beachmollusc ひむかのハマグリ


海辺の浅瀬は水産動物のこども達のゆりかごです
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海辺の自然を取り戻そう
 自然の恵みを後世に残すためには、その生態と環境を深く、よく知ることが基本です。

 海岸の浅瀬、干潟や砂浜は資源生物のゆりかごです。
しかし、それにおかまいなしに埋立てや海岸構造物の建設、水質汚染も加わって、日本中の水辺、海辺の環境は撹乱され、破壊されてしまいました。その結果、ハマグリなど干潟の動植物の多くが絶滅危惧種となっています。

 このブログでは、主に砂浜環境の保全を念頭において、日本各地の山、川、海の姿を調べて見てまわったこと、
そして2006年5月に移住した日向市の海辺と里山の様子や生き物などを紹介します。

このブログにリンクを張ることはご自由にどうぞ。

    - 自己紹介 -

大学院博士課程修了後7年間の海外での研究と28年余り大学教員をしていました。

海の無脊椎動物(貝、ヒトデ、サンゴ、クラゲなど)が専門、自称の学位は Doctor of
Underwater Marine Biology
(DUMB:バカセ)

楽観的な悲観論者または悲観的な楽観論者:生態的に無理をしている人類の滅亡は近いだろうが、それも自然の摂理じゃないのかな

せっかちな慎重派:ゆっくり
見極めて急いで集中的に
お仕事します

好きなもの:日本蕎麦が一番、パスタ・スパゲッティ、うどんもよし、つまりメンクイです

嫌いなもの:人混み、投棄ゴミ、マスゴミ、脳衰官僚

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石巻市横須賀海岸の松林と砂浜の消失

ひむかのハマグリ: 宮城県石巻市横須賀海岸の砂浜侵食 2008年9月18日
過去記事で下のようなコメントを残している。

<ひょっとすると、これから近いうちに起こる(と予想されている)1936年の同タイプの地震で地盤が隆起するかもしれない。もしそうなれば横須賀海岸は隆起して砂浜がめでたく復活するだろう。しかし、その時は海岸に建設されたコンクリート構造物が地震で砂の中に埋没したり、いろいろなことが起こるに違いない。>

3年前の予想は完全に覆って、今回の大地震と津波の後で横須賀海岸の砂浜(長面海水浴場)の砂浜とそれにつながっていた北上川(追波川)の河口のsand spit(砂嘴)が消滅した。

平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震による被災地の空中写真
http://saigai.gsi.go.jp/h23taiheiyo-ok/photo/photo_dj/index.html
石巻の海岸部については、3月19日に撮影された空中写真がオンラインで公開されている。その写真から横須賀海岸の様子を見て唖然とした。
http://jmc.gsi.sakura.ad.jp/h23taiheiyo-ok/photo/sanrikukaigan/thumb/C24/12087.jpg
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海岸地形の変化は「国土変遷アーカイブ」サイトの1990年の空中写真と

比べればわかる。
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=TO901X&courseno=C4&photono=15

下の写真は1975年撮影、国土地理院の
空中写真 CTO-75-26_c10_30
e0094349_20473493.jpg


大津波の被害を受けた北上川河口域と雄勝湾
投稿者: YomiuriShimbun | 作成日: 2011/03/15
http://www.youtube.com/watch?v=CQvLygKcc_k
大津波に襲われた宮城県石巻市の北上川河口域と、雄勝湾沿いの集落を15日、上空から撮影した。建物は破壊され、地図上は陸地となっている地域が広範囲に水没していた。雄勝湾には、大量の瓦礫が浮かんでいた=読売ヘリから 西部本社写真部 足立浩史撮影 2011年3月16日公開
http://www.yomiuri.co.jp/stream/

この海岸では明治と昭和の三陸沖地震津波を受け、さらに1960年のチリ地震津波の被害があったので海岸に松の防潮林を二重にしていた。その松林は全て消失し、後背地の住宅は破壊され農地は水没している。

松林の植林について下のような記録がある。

日本の川と災害(kasen.net)
黒松十万本植付記念碑
http://www.kasen.net/shore/04miyagi/nagatura/ishi.htm

