beachmollusc ひむかのハマグリ


海辺の浅瀬は水産動物のこども達のゆりかごです
by beachmollusc
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海辺の自然を取り戻そう
 自然の恵みを後世に残すためには、その生態と環境を深く、よく知ることが基本です。

 海岸の浅瀬、干潟や砂浜は資源生物のゆりかごです。
しかし、それにおかまいなしに埋立てや海岸構造物の建設、水質汚染も加わって、日本中の水辺、海辺の環境は撹乱され、破壊されてしまいました。その結果、ハマグリなど干潟の動植物の多くが絶滅危惧種となっています。

 このブログでは、主に砂浜環境の保全を念頭において、日本各地の山、川、海の姿を調べて見てまわったこと、
そして2006年5月に移住した日向市の海辺と里山の様子や生き物などを紹介します。

このブログにリンクを張ることはご自由にどうぞ。

    - 自己紹介 -

大学院博士課程修了後7年間の海外での研究と28年余り大学教員をしていました。

海の無脊椎動物(貝、ヒトデ、サンゴ、クラゲなど)が専門、自称の学位は Doctor of
Underwater Marine Biology
(DUMB:バカセ)

楽観的な悲観論者または悲観的な楽観論者:生態的に無理をしている人類の滅亡は近いだろうが、それも自然の摂理じゃないのかな

せっかちな慎重派:ゆっくり
見極めて急いで集中的に
お仕事します

好きなもの:日本蕎麦が一番、パスタ・スパゲッティ、うどんもよし、つまりメンクイです

嫌いなもの:人混み、投棄ゴミ、マスゴミ、脳衰官僚

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モンスター出現

ハマグリ類は殻の最大長で10センチを超えるととても大きく見えます。今まで調べた範囲で、10センチを超えてさらに大きくなるハマグリの種類は限られていて、温帯性の3種:ハマグリ、チョウセンハマグリ、そしてシナハマグリ、さらに熱帯性の2種(沖縄本島で絶滅した種とフィリピン産の1種で共にまだ分類が確定していないもの)です。

ところが、福井市自然史博物館収蔵標本の中にモンスターが1個ありました。博物館の標本番号FKC-6001、古川コレクションの中でチョウセンハマグリと査定されていたものです。

殻長が139.9mmで、殻重量が589.4gもありました。
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非常に残念なことですが、産地不詳、何時どこで採集されたものか分かりません。ただし、1948年に寄贈されたということで、それ以前に採取されたもののようです。

チョウセンハマグリであるかどうか、確信がもてませんが、一番近いことは確かです。採集者が何も手がかりを残していないのは悔やまれます。

その実物は見ていませんが、チョウセンハマグリで記録されている、信頼できる最大殻長は日向産126mmです。矢倉が記録した同種の最大は日向の121.5mmでしたが、ほぼ同じサイズの個体が手元にあります。

フィリピン産の大型ハマグリ類の個体が鳥羽水族館のギャラリーに殻長128mmと表示されています。
http://www.aquarium.co.jp/shell/gallery/taiwanhamaguri.jpg
これにはタイワンハマグリの和名とMeretrix meretrixの学名が当てられていますが、分類が混乱している種なのでハマグリ属の1種とするべきでしょう。

柏崎産のハマグリで確保されている最大の個体が119mmで、これが今のところ同種の最大です。もっと大きい個体があったという話を聞いていますが、実物を確認しないことには話になりません。文献上では、矢倉が全国から集めて測定値を残している最大のハマグリは今治でとれた107mmでした。手元には長崎県五島福江島で採取した107mmのタイ記録があります。

シナハマグリも大きくなりますが、手元には殻長104mmまでしかありません。ネットで見かけましたが、貝合わせの素材用に使われているシナハマグリの殻で120mm近いものがあるようです。

沖縄本島で絶滅したハマグリ属の1種では110mmが最大です。東南アジアやインド洋のハマグリ類ではフィリピン産の上記のものを除けば100mmを超える種は知られていません。

以上のように、130mmを超えたハマグリ類として、同属の他種すべてを圧倒し、群を抜いて最大の大きさを誇っているのがここで紹介した貝殻です。つまり、ハマグリの王者と認定しておきましょう。

{追記}
殻の外側表面が粗いこと、全体が三角型であることからハマグリ属ではないかもしれないとひらめき、もしかしたらメキシコハマグリさんでは、と調べてみました。すなわち日向碁石の代用品に使われる貝です。Tivela属はハマグリ属に近縁で、形態に大きな差異はありません。しかし、その実物を過去にしっかり見ていないので査定する眼力はできていません。ハマグリ碁石の里でメキシコハマグリの殻を見ることが出来るはずなので、明日2月1日に押しかけて確かめてみます。

カリフォルニア州のFish Bulletin No. 7 The life-history and growth of the pismo clam (Tivela stlutorum Mawe) by F. W. Weymouth (1923年)という研究報告が出版されていて、冊子は持っていますがオンラインで全文を見ることが出来ます。
http://content.cdlib.org/view?docId=kt3w100324&brand=calisphere&doc.view=entire_text
この中に貝殻の成長輪に関する部分で貝殻の写真がありましたので、それを貼り付けます。
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論文には詳しい研究結果のデータが実に詳細に記録されていたので貝殻の大きさと重さの関係を見たら、最大で17センチくらいになり、重量は1キロ半程度です。14センチの重さが600グラムくらいなので、今回の標本とほぼ一致します。

