beachmollusc ひむかのハマグリ


海辺の浅瀬は水産動物のこども達のゆりかごです
by beachmollusc
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海辺の自然を取り戻そう
 自然の恵みを後世に残すためには、その生態と環境を深く、よく知ることが基本です。

 海岸の浅瀬、干潟や砂浜は資源生物のゆりかごです。
しかし、それにおかまいなしに埋立てや海岸構造物の建設、水質汚染も加わって、日本中の水辺、海辺の環境は撹乱され、破壊されてしまいました。その結果、ハマグリなど干潟の動植物の多くが絶滅危惧種となっています。

 このブログでは、主に砂浜環境の保全を念頭において、日本各地の山、川、海の姿を調べて見てまわったこと、
そして2006年5月に移住した日向市の海辺と里山の様子や生き物などを紹介します。

このブログにリンクを張ることはご自由にどうぞ。

    - 自己紹介 -

大学院博士課程修了後7年間の海外での研究と28年余り大学教員をしていました。

海の無脊椎動物(貝、ヒトデ、サンゴ、クラゲなど)が専門、自称の学位は Doctor of
Underwater Marine Biology
(DUMB:バカセ)

楽観的な悲観論者または悲観的な楽観論者:生態的に無理をしている人類の滅亡は近いだろうが、それも自然の摂理じゃないのかな

せっかちな慎重派:ゆっくり
見極めて急いで集中的に
お仕事します

好きなもの:日本蕎麦が一番、パスタ・スパゲッティ、うどんもよし、つまりメンクイです

嫌いなもの:人混み、投棄ゴミ、マスゴミ、脳衰官僚

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カテゴリ:評論( 62 )


宮城県石巻市横須賀海岸の砂浜侵食

■長面海水浴場を閉鎖 2006.06.29
砂浜の浸食深刻、保安林も危機
石巻市 原因不明 再開見通し立たず/
http://www.sanriku-kahoku.com/news/2006_06/i/060629i-nagatura.html

< 浸食による地形の変化が深刻化している石巻市河北地区の横須賀海岸で、長面海水浴場の砂浜の浸食が一段と進み、市は二十八日までに「海水浴客の安全が脅かされる恐れがある」と判断、海水浴場を閉鎖することを決めた。駐車場や保安林の一部までもが波に削られて危険な状態になっているためで、今後さらに進むと民家や水田に海水が流入する可能性も大きい。今年二月、市や県、東北大による研究会が発足して調査が始まっているが、浸食拡大の原因はまだ分からず、海水浴場が来シーズン以降、再開できるかどうかの見通しも立っていない。

 長面海水浴場は延長約八百メートル。六年ほど前から浸食が激しくなったといい、海水浴シーズンを前に市河北総合支所などが調査した結果、駐車場、保安林の一部が波で浸食され、満潮時には砂浜が消えてしまう状態と分かった。

 保安林の目の前はなぎさになり、大きな低気圧や台風が接近すれば、保安林が倒れ、民家や水田に海水が流れ込む危険性も大きいという。

 海岸を管理する県石巻土木事務所は昨年十二月から今年三月にかけて、北上川河口右岸から海水浴場まで約六百メートルに砕石を敷いて浸食が進まないようにする応急工事を実施。はだしやビーチサンダルで歩ける状態ではなくなっていた。

 河北町漁協の坂下健組合長は「昭和五十年代までは、なぎさから松原まで百メートル以上も乾いた砂浜が続いていた」と振り返る一方、「砂が海へ流出した結果、湾は二メートルぐらい浅くなり、波が立ちやすい状態になった。漁をするにも危険な状態だ」と指摘する。

 砂浜が消える原因について坂下組合長は「北上川河口周辺で二十年ほど前、砂の採取が行われたことがあった。それが原因とは断定できないが、初めは小さな環境の変化でも、次第に大きな変化につながるケースもある」とみている。

 関係行政機関などが今年二月、「横須賀海岸侵食対策研究会」(会長・田中仁東北大教授、十五人)を組織。赤く着色した砂を投入して砂の移動量や方向を調べ、撮影年次の違う航空写真を使って浸食の変化を分析しているが、詳しい原因はまだ分かっていない。七月下旬の会合で浸食進行への対応をあらためて検討する。

 長面海水浴場は毎年、北上川河口右岸に広がる風光明美な横須賀海岸に開設され、期間中は一万人前後が利用してきた。昨シーズンは砂浜がわずかに残った状態で開設、六千五百人が訪れた。>


■横須賀海岸を本格改修 2007.01.07
石巻市・長面の低気圧被災
国が補助金、4月着工/
http://www.sanriku-kahoku.com/news/2007_01/i/070107i-kaisyu.html

< 県石巻土木事務所は、昨年十月六日の低気圧で壊滅的な被害を受けた石巻市長面の横須賀海岸の本格的な改修に乗り出す。国が災害復旧費として二億円を補助し、県独自の事業費を加えて、四月から工事を開始する。

 海岸の本格的な改修を前に、工事用車両が入る道路整備が急ピッチで行われている。海岸は脱衣所などの海水浴場施設の周辺まで浸食が進んでおり、土木事務所は警戒を強めている。

 横須賀海岸は、昨年十月の低気圧の被害を受ける前から海岸の浸食が進み、土木事務所は二〇〇五年十二月から海岸に岩石を並べ、砂が海に流出するのを防ぐ応急工事を進めていた。工事が完成に近づいた段階で、台風並みに発達した低気圧の被害に遭った。>


横須賀海岸侵食対策研究会のHPと関連情報(検討会の資料)に詳しい経過情報と周辺で行われた調査結果、過去の空中写真が掲載されている。
http://www.pref.miyagi.jp/kasen/kg_yokosukakenkyukai.html
研究会資料
http://www.pref.miyagi.jp/kasen/kaigan/yokosuka_ken1shi.pdf
http://www.pref.miyagi.jp/kasen/kaigan/yokosuka_ken2shi.pdf
第二回の検討会では鮎川港の潮位変化について1995年以降のデータを調べ、特に変化がないとして侵食を起こした原因とは認めていない。
このデータは、地元住民から出された「潮位が上がっているような気がする」という意見を受けていたように見える。

検討委員会はごく最近の海水準変化だけを見ているが、もっと長期の変動傾向を見ておくべきであった。{日本列島沿岸の年平均潮位=グラフ 海域Ⅱ}の鮎川港の年平均海水面の上昇がグラフで示されている。これから、最近数十年間で20センチ以上の海水面上昇が認められ、しかも最近の上昇傾向が明瞭である。
http://cais.gsi.go.jp/cmdc/center/graph/ayukawag.gif
e0094349_865776.gif

地盤沈下に換算して示した図。
http://cais.gsi.go.jp/cmdc/center/touhoku/touhoku.html#ayukawa
e0094349_855416.gif

この砂浜海岸はspitと呼ばれる地形であり、河口や潟湖の出口に形成されるものである。陸地と無関係に、砂が寄せられて盛り上がった一種の砂丘であるが、砂浜の勾配が緩やかになっているはずである。

空中写真で見ると、この海岸の保安林から汀線までの距離にゆとりが乏しい、浜の北側で汀線に向けて植栽し、その前面に護岸を建設したことが背景にあるようだ。

そして、地盤の上下変動は傾斜が緩やかな砂浜海岸の汀線に大きく影響すると思われる。

もし前浜の傾斜が1:100であれば、20cmの地盤沈下は平均位置での汀線の水平距離に換算して20mになる。干潮時の前浜の距離が100mだったら20m後退するはずである。現地の傾斜はおそらくもっと緩やかであろう。乾いた砂浜の{幅}が狭くなってきたのは当然である。

海水面の上昇で汀線がゆっくりと陸側に移動し、大きい波浪が当たりやすくなっていたところに洪水や強い台風の波浪で砂浜侵食の引き金が引かれたと思われる。2002年に連発で来た台風が特に効いたのであろうが、沖に砂が移動して出来たサンドバーが陸側にビーチサイクルで戻る前に護岸を強化して、前浜の侵食地形を固定化し、さらに後の台風で悪化させたように思われる。

漁協の組合長が指摘していて、委員会資料でも明らかであるが、浜の砂は移動して堆積パターンが空間的に変化している。ここの委員会の委員たちはビーチサイクルという概念を持っていたのであろうか。地域的に地盤が沈下し、海水面の上昇が続いている砂浜海岸で前浜を維持したければ、セットバックしかないだろう。

傾斜が緩くて広い砂浜は大波を砕けさせる効果が大きく、海岸の最良の「防波構造」である。しかし、そこに護岸などの大波が当たって砕けるような硬い構造物があれば、嵐の時に洗掘現象が起きて、砂が沖に移動する。

護岸が国の援助でさらに強化されるようである。離岸堤を使ってトンボロ効果で砂を繋ぎとめても、これまでのような地盤沈下(海面上昇)が続けば、砂浜は構造物ごと沈下を続けるであろう。

{追記}

「変化する日本の海岸」、小池一之・太田陽子〔編〕、古今書院〔1996〕、とかその他の海岸について書かれた本をおさらいしてみた。

自分が頭の中で見ていることと、一般的に言われていることが整合していない、つまり疑問に感じていることの中で一番大きな問題は、河川から海へ流れてくる土砂が減れば海岸で侵食が起こる、という概念の妥当性である。

ここで取り上げた横須賀海岸で起こったことは、沿岸流による沿岸漂砂に影響を与えるような構造物が存在しないこと、つまり砂浜侵食問題を極めて複雑にしている要素を考慮しないでよさそうなことで、問題の本質と考えている地盤と海水面の高さの変動の影響がストレートに出ていたと思われる。

横須賀・長面海岸は北上川の河口にある砂州として出来た堆積地形であるから、川からここに運ばれている土砂がどのようになっていたか、という点も重要であろう。これは検討委員会でも取り上げられているが、流出土砂の実態がわからないためにスルーしている。ただし、河床から土砂を浚渫している量については経年変化などを示しているが、それを侵食に関連付けることはできなかった。

この場所ではかなり綿密な調査をしているが、重要な見落としとして、すでに指摘した海水面の長期変動(地盤沈下)のほかに、海底で砂でなく泥が堆積している水深の情報を面的に調べていないことがある。

河川から海に運ばれる土砂には大小の石塊から粗い砂、細かい粒、そして粘土やシルト、コロイドまでがあるだろう。通常の流量で運ばれるものは相対的に重要ではないかもしれないし、大きい方の粒子は特に動かないと考えられる。つまり、洪水で一気に流されている土砂の実態が重要である。

