林の途中まで出来ていたが、それが1993年までに少し北まで延長されたように見える。

この松林の内陸側には国道10号線に一部が接している海岸林が昔からあった。戦後すぐに米軍が撮影した空中写真のアーカイブを見てそれがわかる。
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/index.jsp
60年前の米軍写真(USA-M812-32)では、赤岩川が現在の拡大された松林の陸側に流路を持っていて、吉野川とほぼ同じ場所に河口があった。余計な松林がなかった時代の砂浜は広々としていた。

1962年に撮影された国土地理院の空中写真(MKU-6211-C5B-10)を見ると、赤岩川が砂浜部分に出てから分流して、河口を3箇所につくり、そのうちの一つが吉野川と合流していた。同じ写真で、砂浜での拡大植林の準備のためか、区画の輪郭が出来ている。

1967年撮影の写真(MKU678X-C4-4)では、1974年の状態に近い姿が見えるが、モノクロでオンラインで提供されている写真の解像度が低いため、詳細はよく見えない。

もし小倉ヶ浜の地盤が沈下を続けていたら、この松林の拡大の結果も重なって、海側の護岸が汀線に近くなり、嵐の時の波浪で基盤侵食を受け、日本全国で見られている護岸前面の砂浜消失のスパイラルが起こっていたかもしれない。

現実には、汀線から護岸までの遠浅の砂浜が嵐の波浪を十分に弱めてくれたので、侵食が問題にならなかったのであろう。今回、2008年9月19日に接近した台風の波浪はこの護岸に到達していなかったようである。
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護岸に付けられたプレートの年度の表示が読み取れなくなっているが、かつて災害復旧工事がこの護岸で行われたらしい。ということは、松林の裾の侵食か既存護岸の損壊をもたらした極めて強い波が当たることもあった、と解釈できる。

護岸の周囲を見ると、北側では頻繁に海水が届いていて、海岸植生の成育が難しそうである。しかし、その南側から吉野川河口までにかけては、砂が堆積している上に植物が生い茂る状態が続いている。実際、護岸の南カーブはコンクリート部分が植物に覆われて見えなくなっている。足元も砂で埋もれて、上側しか出ていないのだろう。

そもそも、この松林を砂浜の上で汀線に向けて拡大植林したのはなぜだったのだろう。その内側には照葉樹の見事な海岸林が昔からあるので、写真で見られるマツクイムシ被害も気にしないでよさそうである。

広々とした砂浜をわざわざ半分くらいに幅をせばめ、おまけに植林した場所の海側に護岸を建設している有様は無様である。赤岩川の北側でも同様に「拡大造林」と護岸の建設をやっていることはすでに指摘したようにアカウミガメの産卵場所を奪っている。

日本中の海岸を探して回っても、この海岸より優れた自然景観に恵まれた砂浜海岸は少ない。それを無意味で、潜在的には有害な公共工事であえてスポイルしてしまった犯罪的行為は誰の責任であろうか。地元住民が望んでやったこととは到底考えられない。

この吉野川と赤岩川の河口の前の砂浜潮間帯では、かつてチョウセンハマグリの稚貝が湧いていた。小倉ヶ浜のハマグリ資源を養っていた、もっとも重要な場所であったことは確かだろう。1950年代に行われた調査でそれが知られたことで、赤岩川の河口部分は漁業資源を守る制度である「保護水面」に指定された。

この調査時の河口は、茂野邦彦 (1955) 日本水産学会誌 21, 218-225. チョウセンハマグリの生態について、という報告で図示されたように二つの川が合流していた。

図のSt2とSt3で稚貝が高密度に生息していた背景には、河川が運んでいた栄養素があり、それをもとにして砂浜の砂粒に付着して繁茂する微細な藻類がハマグリ稚貝の餌となったに違いない。

潮が引くと藻類が砂浜の表層に出てきて光合成をし、砂が茶色や緑色に見えるような場所が出来るが、それが餌となる藻類である。現在でも、小規模ながら浜の一部でそれが出来るので、ハマグリ資源が残っているのだろう。遠浅で、その面積が広いことも大切な条件である。
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赤岩川の平野部を流れていた流路は、1974年当時は自然状態で蛇行していたが、1993年までに直線化され、三面張りの護岸にされている。改修後には、出水時には急流が河口に一気に出るようになったはずである。また、源流域である山地では人工林化が進んで、最近では保水力を失っているだろう。

山地から平野までゆったりと流れ、陸から海岸へ栄養を供給していた赤岩川の環境を大幅に変えた結果、日向名物のハマグリ資源の激減と不安定な変動を招いてしまったものと想像される。
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by beachmollusc | 2008-09-23 11:36 | 評論