はまぐり碁石の里ではメキハマ碁石が中心となっているようですが、メキシコの工場でくりぬいた原料を輸入し、日向で磨き上げて製品としているそうです。8年くらい前、最初に立ち寄った時は店でメキハマの殻を売っていたと記憶していますが、今日出かけて店内を探しても展示販売されていませんでした。

お店の人に頼んだら、碁石製作工場の奥から殻を出して売ってくれました。左右両方の殻が揃っているものはありませんが、穴が二つ開けられた殻長136mmと、開いていない116mmの計2枚を販売してもらいました。
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福井市自然史博物館の殻より横長でしたが、識別すべき特徴が一致しているので、めでたく確認できました。

博物館標本はチョウハマではなくてメキハマでした。これを寄贈した古川さんはそれと知っていたはずですが、標本ラベルはどうなっていたのでしょう。今回送っていただいた殻には、博物館の標本ロットごとに個別台帳が付いてきましたが、採集者オリジナルの個別のラベルが標本と一緒にこなかったので気になっています。

メキシコハマグリはチョウセンハマグリと同じように外海に面した砂浜海岸に生息しています。カリフォルニア南部からメキシコにかけて分布していて、アメリカの水産学者によって昔から研究されています。その学術情報はチョウセンハマグリの資源管理にとても良い参考となります。ということで、文献を読み直しています。
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by beachmollusc | 2010-01-31 20:19 | Meretrix ハマグリ

福井市自然史博物館収蔵のハマグリ標本

昨年暮れにはじめた、日本海に生息している、あるいは過去に生息していたハマグリ類の調査を続行しています。

富山市科学博物館に収蔵されたハマグリ類標本を調べ終わって、貸し出していただいた標本を送り返したのと入れ替わりに、昨日は福井市自然史博物館からハマグリ類標本42点、個数で合弁110個体と半片10が送られてきました。

富山市科学博物館の標本には能登半島沿岸のチョウセンハマグリの稚貝が多かったほか、能登半島北部の珠洲市沿岸から採集されたハマグリの合弁1個がありました。その査定は菊池勘左衛門で、ラベルの表記がMeretrix meretrixとなっていたので、採集年は明記されていませんが、戦前のものと考えられます。外には富山市の八重津浜で1992年に採集されたものがシナハマグリと誤査定されていました。

福井市には市立の博物館・美術館が3つあるという事から見て、学術にとても熱心な土地柄のようです。

自然史博物館には、まとまった貝類コレクションがあり、その鈴間愛作氏貝類コレクションの標本目録がオンラインで見ることが出来るようになっています。(鈴間愛作氏が収集・寄贈した、ロット数約3,200、総数約17,000点に及ぶ貝類コレクションの目録です。)
http://www.nature.museum.city.fukui.fukui.jp/shuppan/mokuroku/suzuma.pdf
これを見てハマグリ類の標本の貸し出しをお願いしてみたら、それとは別に古川田溝氏貝類コレクションがあり、ハマグリ類の標本が多数あることを知らされました。

博物館所蔵 貝類標本目録 (1962) 242 pp.
本館所蔵の貝類標本の目録です。本標本の大部分が、故古川田溝氏(鯖江市)が収集・寄贈したものです。収められている貝の標本の総数は3,922種です。

これらの標本目録によると、黒田徳米が分類のサポートをしていました。京都に近いという地の利もあって、戦前の関西を中心にした貝類博物館や貝類学会の創設とあいまって、熱心な貝類収集の成果が残されているようです。

鈴間コレクション、古川コレクション共に極めて面白い、興味深い貝殻標本がいくつもありますので、これから順次詳しく検討しながら紹介します。

まず最初に紹介したいのは、かなり不思議な標本です: 鈴間コレクションの標本番号3063番。産地、採集年月日不明(2006年以前らしい)というので学術標本としての価値は乏しいものです。ラベルはハマグリとなっていましたが、よく見たらシナハマグリの合弁3個とハマグリの左右の殻片が各3枚でした。

下は集合写真で、右側の3個がシナハマグリです。貝殻に記入された採集者の番号と博物館の整理番号は一致していません。また、ばらけているハマグリの内側に記入された番号が黒塗りされています。
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ハマグリの左右各3枚、合計6枚は、どれもお互いにマッチしていないものですが、2組があわせられていて、上下2箇所にセロハンテープで止められた状態です。これらは大きさも模様も割合よく似たものなので、しっかり見ないと違っていることが分かりません。
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偽者のペアはどちらも左右の殻のかみ合わせが完璧でなく、わずかにずれていました。

