beachmollusc ひむかのハマグリ


海辺の浅瀬は水産動物のこども達のゆりかごです
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海辺の自然を取り戻そう
 自然の恵みを後世に残すためには、その生態と環境を深く、よく知ることが基本です。

 海岸の浅瀬、干潟や砂浜は資源生物のゆりかごです。
しかし、それにおかまいなしに埋立てや海岸構造物の建設、水質汚染も加わって、日本中の水辺、海辺の環境は撹乱され、破壊されてしまいました。その結果、ハマグリなど干潟の動植物の多くが絶滅危惧種となっています。

 このブログでは、主に砂浜環境の保全を念頭において、日本各地の山、川、海の姿を調べて見てまわったこと、
そして2006年5月に移住した日向市の海辺と里山の様子や生き物などを紹介します。

このブログにリンクを張ることはご自由にどうぞ。

    - 自己紹介 -

大学院博士課程修了後7年間の海外での研究と28年余り大学教員をしていました。

海の無脊椎動物(貝、ヒトデ、サンゴ、クラゲなど)が専門、自称の学位は Doctor of
Underwater Marine Biology
(DUMB:バカセ)

楽観的な悲観論者または悲観的な楽観論者:生態的に無理をしている人類の滅亡は近いだろうが、それも自然の摂理じゃないのかな

せっかちな慎重派:ゆっくり
見極めて急いで集中的に
お仕事します

好きなもの:日本蕎麦が一番、パスタ・スパゲッティ、うどんもよし、つまりメンクイです

嫌いなもの:人混み、投棄ゴミ、マスゴミ、脳衰官僚

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<   2008年 08月 ( 32 )   > この月の画像一覧


石崎浜荘前の海岸(石崎浜)の護岸建設と試験養浜の後の変化

国民宿舎石崎浜荘の前の海岸では2006年から2008年にかけて護岸部分で「試験養浜」が実施されてきた。

この場所の1974年の空中写真はオンラインで、検索サイトから見つけ出すことが出来る。
国土地理院の空中写真CKU-74-11_C1_33、2月から4月の間に撮影(日時未特定)
http://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WF_AirTop.cgi?DT=n&IT=p

1993年の空中写真は海上保安庁の空中写真閲覧サービスサイト、
http://www4.kaiho.mlit.go.jp:8082/Air_code/INDEX/s_index00.htm
のなかで検索して下のURLから1993年5月25日(干潮時)の写真:
http://www4.kaiho.mlit.go.jp:8082/Air_code/ASP/ps_hyouji.asp?kanku_htm=s_index09.htm&hyouteizu_id=4731

2006年の空中写真は国土交通省が公開している8月6日のもの:
http://www.qsr.mlit.go.jp/miyazaki/html/kasen/sskondan/pdf/kaigan_kusatsu.pdf
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スケールは表示していないが、新しい写真に見える海岸林の幅が約500mである。

以上の3つの年代の間での変化は2006年から始められた試験養浜以前の海岸堆積と侵食について考察する基礎資料となる。

この間に海岸で起こっている変化は、海岸林の海側への拡大植林が完成して、砂浜の幅が狭まり、海岸の上部構造(バーム、berm)が嵐の風浪で浸食されにくくなり、いわゆるビーチ・サイクル(嵐で侵食、その後に静穏時に回復、つまり、海岸の砂の変化と動的平衡状態の維持)が阻害されるようになったと考えられる。また、飛砂が内陸に飛んで砂丘が成長することも食い止められているようであるす。

砂浜の環境と生態について水産学から見て詳しく解説したサイト:
http://www2.fish-u.ac.jp/LCEC/beachecology.html
その中から引用する。

<沿岸州が形成されるタイプの海岸では通常沿岸州の上方で砕波が生じますが(砕波帯),そこから汀線までの範囲がサーフゾーンと呼ばれている領域です.サーフゾーンから沖側で,堆積物が波浪の影響を受けなくなる水深(移動限界水深)辺りまでを近岸帯と呼びます.一方,サーフゾーンから陸側で,砂丘の基部辺りまでは半陸性の環境となります.サーフゾーンと半陸生環境の境界が汀線になりますが,毎回の打ち上げ波は汀線付近を上げたり下げたりと移動し,冠水と大気への露出を繰り返しています.汀線をはさみ冠水と露出を繰り返す部分を遡上波帯(図5右)と呼びます.砂丘基部から移動限界水深辺りまでが狭義の砂浜になりますが,Brwon & McLachlan (1990)はそれに砂丘部分も含めて活動的沿岸帯(Active littoral zone)と呼び,砂浜海岸の保全にあたっては少なくともこの範囲全体を考慮すべきだとしています.>

活動的沿岸帯とビーチ・サイクル(ビーチ・プロセスとも呼ばれる)の概念が砂浜侵食を議論するときに重要になります。すなわち、嵐の波浪で砂浜の活動沿岸帯の堆積状態が大きく変動し、地形が変化します。平均的な海況で形成される地形が嵐のたびに変化し、特に砂丘から下は一時的に大きく侵食されることがあります。しかし、ビーチ・サイクルによって海側に運ばれて潮間帯より深い場所で堆積した砂は、静穏時に次第に砂浜に寄せられて堆積します。砂丘は砂浜からの飛砂を受けると堆積が進みます。