洪水で運ばれて河口周囲に堆積した土砂の状態については情報が乏しい。しかし、海底の堆積物をコアとしてくりぬいて、堆積の履歴を調べることは行われている。隆起した平野の部分でも、土質調査としてボーリングコアのデータが無数にあり、その中に見られる「海成層」という海底で堆積した部分の履歴から、堆積時の環境が推定でき、時代も年代測定で推定されている。

現在の状態で、平野の河口から沖側の浅い海底で堆積物がどのようになっているかは大体想像できるが、実際の表面堆積物の採取やボーリング調査のデータを見ないと、地域特性による部分がわからない。横須賀海岸は平野ではなくて、沖側がかなり急に深くなる谷になっているようなので、その影響を考える、つまり海岸の流動砂が深い方へ移動したまま戻れなくなる程度を推定する必要がある。それを知るためには、海岸に直角に、岸から沖に向けて一定水深ごとにボーリングコアをとって調べるべきである。まず表面で泥しか堆積していない深さを調べ、そしてその下に嵐の時に運ばれていた砂があるかどうかをさらに沖までチェックするのである。

以上のような調査結果が出れば、川から出てきた土砂が海岸でどのような運命を辿っているかを推定できるはずである。これには海洋学、堆積学の専門家の助力を求めなければならない。

次に横須賀海岸の問題から離れ、一般の平野部の海岸に眼を移してみたい。

ほとんどの平野の河川では、大きな川の本流はともかく、その支流や中小河川では河川改修が極めて積極的に行われてきている。その目的は大雨の洪水時に増水した分をすばやく海に流すことと考えられる。つまり、これによって過去と現在の河川の土砂流出特性は変化してしまっただろう。そして、細かい土砂、すなわち海岸まで運ばれて海で堆積する分は、他の条件に変化がなければ、より流出しやすくなっているはずである。

洪水時の流出土砂の供給源は流域の斜面崩壊が重要であろうが、これは戦後の山林の荒廃で悪化していたのがその後人工林の拡大で緩和されたようである。しかし、最近では奥山で人工林の皆伐が進んでいて、その後のケアも杜撰であり、斜面崩壊や土砂崩れは激化しているように思われる。つまり、全体的に土砂の海へ向けての流出は増大傾向にあるだろう。

ダムの建設で土砂がそれにトラップされ、さらに河川で河床に土砂が堆積し、かさ上げされるので洪水の危険が増しているといわれる。さて、これらは海に流れ出るべき細かい土砂成分を本当に減少させているのだろうか。

斜面の傾斜が急な部分が終わってから、平野部の海岸で川から海に流れ出ているものは、粗い砂か、それよりも細かい成分が圧倒的な量を占めているだろう。陸上部分で扇状地となって、粗い土砂は堆積して、残りが引き続き海に流れて行くだろう。データがないので憶測であるが、海に到達できるのはシルトと粘土粒子がもっとも多いのではないだろうか。ダムや河床に溜まっている土砂のほとんどは流されなかったので留まっているのだろう。洪水の時にダムから放水されている水のなかに細かい土砂の粒子は含まれていない、つまりその水は澄んでいるだろうか。

以上は憶測と推測であるが、一般的に言われている単純な説明:海岸の砂の「供給の減少→砂浜侵食」説が堆積の実態調査から検証されるべきであることを指摘しておきたい。

{追記、9月26日}

鮎川験潮所のデータがしばしば変調をきたし、設定のやり直しを繰り返しているが、これは地震による地盤の変化のせいだろう。

まずこの験潮所が開設されたすぐ後に、1897年2月22日のM7.4の宮城県沖地震とマッチした海面変化を記録している。これは小さい海水準上昇(地盤沈下)である。

1936年(昭和11年)11月3日に発生した宮城県沖の地震:深さ61km、M7.4。これは験潮記録をばっちり動かしていた。ただし、地震後の数年間で40cmあまりの地盤の隆起である。この地震で狂った基準を設定しなおしたらしいが、その後は海面上昇(地盤の沈降)が続いている。

1978(昭和53)年6月12日、宮城県沖、M7.4。その影響(地盤沈下)が潮位データに相対海水面上昇として現れているようだ。

東北地震、2003年5月26日、宮城県気仙沼沖の深さ71kmを震源とするマグニチュード7.1、モーメントマグニチュード7.0の地震。2005年8月16日宮城県沖の地震、宮城県沖の深さ約40kmでM7.2。これらは共に鮎川での海面上昇を加速したようである。

宮城県の周辺では今年も大きい地震、岩手・宮城内陸地震:2008年6月14日、M7.2があった。これはプレートの地震ではないが無関係ではないだろう。

ひょっとすると、これから近いうちに起こる(と予想されている)1936年の同タイプの地震で地盤が隆起するかもしれない。もしそうなれば横須賀海岸は隆起して砂浜がめでたく復活するだろう。しかし、その時は海岸に建設されたコンクリート構造物が地震で砂の中に埋没したり、いろいろなことが起こるに違いない。
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by beachmollusc | 2008-09-18 08:07 | 評論

九十九里浜の海岸林造成と砂浜環境の破壊

砂浜侵食問題と海岸林の関係を整理する必要があると考えて、九十九里浜を中心に情報を集めて考えてみた。そのきっかけとして、菊池英治さんの海浜植生に関する報告があった。(海岸砂丘の遷移、沼田眞編:現代生態学とその周辺、東海大学出版会1995)

これには、九十九里浜で1974年から1980年までの現地調査の報告として、まさに海岸林造成がたけなわだった頃の砂浜の様子、海浜の自然植生が剥ぎ取られた後で人為的に海浜植物群落が植栽されていたことが記録されていた。外洋に面する砂浜で、防災事業として全国で熱心なクロマツの植林が続けられていたことは、空中写真の映像を時系列的に見たときに明確に認識できたが、その過程で砂浜の草まで改変されていたことを知って大変驚いたのである。
e0094349_926771.jpg

上の図は著者の了解を得てここに引用しているが、海岸林(松林)の海側に、重機で砂を寄せて圧縮した高い堤防を造成してから海側に海浜植物を植栽している。そのような工法が取られ始めたのは1965年からだったとある。植栽には現地性のものだけでなく、九十九里に自生していなかったハマニンニクとワセオバナが用いられていた。

この調査地の砂浜は図に示されたように急速に海に向かって拡大中であった。そして堤防造成工事後に新たに堆積し続けた砂の上では群落が海側に広がりながら、その上で植栽された植物と自生植物の遷移が起こっていた。植栽された草の成育場所が変化し、さらに年数の経過で、もとから自生していたコウボウムギやチガヤに取って代わられていたようである。

日本人の多くが好む「自然景観」は白砂青松という言葉が示すように、人為的に整然と管理された姿であるかもしれない。近年ではその維持が様々な理由で難しくなっている。海岸林の危機的な状況を受け、「海岸林が消える」(大日本図書2000年)を出版した近田文弘は次のように主張している。

日本の海岸林の現状と機能
<海岸林の保全のために、1)マツノザイセンチュウによるマツ枯れ被害の防止に万全を期すべきである。このためマツノマダラカミキリを殺虫剤で駆除することは止むを得ないと考えられる。2) 国有林を中心として、公有の海岸林の広葉樹林化に対応し、マツ林の保全する林分と広葉樹林化にゆだねる林分および、公園等に利用する部分の区分を明確にした海岸林整備計画を策定し、それを実施することが必要である。この場合、海岸林の防災機能を確保するためには、大部分の林分をクロマツ純林とするべきと考えられる。 (後略)>
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jscf/RonbunPDF/JSCF1(1)/JSCF1(1)1-4.pdf

海岸林の保全管理が防災上重要な課題であるが、このようなクロマツ海岸林保全が核となる原理主義のような主張を見ていると、これまで全国的に砂浜海岸で地形改変と自然環境撹乱そして農薬汚染を伴う自然破壊が極めて熱心に行われてきたことの背景が見えてくる。上の二項目の問題点の指摘は、それぞれ前提部分ではまことにもっともなことである。しかし、後に続く対策部分は生態的、持続的な環境保全の方策としては受け入れられ難い主張ではなかろうか。

海岸林の拡大植栽とその後の保全管理に並々ならぬ努力が多くの関係者によって積み重ねられてきた歴史は尊重したい。しかし、クロマツ林一辺倒となってしまい、その保全だけが自己目的化され、砂浜海岸全体の保全という視点がどこかに消えてしまったのではないだろうか。

昔の海岸林の造成、維持の様子を古い写真で紹介しているサイトがある。

森を作るということ
<何気ない海岸のマツ林
しかし、本当はものすごい大変な作業で作り上げたのです。
昭和30年代に行われた記録写真です。風の松原と呼ばれているところです。
米代西部森林管理署作成 能代海岸防災林の造成の記録「風に学んで」より一部拝借>

http://www.kikori.org/reforest-kaigan.htm

まさに自然との闘いであるが、近年では重機の使用で大掛かりな海岸工事が進められている。

海岸林について、行政や工学関係の研究者が書いている文書や論文を見ると、「あるべき姿」それも人為的に管理されるべき姿を想定した上で、それを達成するために技術的にどうするか、という発想が根幹にあるように見える。自然の移ろいや時とした暴威を理解し、それに効果的に、しなやかに対応する、というような視点はほとんど感じられない。また、海岸の自然の力による変遷過程、たとえば海岸線の前進、後退現象やビーチサイクルについて無理解である。関係者たちは、何でも固定することが保全管理と思っているようである。

海岸林の造成
<海岸林の造成は、松くい虫と過湿化対策を中心に進めています。
特に、九十九里海岸南部地域は過湿化対策が重要となっています。
Ⅰ 砂丘の造成
汀線に平行に人工の砂丘を築き、砂の移動に強いハマニンニク、コウボウムギなどを植えます。
 また浸食の激しい海岸では、砂丘の前に防潮提を設置したり、特に必要がある場合には、砂丘上に間伐材等を利用した防風柵を設けることもあります。>

http://www.pref.chiba.jp/ringyo/hokubu/profile3.html
この説明では自生種のコウボウムギの存在に気がついたようであるが、砂丘を造成して海岸部の流動的な前浜部分をなんとか固定したいという点は昔のままである。

過湿化対策ということは、おそらく砂浜の消失と護岸のコンクリートに直接波が当たっていることから起こっている海水飛まつの問題であろう。海岸の前浜に張り出した植林、植栽領域が結果的に砂浜を消失させ、波浪を砕けさせて力を弱める緩衝力を失わせた、そのしっぺ返しではないだろうか。

飛砂による後浜の地形変動と海岸植生の効果に関する研究
有働恵子
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/limedio/dlam/B22/B2281014/1.pdf
頑張って研究し、役に立つ情報を集めて立派な報告を出している。しかし、これを読んでいて、何かがおかしいという印象がぬぐえなかった。

南日本における海浜植生の成帯構造と地形 中西弘樹,福本紘 - 日本生態学会誌, 1987 Vol.37, No.3 pp. 197-207.