浜の松老いて姿を整えて
数来る災害肌身で守らん

昭和二十八年より一万本宛
十年間約十万本植栽す


 昭和六十年一月建立
  宮城県海岸林長面保護組合長 木下政義記
(桃生郡河北町長面 鉱泉松原荘近く)

日本の海岸>宮城県の海岸>長面海岸
http://www.kasen.net/shore/04miyagi/nagatura/index.htm

津波ディジタルライブラリィのサイトには、三陸津波などの古文書がアーカイブされている。
http://tsunami.dbms.cs.gunma-u.ac.jp/TSUNAMI/TDL_top.html

この情報サイトには防潮林に関する実例として横須賀海岸(=長面海岸)に関する詳しい記録があるので、以下に引用する。

http://tsunami.dbms.cs.gunma-u.ac.jp/xml_tsunami/xmltext.php?info=93%20reportmetatab%20reportsectab

2.桃生郡河北町大川長面海岸林 

本地は追波湾に面し,追波川と長画浦との間に位置する海岸砂地造林地で林帯の巾員は70m内外で延長1粁余に及ぶクロマツ林である。林帯後方の部落は,農家20戸耕地30haを有する半農半漁の部落であるが,海岸砂地造林の実施に伴い内陸部へ砂の移動が防止されたため,昭和30年には約5haが開畑され,内約1haの開田が行われている。

事業は海岸砂地造林事業として昭和28年度より実施したが,砂地造林が進捗して次第に汀線に近くなったので,昭和32年度よりは前画に防浪柵編工を施工して波浪による砂地の移動を防止している。
昭和34年度までの実施面積は7.9haに達した。

今回の津波来襲を現地において,目撃した部落民の言による波高は2m位で,最前線にある防浪編柵を越えて前砂丘に押し寄せたが,この砂丘で津波の林内への侵入が防止された。
この事から考えると次のような効果が認められる。

(1)敷巾が広く砂草によって安定した人工砂丘は,波浪が天端を越流しなければ相当の波浪を防止することが出来る。但し天端が歩道等のため横断されている場合は其所が欠潰の原因になり易いので津波高汐の際に土俵等で補強を要する。

(2)砂丘の根固のため人工砂丘の脚部に施工する防浪編柵は人工砂丘の保護に効果がある。

第9図 長面海岸林見取図 其の 1
http://protea.dbms.cs.gunma-u.ac.jp/TSUNAMI/tsunami_data/chile93/image/chile93_039_a.jpg
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第10図 長面海岸と林横断図 其の 1
http://protea.dbms.cs.gunma-u.ac.jp/TSUNAMI/tsunami_data/chile93/image/chile93_039_b.jpg
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同じ資料から続いて引用する:

5. 今後の問題点 

(1) 技術上の問題点 

(1) 海岸線の変化について
石巻以南の海岸線は大体砂浜が次第に発達して,汀線が次笛に前進しつつあるが,部分的には河口の河川改修や人工突堤等の海岸構造登物によって,海岸が意外の侵蝕や堆砂を生じておるような現象も見られるので,この海岸前進の現象と相待って,之等の海岸線の変動を或る期間調査研究する必要があると考える。

(2) 防潮林の理想型について
防潮林は単木の集合体であり,その構造の如何が防潮機能に大なる影響を及ぼすのであるが,防潮林の理想型は如何なる型式のものが最も有効であるか,又その林帯巾は最小何程で最大は何程までかを科学的に説明したものはない。少くとも防潮機能を発揮する最小の巾と最も,経済効果の高い防潮林型の方式を考究して防潮林造成のため基準を示す必要があると思う。

以上のように、長面海岸の津波に対する防御のための防潮林の歴史的な経緯や設計について記録を見た。これら先人の防災に対する積み重ねを一瞬にして崩壊させた今回の大津波の破壊力を再認識しなければならない。

被災前の横須賀海岸周辺の様子をいくつかの動画でみることができる。

[V0310] 陸前10:北上川河口の長面海岸から長面浦を周遊
http://www.youtube.com/watch?v=tFpLvkJ0jrw

Nagatsura beach.今日の長面浜。
http://www.youtube.com/watch?v=mb9UKp6MnQA

To the beach of Nagatura(長面浜へ)
http://www.youtube.com/watch?v=B8UfnFuW0A8
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by beachmollusc | 2011-03-30 21:09 | 津波と地震