バームでの植林で砂浜の(活動)上部構造を固定したことは、嵐の波浪でその付け根の侵食を促して、浜崖を発達させたようである。砂丘の増大はストップしたであろうが、代わりに砂浜のスロープが変化したらしい。護岸でも同様で、潮間帯の砂が沖に移動して堆積するのでサンドバーがよく発達するのであろう。海岸線から少し離れた沖合いで波が砕ける列が明瞭になる。これは堆積物の移動による地形の変化であって、砂浜は結果的に侵食されて縮小したように見える。海岸線が次第に陸側に後退してゆく本当の海岸侵食ではなくて、構造変化にすぎない。

一般人にとって砂浜はバームから潮間帯までの部分であり、それが縮小することは、堆積構造の変化であれ侵食であれ見た目は同じである。しかし、海岸の保全管理を10年から100年のスケールで考える時には、非常に強いあるいは猛烈な台風による一時的な砂浜侵食は10年から100年のスケールで繰り返されるので、それが影響する「沿岸活動帯」には被害を受けると困るような施設とか構造物を建設するべきでない。

試験養浜については、海岸侵食対策検討委員会用の資料が公開されています。

本編(全体の流れを人工ヘッドランド建設に誘導する意図が明確な文書、この中で沿岸の海底の深浅測量に基づく砂の堆積、侵食のバランスの変化を図示)
http://www.qsr.mlit.go.jp/miyazaki/html/kasen/sskondan/shinsyoku/pdf/01/06_honpen.pdf
別冊(関連する技術的な情報が抜粋されている、試験養浜の詳しい情報23-35頁)
http://www.qsr.mlit.go.jp/miyazaki/html/kasen/sskondan/shinsyoku/pdf/01/07_bessatu.pdf

懇談会向けに編集された資料(一般向けに概略を示している)
http://www.qsr.mlit.go.jp/miyazaki/html/kasen/sskondan/conference/pdf/01/material01.pdf

第2回検討委員会で、石崎浜で実施された試験養浜についての報告がある(46~56頁)
http://www4.kaiho.mlit.go.jp:8082/Air_code/ASP/ps_hyouji.asp?kanku_htm=s_index09.htm&hyouteizu_id=4731

第3回検討委員会資料
http://www.qsr.mlit.go.jp/miyazaki/html/kasen/sskondan/shinsyoku/pdf/03/02.pdf
http://www.qsr.mlit.go.jp/miyazaki/html/kasen/sskondan/shinsyoku/pdf/03/02.pdf

石崎海岸には(平均で約500m)幅のある海岸林があって、内陸部はしっかり守られているように見える。これは大淀川から一ツ瀬川までの海岸線で、最近建設された南部の港湾部分を除いて共通の姿である。チリ津波の時に宮崎県の被害が軽微だったとされるが、このガードがよく効いたのではなかったか。

この石崎海岸では内陸部を守るために護岸(1キロ近い長さ)を建設したことで、海岸の堆積が変化して嵐の後で砂浜部分が縮小したのだろう。

護岸が出来た後で砂を浜に入れても、それは嵐のたびに再調整されてしまう(潮間帯部から消えて見えなくなる)だろうから、砂浜の幅を維持する目標を立てたら、消えるたびに永遠に砂を入れ続けることになるだろう。護岸を撤去してしまえば、少なくとも1993年の状態に戻ることが期待されるが、建前上海岸全域で侵食が進んでいることにしているので、それはオプションになりそうにない。

第三回の委員会資料でもデータが出ていたが、石崎浜の海岸に撒かれた砂は北上したり南下したり、変動を繰り返している。繰り返される嵐にもまれて散っているわけである。一ツ瀬川から大量に土砂が吐きだされているし、それが石崎浜を養っているように見えるが、建設に都合があわないデータはなかったことにしているのだろう。

宮崎の海岸では、大きな河川が急峻な山地から土砂を海に供給してそれが大量に堆積し、海に向かって広がり続けている状態、つまり堆積環境にあるはずである。ダムで流下を食い止められている量とか河川から土砂を採掘した影響は、堆積のスピードを緩めただろうが、そのタイムスケールから見て、すぐに海岸の後退(本物の海岸侵食)につながっているとは思われない。要するに、人間が最近になって海岸の環境と活動構造を撹乱した結果で、見た目の海岸侵食(実際は局地的な地形変化)が起こって、我々が狭い意味で考えている「砂浜」が消える「侵食問題」が生じていると考えるべきである。
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by beachmollusc | 2008-08-31 21:34 | 海岸

田んぼ湿地のリセット

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休耕田を湿地として放置していたら、芹の一斉開花が終わり、その後草ボウボウで始末が悪くなってきました。ヘイケボタルの生息地としては不適当な状態になったと考えていたところ、これをリセットしてもらえることになって、先週末には草刈と整地(ユンボが出てきてあっと言う間に完成)が終わりました。少し深めに掘り下げて、畦を高くし、水が溜まる場所を水路の形につくりました。終わった後で泥が収まってから見たら、大きいのや小さいドジョウがかなりいました。メダカはほとんど消えていたので、後で飼育タンクから移植するつもりです。

この湿地にこれまで草の陰に隠れていたドジョウの姿が見えるようになって、早速やってきたのが隣の川に棲んでいるカワセミでした。川から湿地に水を補給するポンプに送電する電線にカワセミが止まって、下のドジョウを狙っていました。ただのデジカメで手持ち撮影で、これが限界です。カワセミであることはわかりますね。
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by beachmollusc | 2008-08-30 10:50 | 田んぼと里山