海岸の自然環境を保全するためには、上のような地道な植生の調査記述をはじめ、基礎的な情報をしっかり集積しないといけないが、それをやりたくても自然の海浜植生が残された場所がすでに日本の海岸から消えてしまっているのではないだろうか。
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by beachmollusc | 2008-09-12 09:38 | 評論

縄文時代以後における宮崎平野とその海岸線の変化

完新世最高位旧汀線高度分布からみた房総半島の地殻変動
宍倉正展 - 活断層・古地震研究報告, 2001
http://unit.aist.go.jp/actfault/seika/h12seika/houkoku/boso.pdf

外山 秀一 (著) 古今書院 (2006) 遺跡の環境復原―微地形分析、花粉分析、プラント・オパール分析とその応用 
第4章 沖積平野の形成と遺跡の環境(宮崎平野―大淀川下流域における古環境の復原

宍倉正展さんが書いた論文の中の一文<沿岸の地形・地質からは間欠的な地震隆起を窺わせる>と外山秀一さんの本で指摘された<宮崎平野の海岸部にある海岸線に平行して出来ている砂丘列>とが頭の中でリンクした。

宮崎では巨大地震で地殻変動が起こったというような話はないと思われ、九州大学のサイトでも宮崎平野においては地震を伴わないゆっくりとした地盤隆起を想定している。はっきり見えるsmoking gun(証拠)がないぞ、ということであるが、実はそれがあったのではないか、砂丘列の存在がそれではないかという想像が浮かび上がった。

九州東部における過去約 12.5 万年間の地殻上下変動
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jepsjmo/cd-rom/2000cd-rom/pdf/da/da-001.pdf

宮崎平野の地磁気異常(日向灘沖海底を震源とする地震に対応)についていろいろな報告がある。しかし、過去に記録された歴史では南海・東南海地震に規模は及ばない。つまり大地震といってもマグニチュードで8以上はないと想定されているらしい。

宮崎・日向灘地域のブーゲー異常
http://www.jpgu.org/publication/cd-rom/2004cd-rom/pdf/t054/t054-p007.pdf
<四万十帯南帯と日向灘の強い負異常:宮崎市北部に中心を持つ極めて強い弧状負異常が極めて顕著。四万十帯南帯の北部では宮崎層群との境界が水平変化勾配の急変点をなすが、南部では四万十帯の中に食い込み、日向灘の顕著な負異常の成因が深部構造、特にフィリッピン海プレートの沈み込み形状に支配されたテクトニクスに起因することを強く示唆する。>

宮崎地域の重力異常について
http://www.gsj.jp/Pub/Bull_new/vol_56/56_05/56_05_03.pdf

九州東部沿岸における歴史津波の現地調査 : 1662年寛文・1769年明和日向灘および1707年宝永・1854年安政南海道津波
羽鳥, 徳太郎 東京大学地震研究所彙報. 第60冊第3号, 1986, pp. 439-459

以上の情報は尊重するとしても、下に述べる話は検証を要するのではないだろうか。

{砂丘列が形成されるために何が必要か}

海岸に沿った顕著な地形として砂丘の存在はよく知られる。それが出来るためには海岸部の地盤の高さが海水面に対して安定しているか、隆起することが前提になるだろう。しかし、それが列を成すためには一定速度での連続的な隆起では説明できない。地盤が時々大きく隆起して、その後ある期間安定した海岸線が維持される間に個々の砂丘が飛砂の集積で出来あがるのだろう。つまり間欠的な隆起を想定することが必要である。この隆起は海水面の低下でも同じ効果がある。また、砂丘の規模、すなわち砂の量は、その供給堆積速度に時代変化がなければ、地盤が安定していた時代の長さに比例するだろう。海岸が沈降、あるいは海水面が上昇している時代には、既存の砂丘があったならば、それは海に飲まれて消えるはずである。

内陸にある砂丘の方が海岸に近い砂丘よりも時代が古いはずである。

外山(2006)によれば、宮崎平野北部で海岸線に平行した3列の「砂堆(過去の海岸砂丘とみなす:淘汰のよい褐灰色の細砂層:現在の前浜と砂丘の砂と同じ性状-筆者注)」が発達している。以下にその詳細をまとめて引用する。

内陸のI区では標高12~14mの地域に幅0.5~1kmの平坦地を形成し、海側に5~6mの急な崖(おそらく浜崖の名残、筆者注)があり内陸側は緩やかに傾斜する。この砂堆の上には縄文時代後期から古墳時代の遺跡が分布する。

中間のII区の砂堆は標高4~13m、幅300~500mで細長くなっている。これには弥生時代前期(2500年前くらい、筆者注)から古墳時代までの遺跡がある。

海に近いIII区の砂堆は内陸側に頂部をもち、住吉神社の北で最高28mに達するが、海側に傾斜していて4~5mの崖を持って海岸線に接する(これが現在の状態、筆者注)。この上には弥生時代後期以降の遺跡が分布する。つまり、これが現在の海岸砂丘である。

以上の3列の砂堆については、それぞれの形成時期は特定されていないが、上に乗っている遺跡の時代によって、内陸から順に縄文時代後期、弥生時代前期、弥生時代後期のそれぞれの前の時代に形成されたと推定される。縄文時代後期とは、温暖な縄文前期の高い世界の平均水面(海水準)から数m低下した時代、ここでは便宜的に今から4000年前頃までにI区の砂堆ができたと考える。

II区の砂堆はおそらく今から3000年前までの形成ではないか。弥生時代にも一時的に温暖化と低温化が交代した(海水準の上下変動)時期がある。III区、つまり現代の砂丘が今の形を陸側で造り出しはじめたのは1000年前ぐらいであろうか。

内陸部の砂丘の標高が高くないのは二次的に侵食を受けて低下したのだろうが、浜崖のような急傾斜地形が保存されているように見えるのはなぜだろう。そして、I区とII区の間の切れ目はどうやって形成されたか、というのが平野形成初期の宮崎平野の海岸線と地盤の変化を読み解く鍵になるだろう。

平均海水準の変化は4000年前から現在まで、極めて小さいようである。その変動レベルは、現在でも起こっている変化、たとえば黒潮の流路や勢力の変化で起こる海岸部での水面変化(数m規模)とか、潮汐による干満差(約2m)と同程度あるいは以下、そして台風の高潮や津波のような短期変動(最大5から10m規模)よりも小さい。また、最近の半世紀間の海水準の上昇も10センチレベルと推定されている。そこで、過去4000年の間で海水準変化そのものが卓越した影響を及ぼしていないと考えておく。言い換えれば、この間の海面変動は基本的に地殻と地盤(沖積平野部)の上下変化という前提で話を進める。

推論を進める前に注目すべき問題がある。それは縄文海進の時代(6500年前から5500年前としておく)の宮崎平野の遺跡が、最近、高速道路の建設に沿って次々に発掘されていて、その多くは標高60mから100mのシラス台地に乗っている。それより古い沿岸低地の遺跡は海進時代に海の堆積物下に埋没したものが多いだろう。

外山による縄文海進最盛期、6000年前の宮崎平野の復元で特徴的なことは、大淀川が現在の平野部の下で現在の海水面より最大50m下まで険しい海底峡谷を刻んでいたこと、海岸は現在の平野ではなくて山間部の裾にあって、台地はそこここにあっても平野はなかったことである。この時代の縄文貝塚は古大淀川の支流が山間部から低地に流れ出た場所に沿った台地の上に残っている。つまり、宮崎平野は存在していない(海底にあった)ので、当時の縄文人は複雑に入り組んだ険しい傾斜の山地が直接海にさらされた、厳しい世界に住んでいただろう。関東平野などの縄文人の生活環境と比べて、かなり異なっていたはずである。干潟など浅い海岸は周囲になくて、貝類採取は岩礁のものが主だったかもしれない。ただし、小さい入り江やポケットビーチはあっただろうし、河口には多少の獲物があったらしい。

最大海進期の海岸線として、外山は、最奥部で現在の大淀川河口から約15km上流に遡り、現標高の8~9mと推定した。その場所では地下4mあたりから貝の化石がボーリングで掘り出されている。また、現河口から7km上流の跡江貝塚(縄文時代早期~前期)から出土したものは、下層のシジミから上部(より新しい時代)にハイガイやカキなどに変わる。つまり、沿岸で淡水あるいは汽水から海水に変化したようである。この場所は現在の大淀川が平野部に出たすぐにあって、周囲からみて小高い場所である(現在標高30m以上)。これが宮崎平野で見つかったもっとも古い縄文遺跡で、縄文海進期には浅い海の中の小島だったらしい。

話を海岸に沿った砂丘列に戻したい。

縄文後期から現在まで、宮崎平野は隆起を続けていたようである。4000年前のI区砂堆が出来た頃、その海岸線は砂堆の海側で、現在の海岸線よりも2kmくらい内陸にあっただろう。つまり、その後現在まで、海岸線は2kmほど海に向かって進んだと考えられ、それはおそらく地盤の隆起によっていた。前進速度は毎年0.5m平均である。過去6000年間の九十九里浜の海岸線の前進速度は年平均1.6mと推定されているが、それは宮崎の約2倍の速さである。

海岸部から海底にかけての傾斜、つまり大陸棚上部の斜面の傾斜が九十九里平野と宮崎平野ではかなり違う。海岸から水深100mまでの水平距離で比べれば約2倍違っている。より勾配が強い宮崎平野では海岸隆起の標高1m当たりの海岸線の前進距離は短くなる。単順に比べれば、九十九里では1mの地盤隆起で約400m前進、宮崎では約200m前進となる。