気仙沼市、大島の浦の浜と十八鳴浜

平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震による被災地の空中写真(評定図)
http://saigai.gsi.go.jp/h23taiheiyo-ok/photo/photo_dj/index.html

この写真と国土地理院がオンラインで公開している1977年撮影の空中写真を比較すると、大津波の被災地の海岸の様子、特に港や砂浜の変化を知ることができます。

気仙沼の大島の港周辺について写真の縮尺と方位を合わせて比べてみました。
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34年前の写真と並べてみると、浦の浜の港周辺では埋め立てが進んでいたこと、集落や農地が変化していたことがわかります。港の周辺が市街地になっていたのが大津波によって壊滅的になっています。

昔の津波の伝承で、遡上高度より下に家を建てて住まないように注意を促す石碑が三陸海岸一帯にあるそうです。海岸周辺の低地、特に埋立地は公園などにして、丘陵の斜面の農地を住居にしていたら被害状況は大幅に違っていたかもしれません。しかし、急斜面に家を建てて住むことは、がけ崩れの危険があることも難題でしょう。

このような美しい自然環境と景観に恵まれた島で暮す人々にとって、利便性と防災を両立させることの難しさが感じられます。

大島の鳴き砂の砂浜海岸は大津波で砂がさらわれて消えてしまったようです。
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この浜の砂は石英が主体であって、周辺の岩石(砂岩)の風化によって供給されていたものと思われました。

この砂浜が復活するかどうかの見通しですが、昔から繰り返し津波の影響を受けていて、それにもかかわらず消えていないことが今後の復活の期待につながります。どのくらい時間が掛かるかは予想できませんが、島の人々が生活を再建するのと歩調を合わせてくれるかもしれません。

国土変遷アーカイブのサイトをチェックしてみたら、気仙沼大島の空中写真を米軍が1947年に撮影していました。
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=USA&courseno=M638&photono=47

この写真はダウンロードできないのでコピーしていませんが、1947年当時の十八鳴浜は健在でした。昭和三陸大津波は1933年でしたから、その時砂浜が消えていたとしても、急速に復活したのかもしれません。

大島の田中浜も津波で砂浜が消えてしまっていますが、ここもいずれ回復するでしょう。
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しかし、せっかくの美しい自然の砂浜の上を埋め立てたことが信じられません。
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by beachmollusc | 2011-03-29 08:59 | 津波と地震

気仙沼の大島

気仙沼、大島の十八鳴浜については前に紹介しました。

beachmollusc  ひむかのハマグリ 3月5日 (現地から携帯写真で投稿)
十八鳴り浜 http://beachmollu.exblog.jp/14370449

気仙沼大島観光協会ホームページ
http://www.k-macs.ne.jp/~oshimahp/

この日は、小野寺さん(愛犬エルが一緒)と東北大の佐藤さんと3人と1匹連れで、佐藤さんの車に乗ってカーフェリーで大島に渡りました。その途中でカモメがフェリーの乗客から餌をもらっていました。

大島の集落はほとんどが海岸近くにあって津波に飲み込まれ、その後は気仙沼市と大島を連絡するフェリーが津波で使えなくなったそうです。報道によると、米軍の艦艇が島の住民に生活物資の補給支援をやっているようです。

大島では十八鳴浜の後で、亀山(標高235m)の展望所まで登りましたが、寒風が強かったので早々に退散し、帰りのフェリーまでの時間は港の食堂・みやげ物店で過ごしました。

お土産に買った椿油です。
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お店の人たちの安否が気がかりですが、お名前を知りません。

亀山の展望所で撮影した港付近、浦の浜の写真です。
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港の外には筏が一面に浮いていました。牡蠣の養殖の筏でしょうか。

港の反対側の田中浜方面を撮影した写真です。
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海岸近くの集落はほとんどが津波に飲み込まれたのではないかと思われます。