なぜこのような奇妙な標本が1つのロットになっていたのでしょうか。

以前のブログで紹介済みですが、鈴間氏が書いた下のようなエッセイがあります。

鈴間愛作 (1991) 日本最高級品囲碁石日向はまぐり談 -延岡市理学博士 宿屋 寿先生をしのんで- 福井市立郷土自然科学博物館 研究報告38:85-88
http://www.nature.museum.city.fukui.fukui.jp/shuppan/kenpou/38/38-85-88.pdf

丹南の人「貝がら博士 鈴間愛作さん」 ふれあい通信たんなん No.3 夏号 2007年
http://www.tannan.net/webapps/open_imgs/info/0000000001_0000000212.pdf
2006年にコレクションを博物館に寄贈されたようですが、本人に聞いて確かめることができるでしょうか。

探究心が旺盛な人物のようですから、ハマグリの左右二枚の殻は同じ貝のものでなければピッタリ合わない、という伝説にチャレンジしてみたのかもしれません。また、シナハマグリがハマグリと見分けられるかどうか、見学者相手に見せて試していたのかもしれません。
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by beachmollusc | 2010-01-30 18:05 | Meretrix ハマグリ

ヒメババガイではなくて、ヒメバカガイ

姫様がクソババなどというステキな言葉を発する姿を是非見たいものですが、それはさておき。

小倉ヶ浜では全域にヒメバカガイが大量に打上げられています。北端のGIビーチも例外ではありません。
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波の収斂する場所に集中しているヒメバカの殻は大体同じような大きさで、ツメタガイに捕食された穴が開いていないし、殻に損傷がなく、二枚が揃っています。肉は残っていませんので、沖の海底で死んで綺麗になってから後で、海底の砂上を上向きに運ばれたようです。

小倉ヶ浜では、この貝は潮が引いて露出する潮間帯には生息していないようです。チョウセンハマグリをとりまく生態環境を知るために、沿岸の貝類相やヒトデ類など捕食者の定量的な生息分布調査をやるべきですが、日向市の水産担当は何をやっているのでしょう。予算消化をどうしょうか、と悩んでいるかもしれません。

ヒメバカガイは半世紀前の調査で見つかっていない貝であって、鹿島灘からチョウセンハマグリの稚貝と一緒に運ばれて放流されたものが繁殖したのではないかと思われます。これがチョウセンハマグリの稚貝と生態的に餌の取り合いで競合するのか、あるいは天敵に捕食されるターゲットとなって盾のような関係になるのか、詳しく調べて見たいものです。

今回のヒメバカたちの大量死が何を意味するのか、さっぱり分かりません。夏から秋にかけてチョウセンハマグリの大きい貝も稚貝もかなりまとまって斃死し続けていました。貝類にもウイルス性の疫病が知られていて、環境悪化が引き金となって発症することも考えられます。雨が降った後に斃死が目立ったのは汚染物質の影響が関与した可能性を示唆しています。

小倉ヶ浜の中央に流れ出る赤岩川の流域で注意してみていますが、今年は例年の冬に数多く見られていた水鳥のサギ類とカモ類が完全に姿を消しています。
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by beachmollusc | 2010-01-29 18:33 | その他の貝類

平瀬貝類博物館写真帖

BHLサイトに「貝千種」が部分的にアーカイブされていることは前に紹介したが、貝類博物館の写真帖も見ることが出来ることを本日発見した。

The album of the Hirase conchological museum ...
Kyoto,The Hirase conchological museum,1915.
http://www.biodiversitylibrary.org/bibliography/13228

これには貝覆いに関する和文と英文の解説、そして写真が出ている。(クリックで拡大)
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これまで貝覆いのためのハマグリの貝殻は180組360枚という情報に踊らされていたが、本当は360ペア720枚が1セットのようである(どこかで361組というのも見かけた)。

平瀬與一郎のひ孫さんが開設したサイトHirase website:
http://hirasefamily.com/default.aspx
写真帖のもの以外に色々あって、ヤコウガイなどの絵が描かれた絵葉書が見つかった。
http://hirasefamily.com/postcards.aspx

徳之島の潜水漁師だったKさんが磨いてくれたヤコウガイの殻は引越し荷物の中でそのままになっていたので、久しぶりに取り出して部屋に飾ってみた。右の殻は表面の突起と付着物をそのまま残している。

楕円形の蓋の直径が約9センチ、殻の経は20センチを超える、巨大なサザエの仲間である。
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ヤコウガイの殻の刺身皿は見事な作品であるが、写真でその独特の真珠光沢を再現できないのが残念。
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by beachmollusc | 2010-01-27 20:32 | Meretrix ハマグリ

ケンペルと貝合わせハマグリの接点

ネットで書籍を注文すると国内に在庫があれば数日で配送されて読める、本当に便利な世の中になったものだ。

NHKブックス「ケンペルが見た日本」(ヨーゼフ・クライナー編、1996)という本と、平凡社東洋文庫「江戸参府旅行日記」(ケンペル著、斎藤信訳、1997初版15刷-1977年が1刷)が相次いで配達され、一気に読んでしまった。元本である英語版のHistory of Japan が来るのはまだ少し日数がかかりそうである。