そこで、隆起速度に換算して大雑把にいえば、過去6000年間で九十九里浜海岸は8キロ前進したと推定され、宮崎平野海岸は4000年で2キロ前進した。九十九里浜では20m隆起し、宮崎平野では10mの隆起の計算である。宮崎平野が過去に隆起した高さは、地殻の隆起が一定速度であったとすれば、6000年前に換算して約15mとなって、実際に見て取れる古海水面の標高約9mよりもかなり大きい。九十九里での古海水面の推定高は堆積物の研究で約6m(増田ほか、2001)そして陸上に残った海面の痕跡から調べた結果は約10m(宍倉, 2001)であった。こちらは2倍くらいの不一致である。おそらく、海岸に近接している海岸斜面の計算が実態とよくあっていないとも思われるが、それでも地形と海進速度から想像できる隆起量との不一致は、ひょっとすると地殻隆起のかたわらで、堆積物である沖積層の沈降が起こっているからかもしれない。その差し引きが実際に見える隆起分の標高、と考えればつじつまが合う。つまり、一定で連続的な地盤の隆起は想定できないだろう。

というところで、砂丘列のできる理由を想像してみた。

地殻の突然で大きな隆起(多分1回で2~4m)は大地震に伴って起こるだろう。そしてその後に緩やかな沈降で元の高さに戻ろうとするが、再び地震隆起が起こる、という繰り返しがあることを前提にする。さらに、沖積平野では海底堆積物が陸化する結果、砂粒子の間隙に含まれていた水分が抜けながら堆積層が収縮することも考えられる。時間が経って収縮すれば標高は下がる。また、これには地震による揺さぶりも影響するかもしれない。実際、九十九里平野では最近の地震に伴った小さい地盤低下を観測している。

地盤が一気に大きく隆起し、その後は緩やかに沈降するモデルでは、海岸砂丘はだいたいそのままの地形を保って内陸に取り残され、新たに海側に大きく前進した海岸では新しい砂丘形成が始まるだろう。宮崎平野で、たとえば一気に5mの隆起があれば1kmの海岸線の前進であろう。そこまででなくても隆起が2mあれば400mくらい海岸線が移動するはずである。逆に言えば、そのくらいの移動が一気に起こらなければ砂丘列という不連続な地形構造は出来ないのではないだろうか。

新しい砂丘が成長している間、海岸がほぼ固定されているとして、さらに内陸側では地盤がゆっくり沈降するものとすれば、古い砂丘は沈みながら侵食され、持ち上げられた当初の標高から次第に低くなるだろう。砂丘の後背地に低湿地が形成されるわけである。

大きな隆起後の海岸部で、後で沈降が進んでくると、できあがっていた砂丘の海側の先端部が侵食されて浜崖が発達すると思われる。もしかしたら次の大きな隆起の前に地殻の沈み込みがあるのかもしれない。それが内陸に取り残された砂丘の海側に浜崖地形が保存された理由かもしれない。

さて、上の想像どおりのことが実際にあったとすれば、過去に非常に大きな地震による大規模な地盤隆起を2回想定しなければならない。その時代としては3000年前と1000年前くらいが想定できる。想像を膨らませれば、2000年くらいの間隔で巨大地震が宮崎平野を襲ってきたのかもしれない。次はいつだろうか。

現在、住吉海岸から石崎浜附近にある(侵食性?)浜崖は、一つは海岸林の植林域が海側に拡大されて構造的に固定されたため、バームが洗掘されて出来たものだろう。もし、海岸が緩やかに隆起していて、それに伴って汀線が沖に進んでいれば、洗掘するような波浪が届かないで済んだかもしれない。しかし、実際に汀線は陸側に移動しているので、むしろ地盤の沈降を疑うこともできる。九十九里平野ほどの規模ではないが、一ツ瀬川附近で地下水のくみ上げによる天然ガスの採掘が行われていて、附近の水準点では地盤沈下が記録されている。これ以外に水産養殖やハウス園芸栽培などで地下水のくみあげが盛んだそうである。

地下水のくみあげで起こる沖積層の地盤沈下は都市部で目立って、被害も大きくなったので現在は規制が強化されている。しかし、都市部以外では規制が緩やかである。九十九里浜の砂浜侵食を誘発したのは海岸構造物によって沿岸漂砂の偏りも影響しただろうが、海岸部での急速な地盤沈下の影響で汀線が陸側に移動して、海岸林をガードする構造物、特に護岸に嵐の波浪が強く当たるようになったからではないだろうか。このような砂浜侵食に対して様々な構造物を設置し続けることで、結局は海岸のかなりの範囲で砂浜消失をもたらしたのだろうと考えられる。宮崎の海岸でその二の舞を演じようとしてるが、何がどうなっているのかを理解しないままで従来型の防護対策を講じても、九十九里と同じようなしっぺ返しを喰らうだけであろう。
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by beachmollusc | 2008-09-11 10:36 | 評論

九十九里浜の砂浜侵食

九十九里浜の砂浜侵食問題については、日本財団がスポンサーとなった調査研究報告が出ています。

日本の海岸はいま・・九十九里浜が消える!?
http://www.nippon-foundation.or.jp/ships/topics_dtl/2001475/20014751.html
「日本の海岸はいま・・九十九里浜が消える!?●海岸侵食と漂砂●」
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2000/00008/mokuji.htm
「続日本の海岸はいま・・九十九里浜が消える!?●漁港と海岸線の変遷●」
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2000/01293/mokuji.htm

<現在、九十九里浜だけではなく全国各地の砂浜が侵食傾向にある。砂浜は砂の供給と流失との絶妙なバランスの上に成り立っており、このバランスの崩れは、単に砂浜の減少というだけではなく、生態系や水産業など地域の産業にも大きな変化をもたらし、結果的に人間生活にも大きく影響してくる。こうした自然のバランスをいかに調整するかが、今求められている視点なのだ。>

このように、海岸への砂の供給が減ったために侵食が進んだと説明されていますが、どうも納得できません。隆起性の海岸で、土砂の供給が減れば海側へ陸地が広がることは遅くなる、あるいは止まるだろうが、なぜ侵食が進んだか、という疑問です。また、海岸線は「絶妙なバランスで一定に保たれている」のでしょうか。

海水準(世界の海の平均水面)は変化し続けています。約1万8千年前の地球は氷河の最盛期で、カナダ、アラスカやヨーロッパ北部の陸地は氷で覆われていたことがわかっています。そして現在は間氷期と呼ばれる温暖な時期で、大陸氷河は南極とグリーンランドに限定されています。また、山岳氷河はほとんど消えています。氷期と間氷期の繰り返しで海水面は大きく変動しています。

古環境の復元情報から、地球全体では、1万8千年前に海水面が現在よりも約130m低かったことが推定されています。そして、温暖化が進んだ結果、それが現在の水面まで上昇したわけです。7~6千年前は今よりも温暖で、海水面は現在より数m高かったと考えられています。つまり、氷期が終わって温暖化に進んだ地球では、陸地が海面上昇で急速に海底に沈んだと考えられます。その平均速度は100年に約1mとなります。しかし、6千年前の後、海水面は下降しはじめ、5000年前ごろに数m低いところで落ち着き、その後現在までほぼ一定だったと考えられています。

最近は地球温暖化が大きな話題になっていますが、過去半世紀の温暖化による海水準変動は10cm程度の上昇と推定されています。

日本列島は地殻変動が激しく、場所によって地殻が隆起したり沈降したりしています。さらに、平野部では地下水を大量に汲み上げていて、それに伴い地盤沈下が問題になっているところがあります。地殻あるいは地盤が沈降したら、海岸線は陸側に進みます。反対に隆起していると海岸線が海側に進みます。決して一定不変の世界ではありません。砂浜海岸は、傾斜が緩やかな場所では、わずかな地盤変化であっても大きく海岸線が変化するでしょう。九十九里浜で本当は何が起こっていたか、情報を集めて分析してみました。

九十九里浜のある房総半島は、宮崎と同様で、隆起性の海岸です。地球科学の研究報告が具体的に砂浜の過去の拡大を論じています。(海水準の変化が絡んでいるので、複雑ですが)、大地震のたびに地盤が大きく隆起することが繰り返されたようです。
http://www.geog.or.jp/journal/back/pdf110-5/p650-664.pdf

上の論文では、一つ見落としがあったと思われます。それは最近になって進んだ人為的な地盤沈下です。海岸付近でヨードや天然ガス採掘目的で地下水を大量に汲み上げていて、急速な地盤沈下が起こっていました。自然の地殻変動よりも一桁大きい速度でした。
http://www.env.go.jp/water/jiban/dir_h17/12chiba/kujyukuri/index.html
<昭和45年度の測量では、睦沢町で年間沈下量が11.9㎝、昭和46年度は長生村で同11.2㎝の沈下を記録した。その後、沈下は鈍化しているが、依然として沈下は続いている。
昭和62年度においては、昭和62年12月17日発生の「千葉県東方沖地震」の影響と思われる地盤沈下が局部的に見られ、白子町で9.3㎝を記録している。また、昭和44年から平成17年までの累計沈下量の最大は、茂原市内(水準点№45)で96.0㎝に達している。>


地震で地盤の隆起だけでなく沈下も起こります。特に浅い堆積層が揺さぶられて締まる結果すこし沈下が起こるようです。地殻が大きく上昇する地震でもそれが起こるでしょうが、隆起が大きいので相殺されるでしょう。それにしても、半世紀に約1mも海面が上昇するような激しい地盤沈下が、付近の海岸線でどの程度まで影響していたか確認する必要があるでしょう。

台湾では水産養殖が盛んで、そのために大量の地下水が使われています。本来は隆起性の地盤ですが、平野部では地盤沈下が起こっていて、それが砂浜侵食に影響しているという研究報告がありました。
Human Impact on Coastal Erosion in Taiwan by TW Hsu, TY Lin, IF Tseng - Journal of Coastal Research, 2007 pp. 961–973
http://www.bioone.org/perlserv/?request=get-abstract&doi=10.2112%2F04-0353R.1

宮崎や九十九里浜の空中写真を時系列で見比べたときに気づいたのですが、海岸の砂丘より海側のバームの部分に植林域を1960年代から拡大していた様子がわかりました。また、その海側で護岸などが建設された様子も見えました。 この海岸砂丘において飛砂防止の目的で松の植林や海浜植物の植栽が行われ、自然植生が激しく撹乱されたことを調査して報告した、かなり前の英文論文があります。
Succession on a sandy coast following the construction of banks planted with Elymus mollis. Japanese Journal of Ecology,32:129-142.(ハマニンニクを植栽した堤防形成後の海岸砂丘遷移)
http://biodiversity.sci.kagoshima-u.ac.jp/suzuki/paper/Suzuki1982.pdf
この著者は1995年に下のような論文を日本語で書きました。
鈴木英治 海岸砂丘の遷移. 現代生態学とその周辺:22-28. (沼田真編) 東海大学出版会,東京 379pp.
http://biodiversity.sci.kagoshima-u.ac.jp/suzuki/paper/pap95-2.htm
この中に重要な情報がいろいろありますが、海岸線の移動について、下のように述べています。
<菊池(1959)は古地図との比較によって、九十九里浜中央部で2m/年の速度で砂浜が海に向かって拡大していることを示した。>
<菊池利夫. 1959. 九十九里浜における臨海集落の発達の歴史地理学的研究. 人文地理,11(6):485-498.>