一ツ瀬川の河口の昔の姿

国土変遷アーカイブ
空中写真閲覧
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/index.jsp

古い空中写真を購入するつもりで国土地理院サイトにアクセスしてみたら、これが最近公開されていたことを発見しました。宮崎市から日向市までの沿岸部の古い空中写真を見ることが出来ます。画像のダウンロードとプリントは出来ないようにガードされているので、ここで実物を貼り付けて紹介することは出来ません。

一ツ瀬川の河口部の1947年と1948年(米軍)と1966年、1971年の写真を見つけて、再び、本当にびっくりしました。

1947と1948年の写真では、河口は川の流路のほぼ延長線上にあり、佐土原側の河口海岸には短い砂州がありました。川の北側には奥深い入り江が見えます。

ところが、1966年の写真では河口が北の入り江側に移動していて、佐土原からは長大な砂州が出来ています。よく見たら導流堤のハシリのような構造物が入り江の中に建設されています。

1971年の写真は1974年のイメージとほとんど変わらず、導流堤の北側がほぼ完成していて、河口は南側に移動しました。これは入り江のところで仕切られた結果でしょう。
1966と1971の写真を二つ並べて比較するアーカイブの設定で見ると変化がわかります。
(1966年はMKU665X-C3B-9、1971年は MKU711X-C5-15の写真ID)

つまり、導流堤の建設の進行に伴って、河口は一時期は北上した後で南下しています。砂州がそれにつれて大きく変化していました。海岸の構造物の影響で海辺の姿が激変していました。

http://www.pref.miyazaki.lg.jp/parts/000095218.pdf
このファイルには1902年、1935年、1953年、1968年の河口の様子が図解されていますが、それを見ても昔から一ツ瀬川の河口と砂州の姿は大きく変化し続けています。

古い写真はさておき、2005年の写真が公開されていました。この写真では導流堤の南側で砂州がすでに離れていて、川には濁流が流れています。この写真の撮影日は10月17日で、その年の台風14号(9月に接近)の後の濁流の様子が見てとれます。この時点で砂州が導流堤から離脱していたことがわかりました。この時は佐土原の河口でわずかに砂州が残っていたのが、2006年8月にはそれも消滅したということです。

{追記}

1948年から1966年の間の大きな砂州の変化はどの台風が犯人か、特に強かったものの個々の履歴をチェックしました。台風情報アーカイブは1951年以後のものだけなので、その中から拾い出しました。

1951年 15号 1951.10.14 接近時の最低気圧 929 hPa 九州中央を北上
1954年  5号 1954.08.17  940 直撃(西から東へ抜ける)
1954年 12号 1954.09.12  945 九州中央を北上
1955年 22号 1955.09.29  940 同上
1961年 18号 1961.09.15  920 東側沖を北上、四国に上陸
1964年 20号 1964.09.24  930 直撃(南西から北東へ抜ける)
1965年 15号 1965.08.05  950 九州中央を北上
1965年 23号 1965.09.09  940 東側沖を北上、四国に上陸

これだけ数多くの台風に見舞われたことから、どの台風がどうだったなどということはできないが、この期間に大きな変化があったのは不思議ではないと言えるでしょう。ただし、古い台風の影響はより新しい台風の力で上書きされると思われるので、1966年の状態は1964年から1965年にかけて相次いだ3つの強い台風の力が働いたと考えるのが妥当でしょう。

次に、1966年から1971年にかけての大きな変化をもたらした台風を考えると、

1968年 16号 1968.09.24  950 hPa 接近後、九州西岸で数日間停滞
1969年  9号 1969.08.19  960     南西から北東へ抜けて直撃

1971年の空中写真は4月に撮影されていたので、その年に来た2つの台風は無関係として、上の2つの台風の影響が重なり合っていたのだろう。

{追記2}
アーカイブには1962年8月19日撮影の一ツ瀬川河口の空中写真(MKU6212X-C3B-11)があったのを見落としていた。これと1966年9月29日撮影(MKU665X-C3B-9)と並べてその間の河口周辺の地形変化を見ることが出来る。

この期間に起こった砂州の変化としては、河口部の切れ目がかなり北上したことである。北側の入り江の中では陸地側に護岸が建設されている。

1962年の時点で、河口部に人工的な構造物は認められないので、1948年から1962年までの変化は構造物に無関係であったが、その後に次々と護岸と堤防が建設され、それが一ツ瀬川の流れ、河口の移動と砂州の変化をもたらしたのだろう。

上のはじめの追記で述べた「1966年の状態は1964年から1965年にかけて相次いだ3つの強い台風の力が働いたと考えるのが妥当でしょう。」は正しかったと考えられる。また、1948年と1962年の間の大きな地形変化は1961年の18号台風の影響が強かったのかもしれない。
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by beachmollusc | 2008-08-29 21:09 | 海岸

一ツ瀬川の河口の短期変化

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1993年5月と1995年3月の間にどのような変化が起こっていたかを調べた。
モノクロ写真から読み取れる情報は限られるが、写真の中に記載した変化があった。

この期間に宮崎を襲った台風は2つ、共に1993年で、5号が7月18日早朝に接近し、994ヘクトパスカルで暴風域なし、最高風速45ノットであった。志布志湾に上陸し、中心は日向灘の西側の陸上をまっすぐに北上したと観測された。