NHKブックスには欲しい関連情報が全くなしだったが、ケンペルが1691年と1692年に長崎と江戸を往復した旅行日誌にはかなり面白い情報があった。

桑名でマツボックリを燃やしてハマグリを焼いて食べさせる風景、瀬戸内海などで寄港した浜で潮干狩りをする人々を見ていること、そして2回目の江戸訪問中、旧暦の3月3日に宿舎となっていた家で雛飾りを見たことを記述している。ミニチュアの貝桶に言及されていないが、旅行日記とは別のところで記述があるかもしれない。旅行中は自由行動ができないように監視されていたし、行動範囲が極めて狭い範囲に制限されていたことが良くわかったので、ケンペルと実物の貝覆い貝との遭遇は結局なかったのかもしれない。

貝覆いのハマグリは17世紀後半までにヨーロッパではその存在を知られていたことは、1702年出版のランフィウスの本で分かっている。その後に分類に使われた貝覆い貝はドイツやデンマークにあったので、ポルトガル経由ではなさそうである。オランダが独占的に日本と貿易関係にあった江戸期の前半頃に、日本の文化情報の一つとしてヨーロッパに伝わったと想像される。ケンペルより前にオランダ東インド会社の幹部が長崎か江戸で貝を入手した可能性は考えられるが、文化的な関心と接点がなければこのような文化財の授受は起こらないだろう。ケンペルは自然史関連標本、特に植物を集めていたが、貝類にも興味があったはずである。

大名家などで婚礼調度品とされた大切な貝殻が江戸時代に海外流出したとは考え難い。また、360枚の殻が2つの桶に入ったセットとして持ち出されたような記述が見つからない。貝桶が文化財となっている日本の博物館は数多いが、海外の美術博物館などで収蔵しているところがあるだろうか。

ケンペルの旅行日誌は当時の日本社会の表面を知るよい記録であるだけでなく、とても面白いタイミングで日本に滞在していた。1回目の旅行中には、桑名付近で江戸から京都に特使として吉良上野介が向かっていた行列と遭遇していた。5代将軍綱吉(の側近柳沢吉保の)命を受けて京の朝廷から母親の桂昌院に特別な位階を授与してもらうための交渉の旅だったかもしれない。

ケンペルは江戸城内で謁見後、将軍と大奥の女性達などの前で所望され、歌を歌いダンスを踊るという芸人の真似事をさせられた。オランダ東インド商会に雇用された医者として、会社の貿易利権を守るためにプライドを押さえていた苦労がしのばれる。

赤穂浪士の討ち入りと富士山の噴火は、ケンペルが日本を去った後だったので、惜しくも見逃した。しかし、綱吉が出した「生類哀れみの令」の通達が、長崎で1692年にあったことを日記に書いているが、WIKIの説明と合っている。

長崎では、もともと豚や鶏などを料理に使うことが多く、生類憐みの令はなかなか徹底しなかったようだ。長崎町年寄は、元禄5年(1692年)および元禄7年(1694年)に、長崎では殺生禁止が徹底していないので今後は下々の者に至るまで遵守せよ、という内容の通達を出しているが、その通達の中でも、長崎にいる唐人とオランダ人については例外として豚や鶏などを食すことを認めていた。

野犬に襲われて怪我をした患者の手当てをしたケンペルは、その犬を処分したかどうか聞き、犬に危害を加えると人間が処罰されることを知って憤慨していた。
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by beachmollusc | 2010-01-26 18:21 | Meretrix ハマグリ

臼杵の貝合わせ貝探訪

昨日は大分県臼杵市のヤマコ臼杵美術博物館を訪れ、所蔵されている貝覆いセットの実物を見てきました。これは、貝合わせで検索していたら、面白いニュースが目に止まったからでした。

大分のニュース (大分合同新聞)[2010年1月9日]
できた!貝合わせ 臼杵の保育園で (写真:着物姿で対戦する園児=8日、臼杵市)
 臼杵市末広のすえひろ保育園(佐々木正円園長)で8日、毎年恒例の「新春貝合わせチャンピオン大会」が開かれた。
 貝合わせは平安時代の遊びで、ハマグリの貝の内側にかかれた絵や文字のペアをつくっていくもの。年長組の園児が昨年11月から練習を始め、12月に予選を実施。チャンピオン大会では勝ち上がった7人が対戦した。
 園児は着物姿で対戦し、貝の外側の模様を注意深く見ながら、貝をめくった。ペアがそろうと、周りで対戦を見守っていた園児から「大当たり」との掛け声が上がった。


臼杵市を含む大分県の南東部には石灰岩の地層が広がっている。佐伯市の番庄川の流域には石灰岩の路頭や鍾乳洞があり、河川水にも石灰分の溶出があるからだろうが、ホタルの餌のカワニナの繁殖環境が優れているように思われる。

臼杵市は江戸時代から石灰岩を産出し、郊外には国宝の石仏がある。そこに民間の美術博物館があって、臼杵藩稲葉家由来の調度品などが展示されている。その中に貝覆いのセットがあることがウエブサイトのパンフレットに書かれていたので、ハマグリかチョウセンハマグリのどちらが材料となっているのか検分することにした。