地下水のくみ上げで地盤沈下が起こる以前は、地殻の隆起で海岸線が海側に急速に広がっていったことが地球科学の研究結果と一致しています。昔は砂浜が海に向かって移動して後背地が陸になり、海辺の民がそれに応じて海側に移動し続けたことを物語っています。

波の荒い遠浅の砂浜海岸で砂浜部分を失うメカニズムは明快でしょう。嵐の波が砂丘の裾の部分を侵食しますが、嵐の波をまともに受ける位置に護岸や海岸林を造ることが砂浜の消失を結果として招きます。つまり、嵐の波のエネルギーを食らって侵食されて当たり前の部分を固定するような構造物を造ってはならないのです。侵食は一時的であって、静穏時に元の地形に戻ることがわかっています。海岸の砂は、嵐や波浪で動き続ける活動的な薄い楔状の堆積構造を持っています。砂丘の海側(バーム)で一時的に嵐による侵食が起こりますが、砂は海に運ばれてから、定常的な波浪で陸側に運び戻され、回復することが知られています(ビーチサイクルあるいはビーチプロセス)。海岸に当たっている波は沖から浜にいつも向かっています。外海の砂浜海岸の砂は巻き上げられては附近に沈むような粒として大きさがよくそろったものになっています。

砂の流動は、水深の増大で波の影響が指数関数的に減少するので、深い場所はこのサイクルに関与しません。一方、陸側では飛砂で砂丘が増大する砂分が前浜部分から減りますが、これは砂浜の海への拡大のプロセスの一環ですので、拡大できないとフィードバックで削られて戻るはずです。

空中写真で砂浜侵食問題が起こっている場所を見ると、多くの場所で拡大された植生とその防護構造のところでは嵐の波浪で浸食が起こり、浜崖が出来やすくなっています。汀線から人工構造物までの距離が短くなって、波浪が届きやすくなったと思われます。 宮崎の場合はまだ良くわかりませんが、九十九里浜の場合は、最近の地盤沈下が複合要因となって、護岸あるいは植林された場所の海側で侵食が始まり、それをガードするための構造物の強化が、かえって前面の砂浜侵食を促進させ、砂浜が消えたのではないだろうか、というのが私の見解です。

十分に遠浅ではない砂浜海岸の場合は、普段の波浪が影響しなくてもたまに来る台風などの嵐の大波で構造物の付け根が一気に侵食されるでしょう。そして、自然回復が起こるビーチサイクルをブロックするように構造物での侵食対策を強化すると、さらに嵐の影響を強く受けるようになった海岸では砂浜消失のスパイラルが拡大するでしょう。

護岸がその前浜の砂浜を狭める、あるいは消失させる点を論じた論文の一例です。
Seawalls versus beaches by OH Pilkey, HL Wright III - Journal of Coastal Research, 1988
http://www.westerngrad.com/WebFiles/PDFs/psds_Seawalls_1988.pdf

海岸工学では砂浜の侵食を供給と消失で説明していますが、砂浜を載せている地盤の時代変化とビーチサイクルの存在を考慮していないので、侵食が起こっている場所について無理な説明をしているのではないかと疑っているところです。沿岸流による漂砂が構造物にさえぎられて、侵食と堆積する場所が偏ってしまうことは事実ですが、それだけでは説明できないと考えています。

後背地に余裕がない場合は止むを得ないとしても、宮崎市の海岸は幅広い海岸林によって陸地が守られています。海岸林を海側に広げ、道路を造り、護岸を造ったときから悪夢の侵食スパイラルがはじまっていたのでしょう。その最初の間違いを直さず、追加的に間違った対策を重ねることは税金の無駄遣いではありませんか。自然のままの海辺はしなやかになっています。コンクリートで固めると、一時は効果があっても、嵐と地震の繰り返しで壊れます。壊れるのを直し続けることで消耗するよりも、自然の営みにしなやかに応じる方が気持ちの良い砂浜の自然環境を維持できるはずです。

海岸林の造林および海岸道路と護岸の建設が砂浜消滅を引き起こした主犯であって、砂の供給と消失のバランスシートが崩れて砂浜が消えたと考えるよりも、むしろ海岸林を含む人工的な海岸構造物が次々に建設された結果を受けた自然の反応だったのではないでしょうか。
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by beachmollusc | 2008-09-08 10:01 | 評論

海岸変化は地殻変動と海水準変動の合作 

宮崎県のHPには宮崎海岸について下のような解説がある。
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/shoukou/kougyou/m-geo/4th-n/4x322.htm
 
<最近の一ッ葉海岸の侵食は著しく、海岸線の後退が目立つ。砂丘はやせ細り、砂丘の一部までが直接暴浪に洗われて崩壊し、砂丘崖となっている状態は新潟海岸砂丘の侵食ぶりを思わせる。一般に諸河川からの土砂は移出量の減少と海浜沿岸における土砂移動の阻害は海岸侵食の大きな要因と考えられる。宮崎平野海岸に再び”縄文海進”が起こらぬことを願ってやまない。>

この文書の最後の引用部分、すなわち海岸侵食問題は宮崎市民にとって深刻な問題と受け止められている。そして、海岸侵食が進んでいる原因は上の文章で説明されたものと認識されているだろう。しかし、現場の様子を見ながら過去の空中写真で見られる海岸の変化を時系列で見て行くと、この説明が正しいとは思われなくなってきた。ここでは、その疑念について重要なポイントを説明したい。

上に引用した県のHPでは、説明の前提として以下の文章がある。

<本県の海岸地形は、第三紀末に起こったと思われる地塊運動と更新世末の海退、及び沖積期の海進と、その後の海退ないし沖積作用によって、現在の骨格がほぼ形成されている。海岸線の屈曲は、地塊運動時の地盤の差別的な変位と、その後の差別的侵食とによって生じたものであり、砂浜海岸は主に河川による土砂の供給と波食とのバランスの上に成立しているものである。>

この説明文は正しいが、一つだけ、とても重要なことが抜けている。それは宮崎海岸を支える岩盤が隆起性である点である。

九州大学のバーチャル博物館サイトでわかりやすく展示しているので見て欲しい。
http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/PLANET/03/03-5.html
<地殻のゆっくりとした動きを確実に捉えるために、海成層を用いて12.5万年前の旧海岸線の現在の高度を調べました。当時の海岸線は現在の海岸線の高さとほぼ同一であったので、旧海岸線の現在の高度は過去12.5万年間に生じた地殻上下変動の累積量を示します。
調査の結果、宮崎平野では120mの大きな隆起、熊本平野では80mの大きな沈降、北部九州のゆっくりとした沈降が過去12.5万年間に生じたことが明らかになりました。この動きは過去20万年間続いており、将来も続くと考えられます。>


つまり、九州山地の西側で地盤の沈降、そして東側で隆起が続いているというわけである。

宮崎平野の地盤の隆起速度については、12.5万年前と比べて現在は120m高くなった、というのが地球科学者の見解である。もしそれが一定の速さであったら、10年間に約1cmの緩やかな上昇となる。

ところが、宮崎平野の周辺の縄文時代の遺跡分布を県の総合博物館のデータベースで見ると、そのほとんどが現在の海抜60~100mの、大淀川水系流域の各河川の縁に沿ったシラス台地(噴火灰が積もった場所)の上にある。これは何を物語っているのだろうか。

日本地図センターでは、宮崎平野の地形図を彩色して見やすくした画像をオンラインで閲覧できるようにしている。(日本地図センター彩色地形図閲覧)
http://net.jmc.or.jp/saishiki/MF_SearchSampleDigitalMapEX2.asp?cntLat=31.96181&cntLon=131.4351

もし、縄文遺跡が関東平野の場合と同様に海岸付近にあったとして、地盤の隆起が5000年間で5mだったとしたら、とても不思議なことになる。つまり、一桁違うのである。

縄文時代の初期には「縄文海進」という海面が上昇した時期があり、現在よりも数m高かったと推定されている。その後の、過去約5000年間、現在までの平均海水面は±1m以内の変動だったはずである。世界全体の平均海水面の変動について、地球温暖化問題の検証のために詳しい調査が行われ、地域的な地殻変動による地域的な水面変化と全地球的な変化とが識別できるようになっている。ちなみに、過去1世紀の全世界の海水面上昇は20cm程度と考えられている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Sea_level_rise

海水面がほぼ一定だった過去5000年間に、縄文遺跡のあったところが海抜50mまで上昇したとすれば、地盤の平均年間上昇率は100年あたり1mとなって、かなり急速である。妄想を逞しくした話で、この上昇が事実であったとすれば、九州大学サイトが示した大地震を伴わない緩やかな地盤上昇とは見かけだったのかもしれない。実際は、数百年くらいの間隔で起こった大地震のたびに繰り返し、毎回数mずつ一気に上昇していたのではないだろうか。そして、最近数百年の歴史では、この附近で巨大地震は起こっていない。

なぜ、このように考えるか説明を試みよう。12万年前の(現在と同程度の)温暖期から現在までの海水準(全世界平均の海水面)は途中の氷期の間は約2万年前まで、上下変動はしていたが、低下し続けていた。2万年前の海水面がもっとも低かった時代には現在の海面より130mくらい下だったと推定されている。その後、今より1万8千年前から8千年くらい前までの1万年間は温暖化による連続的な海面上昇があって、100年あたり平均約1m上昇のペースだったと考えられる。

問題は、氷期の最盛期だった、海水面上昇が始まる前の18000年前(海水準が現在より130m下)に宮崎平野がどのような姿だったかである。そこで、地盤の隆起を二つのモデル、すなわち、ゆっくり(100年に0.1m)と早い(100年に1m)にわけて考察しよう。数字はわかりやすく丸めて概数で扱う。

(ゆっくり説)
18000年間ゆっくり上昇を続けた結果、地盤は18mの上昇である。その間に130m海水面は上昇していたから、差し引き高さ112mの陸地部分が水没したことになる。最近5000年間、海水準は上昇していないから、海岸で5mの高さまで陸地が上昇して盛り返しただろう。