<ノットとは速さの単位です。1ノットとは1時間に1海里(nautical mile)を進む速さを意味します。このウェブサイトでは、台風の中心付近の最大風速や、台風の動きの速さを表す時に用います。換算式は1kt = 1.852km/h = 0.514m/sですので、ノットの値を半分にするとm/sの値が計算でき、倍にするとkm/hの値が計算できる、と覚えればよいでしょう。>
http://agora.ex.nii.ac.jp/digital-typhoon/help/unit.html.ja

台風の区分(10分平均最大風速). 34~63ノット: 台風. 64~84 ノット: 強い台風. 85~104ノット: 非常に強い台風. 105ノット以上:猛烈な台風、と気象庁の階級区分があります。

次の13号は9月3日の午前中に薩摩半島に上陸して、宮崎の海岸のすぐ西側を北東に進み、大分県南部から豊後水道に抜けた。宮崎に接近した時の勢力は午前9時に925ヘクトパスカルで最高95ノット、宮崎ではほぼ半日間、暴風が続いたと思われる。これが非常に強い台風だったのです。その後に1995年3月までは台風が接近しなかった。

海岸林が相当痛んでいて、台風13号通過の1年半後でも痛々しい姿が読み取れる。しかし、海岸の砂浜は見てすぐわかるような変化は認められない。変化した場所は浚渫などが行われたと考えられる(直線的な輪郭の変化である)。

13号台風は、宮崎の日向灘の海岸線に対して東からの大波を打ちつけ続いたはずである。南に中心があったときは北東風、そして通過後の吹き返しは南東風だったであろう。(当時の風の記録データは手元にないので、詳細は確認が必要)

自然状態の海岸では、過去に繰り返された多くの台風の洗礼を受けており、通常のコースと強さの台風はそれほど大きな変化を海岸にもたらさないと考えられる。ただし、コースが普通と異なって、波浪の当たる角度が変化すると、思いがけないことが起こるかもしれない。

このような嵐が海岸の構造物に波をぶつけて、浅い海底の堆積物を巻き上げながら流動させる様子は想像を絶すると思われる。一ツ瀬川の河口では導流堤がこの時点でほぼ出来上がっていて砂州が南側に出来ていた。この砂州は13号台風で特に変化しなかったのか、あるいはビーチサイクルで1年半後には元の姿に戻っていたのだろう。2006年のすぐ前に見られたこの砂州の消失のメカニズムを探るためには、このときの状況との対比が重要である。
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by beachmollusc | 2008-08-29 13:38 | 海岸

一ツ瀬川の河口砂州の変遷

オンラインで公開されている空中写真で海岸の様子を時代を追って見比べていると面白い発見がある。ここでは1974年撮影の国土地理院の画像、1993年の海上保安庁、そして2006年の国土交通省の写真から、一ツ瀬川の河口の時代変化を追跡しよう。

一ツ瀬川の河口部では汽水域に生息するヤマトシジミが漁獲されている。大淀川などではすでに資源が消滅して、一ツ瀬川で宮崎県のシジミの漁獲量のほとんどが占められているはずである。県のHP情報では:内水面漁業生産の動き
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/parts/000080428.pdf
漁獲量の数字をグラフ化したのが下の図である。
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近年、シジミ資源が激減しているのは、上流から流れてくる濁水の影響が激しくなったからといわれている。河口部の写真を見比べると2006年の濁水の様子が明瞭に見える。濁水をもたらしているのは上流でのダムにおける2003~2005年の記録的な降水による流域の斜面崩壊の影響であろう。過去にも繰り返し増水が起こっているので、近年のシジミの減少は降雨だけの問題でなく、ダムの上流部での人為的な環境改変のためと考えてよい。九州電力が一ツ瀬川の河川漁業組合員に見舞金を支払っているそうである。

九電のHPでこの問題を解説している。
一ツ瀬川(一ツ瀬ダム)の濁水長期化について
http://m.kyuden.co.jp/dam_dakusui05
この問題の真犯人は流域の奥山の山林で続けられている乱暴な林業(大型機械用林道建設と皆伐による裸地斜面の形成)であろう。林野庁か県の林業公社かわからない(どちらも?)が、林野行政に対して電力会社が(表立って)文句を言わないのは不思議なことである。また、河川漁業組合はダムの管理者である九電からの見舞金でなく、林野行政に対してシジミなどに対する漁業損失の補償金を請求できるはずであるが、やっていないのか。

河川事業における環境影響分析手法の高度化に関する研究  河川局河川環境課
http://www.mlit.go.jp/chosahokoku/h16giken/goto/shitei/04/1704.pdf
これの27-28頁に宮崎県沿岸部の河川による土砂の海浜への供給について解説している。
一ツ瀬川の河口では四万十層群由来の土砂が流出していると説明されている。

一ツ瀬川の河口が堤防で固定されたのは1968年までであった。
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/parts/000095218.pdf
このファイルは一ツ瀬川の河口の様子について、1902、1935、1953、1968年の状態を図解している(5頁)。

さて、本題の河口の砂州である。副導流堤(南の佐土原側)にあった砂州が最近消失したことが海岸侵食の象徴的な出来事であるように見られているようであるが、実態はどうであろうか。
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1974年の画像では導流堤が未完成で、河口の北側(新富町の入り江のところ)で仕切られ、北側の砂州がこの堤防で分断されている。