臼杵藩稲葉家 - ヤマコ臼杵美術博物館 - 大分県臼杵市
http://www.yamako.net/usuki/u_inaba.html
案内パンフレットファイル:http://www.yamako.net/usuki/pdf/usuki_p01.pdf

丁度この博物館では、企画展:「青貝工芸~貝よりはじめよ!」があった。  

当館所蔵の谷文晁筆『群蝶渡瀾図』及び蝶螺鈿刀掛をセットで公開する新春恒例の展示に加え、臼杵・津久見地域の青貝細工(薄い貝片を使用する漆工芸)をコーナー展示します。
臼杵地域に伝わる青貝細工(主に飲食器)を公開してきましたが、今回は初出品の文具3点も含め7点になります。


展示期間:平成22年1月1日(金)~平成22年1月31日(日)
ところ:ヤマコ臼杵美術博物館 TEL 0972-65-3080

青貝とはヤコウガイの殻の真珠層を薄片にして切り出した螺鈿細工のことである。ヤマコ博物館の学芸員さんはヤコウガイに限らない(技法の名称)と説明してくれたが、ヤコウガイの英語の名前がgreen snail というように、ヤコウガイの殻は独特の虹色に光る真珠層の発色を見せるので、古代から貝螺鈿の中心的な材料とされ、アオガイという固有名で呼ばれている。

中尊寺国宝・螺鈿八角須弥壇(復元):http://www.iwanichi.co.jp/hukugen/hukugen_1.jpg

1980年代の韓国の経済発展とソウルオリンピック特需で韓国の螺鈿家具、工芸細工のためのヤコウガイの殻価格が急騰し、産地の全域(奄美以南、フィリピン、インドネシア、パプア・ニューギニア、ソロモン諸島、バヌアツなど)で極端に乱獲された。

ヤコウガイについての生物学的な研究はその頃まで皆無だったので、初期生活史の解明を試み、その結果は下の本の中で記載した。
Yamaguchi, M. (1993) 第15章 Green Snail, 497-511頁、 A. Wright and L. Hill 編著: Nearshore marine resources of the South Pacific全710頁.
Institute of Pacific Studies, Univ. of the South Pacific, FFA and ICOD
サンゴ礁に生息する水産重要種である巻貝、ヤコウガイについてその生活史を実験室での飼育で明らかにして記載し、さらにその資源生物学的な特性についての知見を集大成した。この貝は、近年の価格の高騰を背景にして、インド洋と西太平洋のサンゴ礁で乱獲されて枯渇しているので資源回復のための種苗生産・放流実験が進められている。

沖縄の伝統工芸の一つだった青貝の螺鈿細工は材料の枯渇で廃れてしまった。ヤコウガイやタカセガイ(高級貝ボタンの材料)の資源枯渇は潜水漁業の乱獲が主な原因で、種苗生産と放流によって資源回復が期待されていたが、その後どうなっただろうか。

話をハマグリに戻して進めよう。

天保5年(1834)臼杵藩主稲葉家の十ニ代幾通(ちかみち)に輿入れした中津藩奥平家の鈼子(さくこ)姫の嫁入り道具だった貝覆いのセットがヤマコ美術博物館で展示されていた。180組360枚のうち100枚近くが不足しているそうである。江戸末期の廃藩の頃の混乱中に失われたのかもしれない。

稲葉 - 江戸大名公卿net: http://www1.parkcity.ne.jp/sito/178.html

12代・幾通(ちかみち)10代雍通の三男 母は某氏     
生没・文化12年(1815)~天保14年(1843)家督・文政4年(1821)相続

江戸時代の大名と旗本に関する情報は下のサイト「旗本大名の世界」に詳しい。
http://homepage3.nifty.com/ksatake/

臼杵の稲葉家は1600年から幕末・明治までの2世紀半余りに14代続き、藩主(予定者を含む)の正室の嫁入りは12回あったものと仮定すると、平均22年ごとに一度の割合であったろう。これが平均的な数字であったと仮定し、全国の大名家約200-300と三千石以上の大身旗本の数をほぼ同数とし、荒っぽく見積もって500家で25年ごとに婚礼・嫁入り道具の新規需要があって、どのケースでも貝合わせが新しく製作されたとすれば、毎年20セット程度の需要があったことになり、江戸時代に製作された大名・旗本関係の貝合わせセットは累計5,000セット程度ではないだろうか。

母親から娘に代々受け継がれたりした場合があったかもしれない。しかし、江戸時代の豪商も真似たかもしれないし、中堅の旗本の家でも需要があったかもしれないので、全体数としては、少なくとも数千組から多くても1万組を超えるとくらいと想像される。

鈼子(さくこ)姫の嫁入り道具だった貝覆いの貝はハマグリであった。
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学芸員さんが陳列ケースから取り出して見せてくれた殻の写真を下に示す。
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殻の大きさは殻長が9センチ弱でよく揃っていた。
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並木誠士(著)「江戸の遊戯 貝合せ・かるた・すごろく」青幻舎、2007年、には上の図が示されている(国立国会図書館所蔵、斉藤玉山著(江戸時代後期)からの引用)。