その間、海岸と平野はどうなっていたか。18000年前の海岸線は現在の水面下107mの計算となる。現在大陸棚と呼ばれる部分が陸地となっていて、それが当時の海岸平野だったわけである。今の宮崎平野の当時の姿は標高が高まっていただけで姿はあまり変わらず、縄文人は標高50m以上の川沿いの高台に住んでいたので、海の恵みよりも陸の恵みに依存していたのではないか。遺跡から出土する海産物の食べかすは少ないだろうか。

(早かった説)
海水準の上昇速度よりも陸地の上昇速度が全体として勝っていたことになる。実際の海岸の位置関係は、5000年前に現在の標高50mあたりが海岸線で、今の宮崎平野はすべて海面下となっていた。海岸線は今の大分から北部宮崎のような溺れ谷のリアス式海岸地形となっていた。その後の陸地の早い隆起で宮崎平野は陸上に姿を現し、海側に拡大を続けた。ただし、縄文海進の数千年間(今から7000~5000年前頃)は陸地側への侵食と地盤の隆起が拮抗していたかもしれない。

縄文期の遺跡が5000年前の海岸線を示すとすれば、その後の隆起にともなって、新しい時代の遺跡は海側に移動しているだろう。2000年前頃に稲作が始まっただろうが、その頃には宮崎の海岸平野の規模は拡大されていただろう。稲作文化の天孫降臨伝説は、このような状況で東九州に平野が出来てきたことが背景になっていたのかな。

以上は、あくまでも想像に過ぎない。ただし、地盤の隆起傾向は事実であり、問題はそのスピードである。これ以外にも違うシナリオは描けるだろうが、推理の前提となる情報を増やしてから整理する必要がある。

外山 秀一 (著) 古今書院 (2006) 遺跡の環境復原―微地形分析、花粉分析、プラント・オパール分析とその応用 
第4章 沖積平野の形成と遺跡の環境(宮崎平野―大淀川下流域における古環境の復原

という本があることを知ったので注文を出した。これを読むのが待ち遠しい。
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by beachmollusc | 2008-09-05 10:25 | 評論

後だしジャンケンの自然保護 (再録)

中城湾の埋立て問題を振り返ってみて、現在進行中の宮崎市の海岸で計画されているヘッドランド建設計画がダブって見えるようになった。行政的に予算執行が決められた事業に対して、その問題点を後から指摘して反対運動を始めても、行政側に適当にあしらわれてしまう。

いわゆるTREE HUGGER方式、つまり体を張って事業阻止をやろうとしても「威力業務妨害」を理由に排除されるだけで、何も止めることができない。予算が決まる前に問題を浮き彫りにしておかないと、いつまでも昔の同じ構図のままで、負の遺産を増やし続けることになる。海岸構造物を無理やり全国に造り続けた公共土木建設事業が日本の海辺をどれだけ無様な姿に変え、環境を損なったかは計り知れない。

宮崎県でも希少動物として保護対象となっているウミガメの産卵場所の保全を持ち出しても、行政側はトカゲハゼ方式で逃げるに違いない。つまり、保全に最大限の配慮はします、問題を回避するためにできるだけの対策を講じます、といって見かけだけ、そしてムダで余分な費用をかけるアリバイ工作を続けるだろう。そして、それに対する批判と応答という「後だしジャンケン」の応酬が続くことになるだろう。

ヘッドランド建設の問題は、防災が錦の御旗となっていて、国がほとんどの費用を負担することにある。地元の独自予算だけの事業であれば、選択肢の一つとしてさえも考慮されないはずである。実際、海岸侵食が影響をおよぼしそうな生命と財産として、(赤字の?)有料道路くらいしかない。個人的には、無用の長物以下である(海岸林を損ねてる)この幽霊道路の廃止の良いチャンスが来ていると思っているが、善良な宮崎市民はそのような考え方はしてくれないだろう。

フィーニックス動物園の場所の海岸の様子は、空中写真で見る限りでは、30年以上前からほとんど変化していないようである。侵食が起こっているのは港などを建設したアオリであって、その近辺の砂の沿岸流動が乱れたためである。ヘッドランドを建設すれば、そのアオリを拡大させることが予想される。建設側にしてみれば、結果的に仕事が増え続けるのでハッピーであろうが、税金を喰らって景観と自然を破壊し続けることは市民の利益になるだろうか。台風の高波があるごとに大きく損壊して、そのために「災害復旧」事業が続くだろう。大津波が来たときには波を海岸に向けて増幅させるのではないだろうか。地元には何のメリットもない、余計なお荷物となるに違いない。

下に3年以上前に書いた評論を再掲する。行政による合法的な自然環境破壊と戦うときに、希少生物を盾に取る方式は戦略的に効果がないと考えて、あえて書いた文章である。
(表示したリンク先はすでに切れていて見られないものばかりとなっている)
........................
スマトラ沖のインド洋で2004年12月26日朝、大津波が発生して、莫大な数の死者と行方不明者を出し、2週間以上経過した現在もなお混乱が続いている。この津波はクリスマス休暇のさなかに起こり、発生源にかなり近いタイのビーチリゾートであるプーケットなどを襲ったために、世界中から集まっていた大勢の観光客が惨事に巻き込まれてしまった。この時、インド洋の真ん中にあるイギリス領のサンゴ礁島、ディエゴ・ガルシアに軍事補給基地を持ち(http://www.globalsecurity.org/military/facility/diego-garcia-imagery-3.htm)
、常駐艦隊を配置しているアメリカ軍は即座に津波の警戒態勢に入っていたらしい。しかし、それ以外は、ハワイの津波警報センターや日本の気象庁など環太平洋で警戒態勢を24時間体制でとっている組織も、被害が予想される地域に警報を伝え、避難勧告を出すこともできないままに終わった。後付で警報システムの不備などの問題点が指摘されているが、このような大きな自然災害は、不幸にも誰も予想していない場所で、思いがけないタイミングで繰りかえされている。事後に色々な問題点を指摘することは誰にでもできるが、それでは後だしジャンケンにしかならない。

沖縄近海で大津波が発生したらどうなるだろうか。琉球列島では過去に大地震、大津波が繰り返し起こっていることは改めて指摘するまでもないことだが、沖縄県民の間にはなんら危機感は共有されていないようである。新潟県で最近起こった中越地震でも対岸の火事といった風であり、さらにまた、お隣の台湾でも大地震が起こって大きな被害が再三でているが、それを教訓に生かすような被害防止対策などが考えられているという機運も見られない。それどころか、防災上の危険をわざわざ招くような浅瀬の埋め立てや海岸林の破壊が進められているのが沖縄の現状である。

西表島の北には地震の巣があり、群発地震が活発になっては避難騒ぎが繰り返されている(http://seis.sci.u-ryukyu.ac.jp/hazard/recent_event/20040215/20040215.htm)。
ここでもし大地震が発生して大津波が起こったら、特に西表島の北にある海岸で最近建設された大型リゾートはどうなるだろうか。ここの海岸は鳴き砂の砂浜(http://www.bigai.ne.jp/~miwa/sand/03okiniri.html)であり、ナミノコガイとハマグリの一種が生息している。ナミノコガイが見られるのは八重山ではここだけ、ハマグリ属の貝については現在のところ琉球列島でここだけである。ナミノコガイが生息していることから明らかなように、これは外洋から入ってきた波が絶えず当たって砕けている砂浜である。もしも大津波が湾外から侵入したら、ここではサンゴ礁で守られていないので、海岸部分を一呑みにしてから湾奥の川を駆け上がって内陸の奥まで一気に押し寄せるだろう。この浜の海岸線近くに集落は元々はなかったのが、波よけになるはずの海岸林を切り開いてから、渚の至近距離にホテルの建物が建設されている。

沖縄本島中部の沖縄市沿岸では現在泡瀬干潟の埋め立て工事が進行中である。この干潟の埋め立て予定地内で「貴重な」海草藻場の一部が破壊されるということで、環境に配慮した自然保護の名目で、海草の移植が取りざたされてきた。行政側は学識経験者などを含む環境監視検討委員会を何度も開き、実験移植をあれこれやってきた。このような海草の移植がナンセンスであることは、地元民間のマスコミで取材を続けていた記者の目にも明らかな欺瞞、偽善と映っている(http://www.qab.co.jp/content/n-etc/vol24/index24.html)。埋め立てが実行されて地形が変われば潮流や波当たりが変化するから、海草群落だけに注目しても、その位置や規模が大きく変化するだろう。陸地になる部分にあった海産生物の一部を付近に移動させても、それがどうなるかは埋め立てをやってみないとわからない。そもそも移植実験そのものが無意味なのであるが、そのために莫大な経費と時間を費やしてきたし、実験の結果がどうであれ50億円かけて移植を実行する構えのようである。行政として環境に配慮したという実績アリバイ工作だけのためにである。

泡瀬干潟の埋め立ては、その北側ですでに埋め立てが大規模に行われた「中城新港地区」に関連した航路浚渫の土砂の捨て場として事業主体の国と地元沖縄市との利害が一致して始められた公共事業である。中城湾港事務所が出している土地利用計画図(http://www.dc.ogb.go.jp/nakagusukuwankou/tochi.html)を見ると、もしそのままできれば、新たな海岸リゾートの創出となる。そして、その周囲では、「新たな人工環境の創出」には熱心に取り組まれるが(http://www.dc.ogb.go.jp/nakagusukuwankou/aratana.html)、大津波の襲来は全く想定されていないように思われる。

西表のリゾート建設も泡瀬干潟の埋め立ても、地域住民の総意としてこれらの事業が支持されているとは言いがたいだろうが、共に計画段階で地元の行政の長(町長、市長)が熱心に誘致したと言われる。そして、穴のあいている所をうまく突いて、事業は合法的に行われている。たとえば、西表島の場合は、なぜこの海岸が国立公園の中の重要な場所の一つとして保全のための施策の網があらかじめかけられていなかったのか、不思議に思われる。しかし、国立公園の策定時点では、人々の生産活動とぶつからないような配慮がなされ、石垣島の西部海岸にある景勝地でさえ公園地区には組み込まれてこなかったのは地元がそれに反対したからであったと現地で聞いている。