1974年から1993年までの変化を見ると、北側の導流堤の南で砂州を浚渫しながら水路を掘って、砂州の中で南側に副導流堤を建設したと考えられる。副導流堤の南側で佐土原の河口の先端から砂州が伸びてきて河口部分がふさがり、二本の導流堤の間が川の水の出口水路となっている。この水路は浚渫によって人為的に造られたと考えられるが、副導流堤が完成してからは、それが北上する砂をブロックして砂州を形成したのだろう。

2006年の画像では副導流堤の南側の砂州が消滅し、再び1974年当時の河口が出来ている。すなわち佐土原側の河口部分が導流堤の建設以前の状態に復帰したように思われる。このようになった地形変化をもたらした要因は台風時の河川の増水と導流堤に当たった強い波浪であっただろうが、今のところ、どの台風でこのようになったのかは特定できていない。

2006年の画像は8月6日撮影だったと聞いているので、その年の台風10号(8月13日に宮崎海岸に上陸)よりも前のものが地形変化を起こしたと考えられる。

2005年には悪名高い14号が9月6日に九州南部に上陸して北上し、延岡などで竜巻被害をもたらした。2004年の8月末の16号は2005年の14号と同じようなコースをたどり、記録的な大雨をもたらして大きな被害があった。2004年にはその前に6月にも強い6号台風が宮崎海岸の東沖を北上(事実上宮崎を直撃)した。このように、宮崎の海岸に強い影響をおよぼした台風が相次いで襲来し、最近の海岸侵食を目立たせたのは間違いないだろう。

一ツ瀬川の砂州の消失は、直接的には嵐による侵食の結果であろうが、これはおそらく人為的に水路を掘り、導流堤を建設したことが遠因となったのであろう。自然の力が働いて、結局水路を造った以前の河口の姿を取り戻したようにも見える。

現在騒がれている宮崎港から一ツ瀬川までの海岸侵食とは、近年に重なって襲来した台風の波浪が、これまで次々に建設され続けてきた海岸構造物、護岸や離岸堤、そして導流堤とぶつかって起こっている現象ではないかと思われる。

護岸は陸地側を固定するものである。自然の力をさえぎり、抵抗するような構造物を海岸に建設することは、海での堆積物の激しい移動と地形変化をもたらす。たしかに自然の力で砂浜の侵食が進んでいるのだが、それをもたらしたのは人為的な海岸の改変だったに違いない。問題の海岸侵食(実際は海岸の後退でなく、砂浜の消失)を進めているのは人間側の行為の結果であろう。
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by beachmollusc | 2008-08-29 05:44 | シジミの仲間 Corbicula

小倉ヶ浜のハマグリ漁獲量と台風の関係

宮崎県に接近した台風の履歴とチョウセンハマグリの漁獲量とに関係があるかどうか調べました。

漁獲される貝の年令が5歳から6歳(7~8センチ)を主力にしていると仮定し、それが漁獲される年の5年前の産卵期(これが不明であるが、6月から8月にあると仮定した)に、生まれて浮遊していた幼生(2週間程度)が強い台風の風浪のため沿岸から沖に運搬されて岸に戻れなくなったという影響が漁獲減少につながった、そして、逆に台風が来なかった年に生まれたものが多く生き残って漁獲が増えた、というシナリオを想定した。ただし、他の要因が働いて生き残れないこともあるだろうから、後者の場合は必要条件であって十分条件ではないだろう。
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上のグラフで見られるようにかなり面白い対応が認められる。
赤の矢印は特に勢力が強かった台風(接近時に950ヘクトパスカル以下)、黄色は普通の台風(960から970ヘクトパスカル)であり、矢印の数が強かった台風の数になる。棒グラフは弱い台風を1、普通の台風(黄色)を2、強い台風(赤)を3として合計した点数である。

弱い台風は通常の低気圧と大差ないので無視してよいかもしれない。また。浮遊幼生の沖への流動は風向きで影響が違うだろうが、それについてここではとりあえず無視した(台風の風は途中で大きく風向きが変化するから)。

漁獲が特異的に多かった1996年のピークの5年前1991年には台風が接近していなかった。
2000年と2001年に台風が来なかったが、2006年からかなり漁獲量が増えている。
2005年に台風接近がこの時期にはなかった(秋には強い台風があった)が、現在の時点で
満3才の稚貝集団がかなり高い密度で生息している。しかし2004と2006年度生まれの貝はこれまでの潮間帯でのチェックでほとんど見つからない。2004年は極めて台風接近が多かった年で、合計5個という過去半世紀で最高記録を出している。

1977~1990年の期間は、年10~20トンで比較的安定した漁獲量が維持されていたが、それは1974年~1988年まで台風の影響が相対的に小さかったからではないだろうか。

ところが、1990年代前半に漁獲量が極めて不調であった。1982~1988年に強い台風が接近していないのだから、この期間に漁獲が増えてもおかしくなかっただろう。考えられるのは、この時期に台風以外に稚貝の成育場所で強い環境悪化が起こったことが想像される。丁度バブルの時代であり、河川改修、護岸工事や沿岸部の汚染などが激しかった時代だったかもしれない。具体的にどのような工事や汚染が起きていたかを追跡調査してみる必要がありそうだ。

宮崎県の水産試験場は小倉ヶ浜と金ヶ浜でチョウセンハマグリの稚貝の分布調査を長い間実施している。そのデータを解析すれば、年度ごとの再生産の成功・不成功の程度を見ることが出来るだろう。試験場は年度ごとの業務報告で生データを出しているが、全部のコピーをもらえないままでいる。いずれは試験場に押しかけて、書庫にもぐって探し出すつもりである。