貝の大きさが3寸5分(106mm)-3寸2分、3寸3分-3寸1分、3寸(91mm)、までとなっていて、これは貝箱の大中小に相当する貝殻のランク分けと考えられる。臼杵に嫁いだ中津の姫様が持ってきた貝は最小サイズの規格でギリギリの大きさだったようである。

チョウセンハマグリだった確率が高いだろうと想像していたので、江戸後期の貝覆いにハマグリが使われていたことはやや意外であった。このハマグリは9センチ弱の大きさで揃えられていたのであるが、19世紀前半でも、この程度の大きさのハマグリが入手できたことを意味するのだろう。

この貝の原料がどこで調達されたものか考えると、学芸員さんに聞いた話で、婚礼は江戸で行われたということから、東京湾産のハマグリが使われた可能性が高いようである。全体的な形の特徴が横長であることも、それらしく見える。わずか4個しか見ていないので殻の表面の色・模様の出現頻度は分からないが、全部の殻を丁寧にチェックして、形態指標を計測し、色彩型の頻度分布を見れば産地が東京湾であったか否か、見当がつくかもしれないので、ヤマコ美術博物館の学芸員さんの取り組むべき良い研究テーマとなるかもしれない。

この学芸員さんに、幼稚園でもやっている模擬貝合わせをなぜ博物館で来館者にやってもらわないのかとたずねてみた。実はやってみたくて企画案を出したが、材料の入手が難しくて実現できなかったとの返事で、日向市の蛤碁石の里にも問い合わせたそうである。

アメリカ東部の町フィラデルフィアの自然史博物館Academy of Natural Sciences | Natural History Museum in Philadelphia. (http://www.ansp.org/) では、毎年地元の貝類愛好家団体が主催して博物館で開催されているPhiladelphia Shell Showのアトラクションの一つが貝合わせである。

Shell Matching Game
Think all shells look alike? Play the Shell Matching Game. Ongoing.
http://www.ansp.org/shell/schedule.php

臼杵からの帰り道で車の走行距離がぞろ目になったので、記録撮影:
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by beachmollusc | 2010-01-24 11:06 | Meretrix ハマグリ

矢倉和三郎がハマグリとチョウセンハマグリを同種とみなした理由

矢倉和三郎の「介類叢話」(1922年)には動物学雑誌の1920年381号に掲載された「日本産蛤貝のフォームに就いて」という論文が再録されている。日本の各地沿岸で採集されたハマグリ類の殻の形態指標(殻長、殻高、殻幅)を計測し、その比率を計算して比較したものである。

これは恐らく、1917年に出版された世界的に有名な古典的学術書"On Growth and Form" by D'Arcy Wentworth Thompsonの影響を受けたものとも想像される。いわゆるアロメトリーと呼ばれる現象、つまり動物が成長するときに体の構成部分の大きさが相対的に異なる割合で変化することを言うが、具体的には人間の子供と大人で、頭の大きさと身長の比率を考えればわかりやすいだろう。

前に紹介した東北帝大の浜井も、その指導教授も1920年代から30年代にかけて、貝類について貝殻のアロメトリーの研究を続けていた。

矢倉は自分の測定データの数値解析の結果を踏まえ、日本産ハマグリには二つの「型」が明確に認められるが、それぞれが連続的に変化して境界線を引くことができないとし、同じ「種」が生息場所の違いを受けて変化した「生態的な変異型」と結論を出した。結果的に、この結論は間違いであったが、その論理がなぜ出たかを分析した話をここで述べる。

まず、矢倉の論文のデータ解析と論理が書かれた論文をスキャンして画像としたものを全文引用する。
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矢倉が集めたハマグリ類の殻の大きさと産地の分布に注目すると、今では地域絶滅している場所が多いこと、そしてハマグリA型(つまりハマグリ)の殻長が10センチを超える大きなものが全国に見られたことがわかる。

B型(チョウセンハマグリ)では日向産の殻長121.5mmが最大であったが、これは現在でも見つけるのが難しい大きさである。日向市平岩のハマグリ漁師さんと茨城県鹿島灘の貝桁網漁をする電脳漁師さんに120mm超の貝が採れたら知らせていただくという話になっているが、共にまだ出てこない。

矢倉の論文の基本的な問題は、結果的であるが、ごく大きい殻を選び出して比較したことである。浜井のデータの再解析結果から見て、大きくなるほど2種の殻の輪郭は似てくる。矢倉は結果をグラフで図解していないので、下に図示する。
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白抜きの菱形がA型(ハマグリ)で、塗りつぶしのがB型(チョウセンハマグリ)である。

殻の大きさ(殻長)を横軸にとって、殻高と殻幅の比の変化を見ると、地域的に大きくバラツクけれども全体として同じ幅の中で変動している。矢倉は比較のベースに殻高を分母にして比率を出したが、それで比較するとこのような結果が出て、数値で2種間の識別ができなくなる。