西表のリゾート建設でも泡瀬干潟の埋め立て問題でも、いわゆる「自然保護」を訴え、工事の中止を求める声が上がっている。とりわけその中でも「貴重な」希少生物が損なわれるおそれを訴えている。現場からは新種の植物や動物が次々と「発見」されて記者会見が開かれている。しかし、これらの訴えが一般市民に広く浸透しているとは到底思えない。これはなぜであろうか。これまでの経過を冷静に振り返ると、沿岸開発に反対する自然保護運動が津波のように一般社会で高まらない理由の一つは、事が起こってから後で生物調査などが初めて行われるような、沿岸海洋生物に対する社会的な無関心であろう。そのような状況の中で、調査研究の手が届かず、見過ごされていたに過ぎない希少生物を見つけ出しても、研究者にとってはたしかに学術的に「貴重な」生物かもしれないが、一般社会から見ると、過去に何も価値も縁も無かったものが突如として貴重な存在となることは受け入れられがたいことであろう。そして、一般人の深層心理では、このような後付の訴えは「後だしジャンケン」にしか思えないのではないだろうか。
                                               2005.01.11
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by beachmollusc | 2008-08-21 08:15 | 評論

良い放流と悪い放流

河川や湖沼の水産動物の義務放流に関する問題を前に指摘したが、魚介類の種苗を放流することは、「必ずしも資源の増加につながるわけではない、そして漁獲対象物に疾病や寄生生物をもたらし重大な被害を招く危険があること」について、行政、マスコミ、一般市民に理解されていないことは大きな問題であろう。事業の実施という行為が目的化して、放流事業が資源の涵養、漁獲増加の実績で評価されることもなく、単に予算の消化だけ記録されてきているのが実態である。

放流事業の多くは、対象資源の減少を受けて、漁民の生産支援を目的とした行為だったはずである。しかし、資源の状況、減少の要因などの実態を解明・把握して改善する努力は棚に上げられたまま、資源の持続的な生産を損なうような状況が生じているような場所に放流しても、それが生産に結びつくかどうか危ぶまれるのにもかかわらず、種まきだけが続けられている。

海産の貝類は通常1個体の雌親が百万単位の卵を産む。そしてその大部分は、種類によって環境によって変動するが、数日から数週間、海水中で浮遊分散してから、それぞれ親として成育できるような場所に定着する。

定着する時期の稚貝の大きさは極めて小さく、1ミリの5分の一から3分の一が普通である。浮遊期間中に強風で海水が激しく流動する場合には、親の成育場所にたどり着けない沖合に流され、「無効分散」で死滅してしまう幼生も多いだろうが、その反面、運がよければ稚貝の大量発生となって「貝が湧く」ことにもなる。

浮遊幼生は水中の温度躍層ができるような水塊の境界や渦流の中に集中し、初期稚貝は一定の場所(種場)に高密度に定着する傾向がある。カキの仲間のように固着したまま大きくなるもの、海草などに付着してから育った後に海底の砂泥中に移動するホタテガイ、モガイやタイラギなど、初期定着後に少し大きくなってから二次的に大移動するムラサキイガイやアゲマキなどがある。つまり、二枚貝の中には一度は定着しながら再び移動できるものがある。

ハマグリ類は長い粘液の糸を分泌し、かなり大きくなってからも、流れによる抵抗力を使って水中を「逆さ凧」となって流動・移動する習性がある。これにより、ハマグリ類では移植放流した場所からすぐに消えてしまうことがたびたび報告されている。このような貝を成育に適さない場所に放流した場合には、後で放流個体が回収できないという無意味な結果に終わることになるかもしれない。

定着した初期稚貝が高密度のままで狭い場所に集中して大きくなると餌不足が起こったり、エイなどの捕食者に集中的に食害されたり、病害による一斉斃死に見舞われるリスクが増大する。アサリやハマグリの養殖では、混みあっている種場から間引いた稚貝を成育・養成用の漁場に適当な密度で撒いて育てるという古来の技術がある。しかし、現在の日本の多くの干潟では種場そのものを破壊してしまっているので、この技術は幻となってしまった。これらの二枚貝の資源を復活させるためには、種場の環境保全を基本戦略にするべきであるが、他所から種苗を持ってきて放流する安易で効果が薄い対策しか採られていない。その種の供給も全国的に難しくなっているので、海外から輸入して種苗を撒くような状況が生まれている。外来種のシナハマグリを実際に放流した場所が全国各地にある。

小倉ヶ浜では1969年から最近まで鹿島灘産のチョウセンハマグリを大量に放流し続けている。
http://www4.ocn.ne.jp/~meretrix/mediac/400_0/media/HyuganadaRelease.jpg
ここでの漁獲量の変動と放流との関係を数量的に解析したデータが示されていない。つまり、放流が漁獲量の増加に効果的であったかどうか、肝心な点が検証されていない。稚貝と大きい貝では単価が異なるので、育てて収穫すれば放流された個体数が減少していても経済効果が生まれる可能性はある。しかし、鹿島灘産の小さい個体を放流して大きくなったものをどのように漁獲したのかも良くわからない。放流しっぱなしで結果を待つだけでは科学的な方策と言えない。経済効果がはっきりしない事業で税金の垂れ流しを続けることは行政の無責任行為である。

鹿島灘では稚貝加入が今世紀に入ってから減少していて、近年では移植放流用種苗が出せなくなっているらしい。鹿島灘では種苗を人工的に生産して放流する試験研究が長年続けられている。また、鹿島灘以外のチョウセンハマグリの主要産地、千葉県の九十九里浜でも鹿島灘の種苗を放流しているのが最近の実態であり、海岸侵食に悩まされているこれらの海岸では天然の種苗が大量に湧く状況は期待できそうにない。

チョウセンハマグリの集団は同種であっても地理的な変異がある。鹿児島県の種子島から宮城県本吉町の長須賀海岸までの日本各地の貝を比較検討中であるが、分子集団遺伝的な手法を用いた比較、そして殻の色彩・模様、そして形態を比較した結果、地域的な特徴が明瞭に認められている。たとえば、鹿島灘集団と小倉ヶ浜集団を比べると、殻のプロポーションの値が異なっていて、集団内で個体として重なり合っている部分はあるが平均値では鹿島灘集団の方が小倉ヶ浜集団よりも殻の膨らみが弱くて横から見た殻の高さが小さい。

殻の形は環境の影響を受け、複雑な遺伝要因が絡むのでわかりにくいが、遺伝的に単純な色彩模様の出現頻度を見ると集団間でかなり違っている。荒っぽく人類に比較して言えば、アジア人と西洋人の違いのようなレベル、つまり体格、髪の毛や眼の色の違いなどがあるような調子で、チョウセンハマグリの集団は日本国内の各地で分化を遂げ、それぞれの場所に固有な集団になっているようである。海流による幼生分散で連結されているため、近接した集団は互いによく似ている。しかし、黒潮流域の太平洋、東シナ海、日本海そして親潮流域でそれぞれ違っている。

同じ日向灘の海岸でも、かつてはチョウセンハマグリの殻の形と厚みが地域的に違っていたことが記録に残っている。残念ながら現在は小倉ヶ浜以外の集団が消滅してしまっているのでその再確認は出来ない。小倉ヶ浜の貝は特別に殻が厚く、貝殻から碁石を作る目的に適していたようである。もし、このような形質が遺伝的に固定されていたものであったならば、鹿島灘などの他の場所の貝を移植放流して遺伝子を混ぜることは望ましいとは思われない。国際、国内を問わず、地域間の移植放流を無批判に実施してきたのがこれまでの日本の水産行政であったが、集団遺伝を基礎においた移植問題の本質に迫る科学的な検討が必要になっている。やって良い放流と悪い放流を分けて考えるべきである。

写真は延岡市北部の漁業基地、浦城で見かけた看板である。漁業権が設定されている対象が多岐にわたっているのが驚きである。この近くの下阿蘇海岸はチョウセンハマグリの産地であったが、今は消滅していてリストに含まれていない。
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by beachmollusc | 2008-03-07 11:08 | 評論

無意味な義務放流

豊かな海つくり、などという行事が、やんごとない方々とか子供たちを巻き込んで、日本各地で繰り広げられている。マスコミは(水産資源問題の現実には眼を向けないまま)これを好意的に報道し、一般市民は水産資源を養う努力が続けられている、と受け止めているだろう。このような官民あげての努力にもかかわらず日本の漁業生産の衰退が改善されずにいるのはなぜだろう。

下の図は日本の漁業生産量の経年変化である。1980年代のピーク時代には約1200万トンあった養殖を含む全漁獲量が、最近の実績で600万トン前後と半減している。
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海外の漁場から締め出され、遠洋・沖合漁業の燃料コストは増大し、漁船員にはなり手がいなくて、海外から「研修生」という現代版「ジャパ行きさん」制度を国の補助金でやっているしまつ。沿岸漁業の建て直しが重要課題であるが、水産庁は小規模漁業者を絶滅させるような行政運営を強化している。さらに、漁獲量の減衰を補う形で伸びてきた養殖は頭打ちになっている。一部の水産関係者によって「大本営」とあだ名を付けられている水産庁は、行政の手詰まり状態を打破するために、南氷洋商業捕鯨の再開による日本漁業の建て直しを訴えることで、当面の仮想敵「過激派、自然保護団体」に市民の関心をそらせる作戦をとっているようだ。

一方、河川の資源、アユ、ウナギ、シジミそしてハマグリなどについては河川漁協に対して行政指導による「義務放流」という制度があるようだ。漁業権の認可条件として、これらの主要な(減衰の著しい)資源の増殖につとめなさい、ということらしい。日向市の行政資料をオンラインで調べていたときに、ハマグリやアサリが放流されることに「補助金」が支出されていることを見つけ、当地に移住してから河川漁協の理事長さんなどとの情報交換を通じて、その実態がいかなるものかを知った。結論は、今の姿でこの「公共事業」を継続することは無意味であり、税金の無駄遣いに過ぎない。なお、ハマグリが河川漁業の対象になっていることは不思議なことかもしれないが、宮崎県では外海に生息するチョウセンハマグリが海域漁協の(第一種)漁業権対象となっているのに対し、河川の河口部に生息するハマグリは河川漁協に対して漁業権が認められている。