そもそも試験場の責任者がデータをとりっぱなしで解析していないことは怠慢である。しかも、継続することが大切な調査を途中(1990年代?)で打ち切ってしまっていた。2006年に、2000年から2005年にかけての極端な不漁を受けて単発調査をしている。その時は、かなり高水準の稚貝の存在を認めていた。それが昨年と今年の豊漁を支えているようである。
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by beachmollusc | 2008-08-28 19:57 | Meretrix ハマグリ

雨の日

今朝の散歩中に雨が降り出して、逃げ帰るとザーザー降りだしました。
その後、ミッキーは玄関のところで自分のベッドで休んでいます。
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夕方に近づいたら雨が止んだので再びお散歩に出かけました。
そうしたら散歩道に山太郎の大きいやつが出ていました。
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鋏を振り上げて威嚇してきますが、簡単に拉致して、帰ってから記念写真です。
ふんどしをチェックしたらオスのようでした。この子はどうしましょう。飼育するか。
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by beachmollusc | 2008-08-27 17:36 | 日記

堆積環境にある小倉ヶ浜

今朝6時頃の小倉ヶ浜です。夏の間嵐がなく、安定した波がridgeを造っています。
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潮位予報:干潮 8:07 (54cm) 満潮 15:51 (162cm) 、この時点で干潮前約2時間で、最干潮の潮位とさほど違わない(つまり干潮状態です、最干潮の前後2時間が干潮時間であると思ってよい)。
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北の塩見川の河口を向いて遠景をみると潮間帯に独特の砂浜構造がみられます。つまり、砂が海岸に平行にデコボコの峰と谷を繰り返しています。沖の方の高まりがサンドバーです。

嵐が来ると、侵食でこのような構造が平坦化され、沖側に砂が堆積します。穏やかな海でうねりが安定的に続くと、再びウネウネしだして、高まりの列が岸のほうにゆっくりと移動するわけです。これがビーチサイクルと呼ばれます。
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小倉ヶ浜は幸い侵食よりも堆積が勝っている砂浜であって、海岸林が陸地をしっかり守っているのにもかかわらず余計な護岸がわざわざ建設されていますが、それを砂が覆っています。小倉ヶ浜が遠浅で傾斜がゆるい海岸であるおかげで、護岸まで大波が届くのは嵐の時だけです。今年はそれがなかったので、護岸の上に堆積した砂の上に海岸植物がよく育っています。

赤岩川の河口では、嵐が来たときに護岸の一部が損壊しています。海岸の砂も一時的にかなり侵食されているはずです。しかし、古い空中写真を見ると、40年近く前の状態が(人間が手を加えた部分を除いて)今でも保たれています。繰り返しきた嵐の波浪で激しい砂浜の侵食があっても、そのたびに自然に修復されていた証拠と思われます。この場所に多額の税金を投じてコンクリート護岸を建設した行政はおつむがおかしかったと思います。

小倉ヶ浜が堆積傾向にあることは、ちょっとした謎です。この海岸に流れ込む河川は3本あって、北から塩見川、赤岩川そして吉野川ですが、どれも小さな川であって、流域面積が限られています。雨が降らないと吉野川の河口は海辺で伏流して消え、流量が多いときでも河口で膝までの深さです。赤岩川も似たようなもので、腰までの深さしかありません。塩見川が主要河川ですが、これも耳川や五十鈴川に比べるとごく小さい川です。つまり、これらの河川が浜に運んでいる土砂の量が大きいとは思われないし、浜の北側には自然のヘッドランドである日向岬があり、南側も、となりの金ヶ浜との間に小さいながら岬が突き出ています。二つの自然のヘッドランドで仕切られた中にあって、運ばれている砂が少なければ侵食傾向になっていても不思議ではありません。五十鈴川にはダムがありませんが耳川には多数のダムがありますから、理屈では耳川から運び出されている土砂は減っているはずです。耳川から出た土砂が北上して小倉ヶ浜に補給されているかどうかわかりませんが、金ヶ浜の北には海岸侵食対策としての離岸堤が建設されているので、おそらく来ていないのでしょう。

海岸侵食と砂浜侵食をごっちゃにして、一時的に侵食がおこるがその後に回復する砂浜にコンクリート護岸を建設することは、結果的に砂浜の消失を招くおそれがあります。小倉ヶ浜の護岸は明らかに間違っているし、嵐による砂浜侵食を増幅させる恐れがあります。市の天然記念物に指定されているアカウミガメの産卵の障害にもなっているようであり、国の認定した渚百選としてのすばらしい自然景観をぶち壊しているので、行政には小倉ヶ浜から護岸を撤去する責任があると思われます。
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by beachmollusc | 2008-08-26 08:25 | 海岸

宮崎市の海岸の変化

宮崎港が建設された後で附近の沿岸で砂浜の侵食と堆積パターンが変化したこと、そして港の北側で侵食が激しく進んだこと、を押さえて、その上で、港の影響が北側でどこまで波及したかを空中写真の画像から読み取ろうと考えた。そのためには、最新の画像とより古い画像を一緒に見ながら考察する必要があるが、とりあえず1974年に撮影された港の建設前の画像とそれから19年経過した1993年の画像で比較してみた。代表的な2箇所についてはすでにクローズアップしたが、ここでは大淀川と一ツ瀬川の間の全体像はどうなっていたかを見て変化を比べる。