殻の長さを分母にして相対的な高さ(縦横比)を比較すれば、このデータでも2種の平均値で統計的に有意差が出る。しかし、データの重なりが大きくて、集団としては識別できるが個体ごとの識別には使えない。統計解析(平均値の差の検定で集団が異なっているかどうかを判定する)が日本で実用化されたのは戦後であり、矢倉の時代は、数量データの解析をもとに科学的な論議はできなかった。
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by beachmollusc | 2010-01-23 09:29 | Meretrix ハマグリ

一ツ葉幽霊道路沿いの離岸堤の運命

自動車運転免許証(1977年以来33年間無事故無違反、スーパーゴールド)の更新のついでに、久しぶりに一ツ葉海岸沿いの幽霊道路を走ってきました。昼間は明るいので幽霊は出ませんが、夜は車が走っていない暗い松の木に囲まれた、いかにも出そうな気味の悪い道路です。巨大な墓石のような建造物も見えます。

通行料金が安くなってもそれほど交通量が増えたとは思えません。なにしろ、肝心な大淀川を渡る路線と分断されてつながっていないし、内陸側に道路が数本平行に走っていて、この道路を走るメリットがあるのかどうか誰か役所に問い合わせて下さい。内陸の平行線県道のネック部分の殻幅工事が進められていますので、それが完成したら、さらに...無料にするべきですね。

海の景色が見える海岸道路を建設したつもりでしょうが、松が視界を遮り、松の無い場所では海岸侵食の景観が良く見える場所があります。パーキングエリアではもっと良く見えるかもしれませんが、離岸堤の現状写真を撮るために一時停車できるスペースを利用しました。
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写真の部分が建設されたのはごく最近でしたが、その経緯などの説明と現場の写真が下のファイルにあります。
http://www.qsr.mlit.go.jp/miyazaki/html/kasen/sskondan/setsumei/pdf/20070830.pdf

このような侵食が起こった直接の理由は簡単で、宮崎港の長大な防波堤という砂のたまり場を造ったから、その上流で移動・循環していた砂を堰き止めた結果でした。堆積する場所ができれば、有限な砂は別の場所で侵食となってバランスがとれます。
http://blog-imgs-11.fc2.com/m/i/y/miyamichi/20071128032452.png

侵食問題の間接的な理由は、一ツ葉道路を海岸の直近の砂丘だったところに建設したため、砂丘に溜まった砂が海に戻れば何とかなったのに、護岸で固めてしまったからです。つまり、防潮林と道路を守るために砂浜を犠牲にしたわけです。

次に、護岸を守るために沖に離岸堤を建設しています。南の一ツ葉海岸のマリーナや海水浴場の部分には古い離岸堤がありましたが、空中写真で経過を見たら、そこでは離岸堤が重量効果で沈んで消える前に堆積で埋もれて消えました。

パーキングエリアに近いところは傾斜誤岸、その沖に立派な離岸堤を作ったのです。この離岸堤は砂の中に埋没しないように、底に沈下防止用の特殊シートを敷いています。設計仕様では、恐らく数十年間は沈下しないことになっているはずです。ところが、強い台風も襲ってきていないのに昨年からズンズンと沈んでいるようです。役所の説明では設計ミスでも施工ミスでもないそうです。自然現象だから誰も責任はとりません。

たらいの中に水と砂を入れ、砂の上に小石を置いてから、たらいを軽く叩けば分かりますが、比重が大きい石は砂の中に沈みます。強い波浪や地震で離岸堤は砂の下に沈んでしまう運命が待ち受けているわけです。それを防ごうというのが沈下防止用の特殊シートというわけで、多分たっぷり特許料を含んで、ものすごい金額のはずです。離岸堤の建設コストがいくらだったかは突き止めていませんが、その中にシートが占める割合はかなり高いはずです。

さて、写真のように、はじめは綺麗な輪郭で建設された離岸堤が次第に変形して面白い造型となりました。来年くらいにはほとんどが沈んで潜堤となるでしょうが、その前に「かさ上げ」工事があるかもしれません。上にドンドン積み上げて、さらに沈みやすくするわけです。工事の受注者は笑いが止まらないでしょう。強力な台風が直撃するか、日向灘沖地震のマグニチュード7クラスで全体がバラバラになれば、災害復旧工事が待っています。

(参考)
アスファルトマットは、アスファルト合材の中に補強芯材と吊り上げ用ワイヤーロープを埋め込んで成型したもので、広く河川、海岸から海洋までの水理構造物に使用されています。
http://www.kaijyokouji.co.jp/ASweb/asmat.html
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by beachmollusc | 2010-01-21 19:55 | 海岸

矢倉和三郎による「貝覆い」の解説

1922年に刊行された矢倉和三郎著「趣味・研究 介類叢話」という本の復刻版が1994年に出版されている。定価がなんと22、000円(2200円ではありません):信じられないような値段であったが、昔悩んで神田の古書店から18、000円で購入したのが正しい決断だったと、今朝になって判明した。この本の最後に、探し回っていた矢倉の貝標本の行方が略歴の中に書いてあった。多分、「復刻に当たって」という扉の文章を書いた奥谷喬司さん(当時東京水産大学教授)が書いたような気がする。それが別の誰であったにしても、ここで深く感謝したい。