ウナギの放流は、河口部でシラスウナギを養殖のために大量に採って、産卵・再生産するべき親ウナギに育つものの数を減少させていること(その乱獲を行政として適正に管理していないこと)に対する補償が目的であるはずだ。そのために必要な放流用ウナギは、天然ウナギがどこかで余っているわけではないから、養殖されたものから間引くしかないことになる。ここで、ウナギ類各種(ニホンウナギ、ヨーロッパウナギほか)はウナギ、ハマグリ類各種(ハマグリ、チョウセンハマグリ、シナハマグリほか)はハマグリと言って、分類はもちろん資源の系群(ストック)の識別に全く無関心である水産庁は、総称の範囲にあるものならば「どの種でも放流してよろしい」という行政をやってきた。これは多分、水産庁の官僚たちが「いきもの」としての水産生物に関心が乏しく、生産・流通する「もの」としてしか興味がなかったということを裏付ける証拠であろう。

ブラックバスやカムルチーなどは遊漁対象として多くの人々に親しまれている一方で、在来種、特に琵琶湖などの固有種に生態的な悪影響を及ぼすとして環境保全問題になっている。しかし、ヨーロッパウナギやアメリカウナギがすでに外来種として日本に定着していることはほとんど知られていないし、問題としてとりあげるメディアもない。関係者たちは、いずれ成熟して海に出て河川や湖沼から消えてしまうだろう、と「期待」しているだけかもしれない。

大西洋のウナギたちは、ニホンウナギと同じように、成熟した個体がそれぞれ多くの別々の出発点から回遊して、結果的に大体同じ海域に集合して産卵集団を形成するようである。同じ場所に集まって同時に放卵・放精しないと子孫は出来ないので、それぞれが集合する目的地に到達するような仕組みを持っているのだろう。日本や中国沿岸から出発するヨーロッパウナギの成熟した個体の運命やいかに。日本でヨーロッパウナギが大量に放流されてから、親ウナギに育つまでの時間は十分に経過しているので、そろそろ、再生産した外来シラスが混ざってとれているかもしれない。また、ヨーロッパウナギとニホンウナギが交雑した雑種も誕生しているかもしれない。しかし、そのようなことが実際に起こるためには多数の親ウナギが産卵回遊に出ていなければならないだろうから、多分調べても検出できないと想像される。ニホンウナギにはもちろん、ヨーロッパウナギにとっても日本の河川や湖沼は住みにくい環境になっていて、放流されても成熟するまで育つ個体は少なかっただろう。

外来種としてのヨーロッパウナギが在来種のニホンウナギに対して生態的な優位性を持っていて、生存競争関係で悪影響を及ぼすかもしれない、という見解もある。しかし、現実を見つめれば、餌や生息場所などについて生態的な競争関係が発揮されるような「健全な」環境が大きく失われている。つまり、資源を増強させるための種苗を放流しても、十分に生き残れないような生産環境を構造的に完成させている。その結果として、予算が消化されるだけで、流通業者の利益があるだけで資源について何の経済効果も検証されない放流事業が蔓延しているようだ。ウナギの放流事業の場合は、特異的な産卵生態のおかげで、放流効果の検証・実証が極めて難しい。それをよいことに、行政主導の放流事業には養殖場の落ちこぼれになった規格外の個体が中心になり、外来種までが充当されてきたというお粗末。いったい何をやっているのだろう。

(貝類の放流について、次回につづく)
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by beachmollusc | 2008-02-26 09:58 | 評論

資源変動と海流

昨年の初夏(?)に生まれてから数千キロの旅を続けてきたシラスウナギが日本の河川、
河口に接岸する時期のピークを過ぎようとしている。

今年度のシラスウナギ漁はきわめて不漁となっているようだ。

ウナギはどうやって来る(回遊)
http://www.unagi.jp/maker/process/trip.html
光の乱舞 シラスウナギ漁・・・高知・四万十川河口http://osaka.yomiuri.co.jp/season/20080206kn05.htm
水面彩る「シラスウナギ漁」 吉野川・那賀川河口で本格化
http://www.topics.or.jp/contents.html?m1=2&m2=&NB=CORENEWS&GI=Kennai&G=&ns=news_120157134231&v=&vm=1

出発点である産卵海域が黒潮源流の東沖にある。卵から孵化したレプトケファルスは
西にゆっくりと時間をかけて流されてから、黒潮に乗って、急速に北上してくるらしい。
その時代に食べる餌が良くわからないのが、卵からの人工飼育でネックとなっている

黒潮源流海域では北東からの貿易風で表面海水は西に向かって流れているだろうが
産卵期から後の時期は貿易風が弱まり、流れも弱まっていることだろう。そして上下の
水深移動をやっているらしいので、下層の反対向きの流れなどで拡散を続けるだろう。
黒潮本流で流されると、黒潮の東側で乗った後で、流軸の西側に運ばれにくくなると
想像される。

黒潮は浮遊して受動的に流動しているものを南から北に運ぶが、その流軸を中心に
して東西の表層流動のバリアーになっているらしいことに注意が必要である。たとえば、
イセエビの浮遊幼生は、黒潮の西側海域に運ばれるチャンスが乏しいらしく、九州西岸
の沿岸南下流が卓越していることもあって、日本海にはほとんど流れて行かないようで
ある。

黒潮の流域沿岸の主な漁場でイセエビの漁獲量は同調して増減する傾向がある。

シラスウナギの漁獲量について主な河川ごとのデータがオンラインではわからない。
これは、おそらく、九州西岸は除いて、太平洋の黒潮流域沿岸で年度ごとの増減が
シンクロしているのではないだろうか。この想像が当たっていれば、それはウナギの
単一ストック仮説を裏付けることにもなるだろう。また、台湾などでのシラスウナギの
接岸量の変動もシンクロしているかもしれない。

さて、中国大陸の河川に泳ぎ着くシラスウナギの量はどのくらいだろう:これがよく
わからない。もし中国沿岸で大量にシラスが漁獲されるならば、それが高値を呼ぶ
日本に流れてこないはずがないし、中国がヨーロッパウナギのシラスを大量に輸入
することも必要ないだろう。黒潮が西方向の流動のバリヤーとなっているならば、
台湾以西に向かうシラスは少ないだろうし、さらに日本海まで流されるものも少ない
だろう。しかし、イセエビと違って、ウナギは日本海沿岸でかなり漁獲されているよう
なので、このあたりがどうなっているのか、知りたいものである。

以上のような想像や空想はウナギを扱っている専門家は当然気づいているだろう。
このような海洋学的、生態的な全貌が、ウナギが自然界から消える前に解明される
ことになるだろうか。

<追記>
上を書いて投稿したすぐ後に、注文してあった本「ウナギ 地球環境を語る魚」 井田
徹治著、岩波新書1090 (2006年6月出版)が配送されてきて、一気に読み終えた。

学術、社会の両面について調査して取材され、文章も読みやすい良い本です。
これを読んで新しく知ったことは特になく、自分がわからなくて困っていることはやはり
わかっていないことだったのを再確認できた。

研究者レベルで東アジアのウナギ資源に関する情報交換の組織が出来ていることは
初耳であったが、水産庁をはじめ行政の取り組みが無いに等しいことは再確認した。

著者が締めくくりで書いた文、「日本人はどこかで、ウナギとの付き合い方を間違って
しまったのではないだろうか。小川や水田、溜池や干潟といったウナギにとって重要な
場所を次々と破壊した結果、ウナギはいつの間にか遠い存在になってしまった。」
全く同感である。

写真は塩見川の河口(小倉ヶ浜)に集合していたカモメ(多分セグロ)たち。
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by beachmollusc | 2008-02-24 11:58 | 評論

ウナギのストック

ストック(STOCK)という言葉は水産資源学では「系群」と呼ばれている。その学問的な定義はあいまいなところが残っているが、水産資源を持続的に利用する、つまり資源動物の再生産を維持し、(生産力の余剰から間引く)漁獲(とその基礎となる生産環境の保全)を続けるように科学的、合理的な管理を目指すための基礎単位と考えればよいだろう。
参考図書:
Stock Identification Methods: Applications in Fishery Science
Edited by Steven X. Cadrin, Kevin D. Friedland and John R. Waldman 
736ページ Elsevier/Academic Press (2004)
(この本の複数の章で、ウナギ類のストックについてかなり詳しく述べられている)

生態学の一分野として発展中の保全生態学では野外生物の集団を守る(あるいは有害生物を管理:排除する)ための基礎単位をどのように捉えるべきか、という課題がある。水産学と同様に、野外の生物集団を人為的に管理することが目標になった場合には、その繁殖・再生産の単位が時間的、空間的にどのようになっているのかを理解して具体的な方策を考えることになり、その単位は水産学の系群とほぼ同様な概念となる。ウナギの場合は水産資源の一つであると同時に河川・湖沼の生態系の中で高次捕食者として重要な野生動物であるから、水産学と生態学を融合させた広い視野での調査研究が必要である。

ウナギのストックを考えるためには、海洋学的な問題、つまり産卵場所とタイミング、そこで生まれた卵・稚仔魚の流動・分散などに関する情報が重要であることはいうまでもない。これについては東大海洋研究所の塚本研究室の皆さんなどの努力によって解明が進められてきた。産卵場所と産卵期がほぼ特定された結果から考えると、日本だけでなく東アジア全体のニホンウナギのストックは、おそらく同じ狭い海域から生まれ出て広がっているのだろう。これから解明されるべき重要な問題は、その産卵場に集まってくるウナギ、言い換えれば産卵集団を構成する親ウナギたちはどこからどのくらいの数が来ているかであろう。日本沿岸から産卵場に旅だっているものはどのくらいあって、どの程度貢献しているのだろうか。

ニホンウナギたちの未来:このままの状況が進むと絶滅が待ち受けているかどうかを占うためには何を知る必要があるのだろう。ニホンウナギの単一ストック仮説が正しければ、日本だけの資源管理の取り組みでは不十分となることは明らかである。クロマグロの漁獲を日本沿岸でいくら自主規制しても、東シナ海の産卵場に回遊する親マグロを台湾や中国の漁船が乱獲したらおしまいになるのと同様であろう。http://www.nissui.co.jp/academy/market/08/market_vol08.pdf

東アジア諸国の共有財産となっているウナギ資源については、国際協力によって維持管理できるような「枠組み」を構築しなければならないが、水産庁(と外務省)はこの重要課題を放置してきたのではないだろうか。これは資源の分捕りあいのための政治的な利害調整の次元のみでやるべき課題ではなく、科学的な情報を十分に集めて合理的な判断を下せるようにする必要があるだろう。日本はウナギの最大の消費国であり、リーダーシップをとるべき立場にある。

写真は宮崎県南郷町の港の駅にて2月13日昼、県知事が来てカツオの無料配布が行われる寸前。
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by beachmollusc | 2008-02-23 10:08 | 評論