全長が17~18キロあるわりあい単調な砂浜海岸であった、その南端の河口部で港が建設された。過去の大淀川の河口部には砂州が伸びてバリヤーとなって内側に小さなラグーンを形成している。一ツ瀬川の方は宮崎川では規模が小さいが河口の北側に現在でもラグーンがある。このようなラグーン形成のパターンは、沿岸の漂砂(海岸に平行して移動する砂の動き)が北向けに卓越していることを意味しているだろう。宮崎港のすぐ北側で侵食が進んだことも、それを裏付けている。侵食された部分の砂が運ばれてから、どこにどのように堆積したかはわからない。一ツ瀬川の河口の両側には導流堤が建設されていて、1974年と1993年の写真で同様にその南側に砂が堆積している様子が読み取れる(現在はこの砂浜が消えているそうである)。

1993年の写真は海岸線に沿って飛びながら連続的に撮影された写真で、複数の写真を重ね合わせて繋ぎ合わせることができる。しかし、1974年の空中写真は海岸線に直角に飛んだ航空機の上から撮影されているので、南北の海岸線全体を複数の飛行コースでカバーしている。この部分では撮影高度のばらつきのため、ぴったりと重ねあわせすることが難しい。便宜的に一つ葉道路が海岸を離れる(料金所と動物園附近)から北側と南側の二つに分割して示した。
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北側の海岸部分では海岸線全体で砂浜の変化はほとんど見られないが、南側、特にシーガイアが出来てゴルフコースが拡張された部分までの砂浜が1993年の写真で見ると狭くなっていること、そしてそのような場所では全体的に護岸が建設されていることが読み取れる。港に近い場所では離岸堤が並んでいる。

幅のある傾斜護岸や階段護岸は空中写真で明瞭に見えるが、垂直護岸ははっきり見えない。したがって垂直護岸の建設と砂浜の関係を読み取ることは出来ないが、幅広い護岸の建設と砂浜の消失は密接に関係している。普通に考えると、砂浜の侵食が進んだので、それを食い止めるために護岸が建設されたということになる。しかし、1993年の写真で離岸堤の部分では砂が堆積している様子が見えている。

空中写真が撮影された1974年から1993年の間に宮崎の沿岸を襲った台風で、強い勢力を保っていた(950ヘクトパスカル以上)ものを台風データベース情報サイトから抽出してみた。
デジタル台風:台風画像と台風情報 (http://agora.ex.nii.ac.jp/digital-typhoon/)

1975 05 
http://agora.ex.nii.ac.jp/digital-typhoon/summary/wnp/s/197505.html.ja
1978 08
http://agora.ex.nii.ac.jp/digital-typhoon/summary/wnp/s/197808.html.ja
1979 16
http://agora.ex.nii.ac.jp/digital-typhoon/summary/wnp/s/197916.html.ja
1980 19
http://agora.ex.nii.ac.jp/digital-typhoon/summary/wnp/s/198019.html.ja
1982 19
http://agora.ex.nii.ac.jp/digital-typhoon/summary/wnp/s/198219.html.ja
1989 11
http://agora.ex.nii.ac.jp/digital-typhoon/summary/wnp/s/198911.html.ja
1990 19
http://agora.ex.nii.ac.jp/digital-typhoon/summary/wnp/s/199019.html.ja
1990 20
http://agora.ex.nii.ac.jp/digital-typhoon/summary/wnp/s/199020.html.ja
1992 10
http://agora.ex.nii.ac.jp/digital-typhoon/summary/wnp/s/199210.html.ja

宮崎の護岸建設はこのような台風襲来による砂浜侵食を受けて進められたと想像できる。
これらの台風は動物園の北側と南側で同様な力をおよぼしていただろうが、砂浜の侵食が南側で北側より激しかったかどうかを知るためには、途中の時期の空中写真を見る必要がある。結果的に言えば、北側ではこのように多くの台風の直撃が繰り返されても海岸線の砂浜には大きな変化は生じていなかった、と思われる。

http://henge.bio.miami.edu/coastalecology/windermere/Sea_walls_2006_condensed%5B1%5D.pdf
同様な内容で下のURLにも情報があります。
http://www.cavehill.uwi.edu/bnccde/bahamas/conference/papers/sealey.html

Neil Sealey: Coastal Erosion and Sea Wall Construction in The Bahamas - Walls will not stop shoreline erosion, and they will probably increase it at the same time that they remove another amenity, namely the sandy beach on which the economy depends! As the sea walls considered here are almost exclusively ...

護岸が砂浜の消失につながることが丁寧に説明されていて、護岸に代わる砂浜海岸の保全についていろいろな対策が示されています。
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by beachmollusc | 2008-08-25 09:05 | 海岸

砂浜の砂の変化:ビーチサイクルと海岸侵食

海岸侵食、すなわち陸側への海と陸の境界線の後退は砂浜の消失と一緒くたにされているようだが、護岸建設に伴った砂浜の消失はそれとは別の問題として考える必要がある。海岸侵食を食い止める目的で護岸が建設された日本中の多くの砂浜で、建設前にあった砂浜が消えていることは何を意味しているのだろうか。陸地の侵食を防ぐことが結果的に砂浜を失うことになる、と見えるのは錯覚であろうか。