矢倉は、貝類ではなくて介類という言葉をわざわざ本の表題に使っている: malacologyではなく conchologyだと主張しているが、本を読めば生物学的、進化学的な興味と好奇心で突き動かされ、貝殻収集の趣味を超えて貝類の研究を独学で進めた様子が理解できる。特に日本産シジミ類の生物学は詳しい。

貝塚や貝貨、熨斗、螺鈿、真珠、そして貝類が中間宿主となる寄生虫症などについて、民族・歴史・考古学など貝類に関係するほとんどあらゆる事項を調べてまとめて記述するという離れ業をやっているのがすばらしい。その中にハマグリの殻を使って遊ぶ「貝覆い」についての詳細な解説があった。著作権はすでに時効だろうし、復刻版を見ることが出来る読者は少ないはずだから、その記述内容を埋もれさせないために、ここで貝覆いの部分を抽出して紹介したい。305-308頁の部分で、書き出しの1節は主題に関係ない事であったから省略した。
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この記述のおかげで、元禄時代の貝覆いに使われたハマグリは、大きさも色も特定のものが選ばれて使われ、さらに貝殻の外側表面の殻被が除去された事を知った。そのような貝殻を分類学の基準となる標本に使ったこと、それを後の研究者が容認したことには驚きあきれてしまう。conchologyとして貝殻のみを見て分類していた時代はともかく、生物学が学問として進んでmalacologyの時代になった19世紀後半にもこのような分類が無批判に受け継がれたことは不思議である。

{蛇足}

ハマグリの左右二枚の貝殻は別の貝のものと決して噛みあわない、というのは実際にやってみればわかるが嘘である。現実の世界は建前とは違うようで、貝塚出土の左右バラバラのハマグリの殻を時空を超えて再び合わせてみたらほぼ同じ大きさでは5%程度は違った相手の殻とかみ合ってしまうようである。

かみ合うピッタリの程度はいろいろであるが、ペアだと思ってしまうほど完璧なものも出てくるので油断できない。しかし、成長線を見比べれば、それぞれの貝の辿った履歴の差異が現れているので識別できる。

貝覆いでも成長線の個性が識別の目印になったはずである。冬の成長停滞の年輪や繁殖時の障害輪、そして一時的な撹乱(台風洪水など)の影響でできた様々な区切りの模様には個性が出ている。それが分かりにくいように、わざと殻の外側表面を磨いたのであろう。

貝塚の貝の多くは捨てられる前に一緒であった左右のペアが多かったはずである。発掘されて泥を洗い落とす過程でバラバラになる。考古学調査では左右を別々に仕分け、数を数えてレポートに書くが、その元のペアを復元するようなことは滅多にやっていない。考古学関係の論文や報告を見た範囲では、九州大学の小池教授が大昔に試みている。

小池さんは貝殻の成長線を読み取って貝塚出土のハマグリが食用にされた時代の環境を解析する古生物学の研究を進めていた。

貝殻からのメッセージ
http://www.cosmo-oil.co.jp/dagian/41/15.html

貝塚の中の二枚貝のペアの出方を指標にして貝層のまとまり具合を調べるようである。
Bivalve conjoin analyses: assessing site integrity
http://epress.anu.edu.au/terra_australis/ta24/pdf/ch05.pdf

上の論文の3頁目に下の論文が引用されていた。
Koike, H. (1979) Seasonal Dating and the Valve-pairing Technique in Shell-midden Analysis. Journal of Archaeological Science, 6:63-74

日本でも古生物・考古学で貝殻を扱う論文は色々出ているが、左右のペアの出現頻度に注目した研究は乏しい。
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by beachmollusc | 2010-01-20 09:18 | Meretrix ハマグリ

門川の庵川干潟

ハマグリの学名の謎にはまり込んでしまった脳みそを解凍するために潮干狩りに出かけました。

天気は快晴で冷え込みも弱まり、潮も適度に引いていたので門川の庵川西干潟を1時間ほど歩き回りました。生きている貝を見つけるつもりもなく、死んで大口を空けて転がっている貝がお目当てです。

標本交換や寄贈するための殻をそろえておく必要があるのも、出かけた理由です。

干潟では熱心に潮干狩りしている人たち5,6名の姿がありました。
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海藻類、スジアオノリやオゴノリ類などが繁茂していて、春が迫っているのがわかります。
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ハマグリの死殻で2枚がつながっていて付着生物が少なく綺麗なものを大小1ダースほど見つけました。
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大きな栗色の殻を最後に見つけてにんまりです。その写真は現場では撮っていません。

干潟には凧揚げの脱走者がいました。水に浸かってしまっていますが、玉に呪文で復活できるでしょうか。
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帰宅後、ミッキーと散歩していたら、奥野河川プールの駐車場に猛禽類の綺麗な死骸が転がっていました。すでに駐在さんが現場に来ていて、市役所の担当者を呼び出しているところでした。鳥インフルエンザの恐れもあるはずです。ワシタカの仲間を見慣れていないのと腹側を上に向けていたので種類が分かりません。
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死んだ二枚貝がひっくり返って転がっているのとは迫力が違います。
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by beachmollusc | 2010-01-19 19:10 | 海岸