海岸の砂の堆積sedimentationと侵食erosionをもたらす様々な力は絶えず変化しているが、その中で重要なことは、たまに来る強い嵐による波浪と流動の影響であろう。ある砂浜における砂の供給と消失とが長期的にバランスを保っているとして、そのバランスを一時的に大きく崩すからである。護岸の建設は、そのような一時的な撹乱を嫌って、それを防止することを目的に行われていると考えられる。他の要因(たとえば沖合いでの海砂の大量採取)が加わってしまい、回復力が働かないで一方的な海岸侵食が起こっているところもあるだろうが、宮崎県の海岸ではそのようなことは起こっていないだろう。河川から海に流出する土砂の量が減少することもバランスを崩す要因になるだろうが、宮崎の河川はむしろ河床が山地の斜面崩壊由来の堆積土砂でかさ上げされていることから、逆に増大しているのではないだろうか。

一時的に海浜の堆積物、つまり砂を沖に運んで砂浜を減少させる嵐は大昔から繰り返されている。宮崎市の海岸は、その地勢的な特徴が幸いしているので砂浜の大きな変化は他の地域と比べて起こりにくいと考えられる。沖に向かって表層流を強めるような冬の季節風(北西風の嵐)は九州山地が緩めてくれている。夏の台風で西よりの風になる場合、すなわち東側沖を北上するときは勢力の弱い台風の眼の西側に海岸がある。東よりの風が吹くコースでは沖に向かって砂を運ぶ沿岸流動は比較的軽くなるだろう。したがって、稀にある直撃コースの台風以外で砂浜の様子が激変することはまずないと思われる。実際、現時点でコンクリート構造物が少ない海岸(串間市の石波海岸や日向市の小倉ヶ浜)を空中写真でみると、40年くらい昔の砂浜の姿をだいたいそのまま維持しているようである。

砂浜海岸は地質・地形(特に地盤の傾斜)、方向、気象条件、その他の多くの要素の影響を受けるので、どれも個性豊かである。海岸の姿は多様であり、変動因子が複雑でモデル計算をするパラメータを決めることも容易ではない。そこで、じっくり時間をかけて海浜の変化を観察して記述し、それに関わる要因について考察することが必要である。アメリカでは軍が海岸での上陸作戦のための情報収集を昔からやっている。その中で、広く一般的に見られる砂浜の周期的な変化としてbeach cycle という概念が出来上がっている。これはアメリカの西側カリフォルニア沿岸と東側のニューイングランド沿岸、そして五大湖の中のミシガン湖で長期的に詳しく研究された結果である。アメリカの海岸の結果をそのまま宮崎の海岸に当てはめることはできないが、一般的にどこでも共通して認められた事象は応用が利くだろう。Beach cycle はその一つだろうと思っているが、残念ながら日本の海岸でこれが詳しく調べられていないようである。ただし、海辺で暮らしていて、海岸に慣れ親しんでいる人々は、このサイクルを体験的に理解しているだろう。つまり、嵐で砂浜が一時的に縮小することがあるが、次第に元の状態に戻る、ということである。その過程で砂の移動がどうなっているかを知るために、嵐の前後でのビーチのプロファイル(断面の輪郭)の変化を調べたデータを紹介する。1970年台初期の古い報告であるが、示唆に富んでいる。

Forms of Sediment Accumulation in the Beach Zone. by M. O. Hayes, pp. 297-356.
In Waves on Beaches and Resulting Sediment Transport, edited by R. E. Meyer
Academic Press 1972 (Proceedings of an Advanced Seminar Conducted by the Mathematics Research Center, The University of Wisconsin, and the Coastal Engineering Research Center U. S. Army, at Madison, October 11-13, 1971.)
下に示した模式図と写真は本の中からスキャンして示した。
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上はニューイングランドの冬の嵐で平坦化された傾斜面(5日)から次第に堆積が進んだ様子と、その下はその後に27-28日の嵐で再び平坦化が進んで行った様子を示した。
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上の写真は春の嵐で平坦化された砂浜の様子(上空から見た写真で、手前が海側、)、
下の写真は堆積が進んでいた夏の様子であり、ridge-and-runnel システムと呼ばれる海岸構造が形成されている(今年の小倉ヶ浜は台風がこないまま、これに似た地形になっている)。
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上の図は25-26日の嵐で侵食を受け、平坦なプロファイルになった後で海岸の砂浜が夏の間に回復した様子を示した。砂浜のridgeがゆっくり陸側に移動した。

上でわかるように低潮線から上の波が覆いかぶるゾーンでは、海が穏やかな時期に砂が堆積して盛り上がるが、一過性の嵐で一気に平坦化される、ということが砂浜海岸では繰り返されている。アメリカ北東海岸の場合は、冬か春に嵐があり、夏は静穏であるから、このようなサイクルが季節的に繰り返される。宮崎の海岸の場合は、嵐の時期が主に夏の台風として不定期にやってきて、海岸の様子が変化すると考えればよいだろう。

もしビーチサイクルの侵食の力を護岸で食い止めようとしたらどうなるだろうか。たしかに内陸部の地形は守られるだろう。しかし、波が海岸の砂浜の斜面で崩れてエネルギーを失うはずのところを護岸が跳ね返してしまうだろう。その結果、護岸の周辺の砂は巻き上げられ、沿岸流と離岸流で岸から沖へと運び去られてしまうだろう。その後、嵐がなくても護岸に常時うねりの波が当たるような状態であれば、砂が沖から戻って浜に堆積するようにならないまま、砂浜が失われてしまうのではないか。護岸の建設と砂浜の消失の因果関係として、このような背景があるのではないかと思われる。
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by beachmollusc | 2008-08-24 18:15 | 海岸