この島には「みちびき地蔵」の伝説があります。
まんが日本昔ばなし 「みちびき地蔵」
http://www.youtube.com/user/shurikens3
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by beachmollusc | 2011-03-28 21:06 | 津波と地震

深井戸の異変

日向市の山中にある住居の敷地内に、2007年夏に深井戸を大分県の専門業者に掘削してもらいました。
http://beachmollu.exblog.jp/6121938

深さは104.5mで、この地点の標高が50mプラスですから、最深部は海面より下に届いています。

水中ポンプが設置された深さは52mで、内径100mmの鋼管パイプの中からパイプのスリット(30mより下に断続的に配置)を通して入ってくる地下水を汲み上げています。

この地点の地層は、地表から2.3mまでが茶色の表土、6.1mまで赤色の粘土、その下は褐色の泥岩と粘板岩(頁岩)がほとんどでした。90mのところから下に厚さ4.7mの非常に硬い灰色の砂岩層がありました。

この近辺の地質図を見ると、四万十帯の日向層群の岩盤、すなわち深海底で堆積したシルト・粘土が固まってできたた「頁岩」が基盤となっています。つまり、この深井戸は不透水性の頁岩の中にできた数箇所のひび割れから湧き出ている地下水を採っています。

大地震のあった翌日、12日土曜日の午前中に、近所に住むトット君が友人達を連れて遊びに来てくれました。井戸水の異変に気がついたのはトット君です。透き通っていた井戸水が牛乳のような白濁状態になっていました。

トット君が12日に撮影したプラスチックコンテナの水です。水面に浮いている緑色は藻類です。
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ポンプから汲み上げた井戸水は2トンタンクに満たし、それを重力で水路に流していました。貯水タンクの水位が下がると、自動的にポンプを起動し、タンクが満杯で自動停止です。水路には常に流れている状態です。

地下水を流している水路の一部にトロ箱を置いて、カワニナやサカマキガイなどのホタル幼虫の餌を飼育していたトロ箱などが真っ白に見えます。

同じ状態は日曜日にも続いていたので、日向市の環境整備課のMさんにメールで異常事態を通報しました。Mさんは月曜日に保健所の人と一緒に来宅し、土曜日に汲んでおいた水と、濁りの程度がやや低下した新しく汲んだ水のサンプルを検査用に持ち帰りました。

昨日のメールで水質検査結果の報告を受け取りました。

             白濁水   やや白濁
pH            6.5     6.5
硬度(パックテスト)   50     50      以下単位はmg/L
アンモニア       <0.2     <0.2
硫化物         <0.1     <0.1
鉄            <0.2     <0.2
銅            <0.5     <0.5
亜鉛           0~0.5    0~0.5
りん酸          <0.05     <0.05
亜硝酸性窒素     0.05     0.02
硝酸性窒素       <1      <1
6価クロム        <0.05   <0.05

<参考> 飲料水(井戸水・地下水)水質検査
http://w-21.net/dron/water/kensa2.htm

今回の簡易検査の結果の範囲で特に異状はないようです。

pHが6.5と、やや酸性になっていますが、以前自分で計測した値は中性の7.0より高かったと記憶しています(水が酸性になるとカワニナなどの貝類の貝殻形成に影響が出る懸念があるため、チェックして安全を確認)。

濁ったままの水の中にいたオタマジャクシ(アカガエルが水路で産卵していた)やカワニナに異状が見られなかったので、水生生物に「直ちに悪影響を及ぼす」問題ではなかったということです。

白濁は次第に収まり、1週間経過後には元のような透明な水が汲み上げられています。

問題の白い濁りはコロイド状であって、汲み置いた後に2日経過しても上澄みもできなかったし、ほとんど沈殿しませんでした。その正体を検査してもらうことを期待していましたが、通常の「飲料水としての」簡易検査だけです。重金属汚染がないことがわかっただけでした。

そもそも透明だった地下水が一時的に白濁するということが、東日本の大地震の直後に(あるいは直前から起こっていて見過ごしていた可能性もある)見られたことは警戒すべき現象かもしれません。南海大地震の時に温泉水が白濁したという記録が残されているからです。

巨大地震の地震波が震源から遠距離に届くことはよく知られていますし、揺れがなくても場所によって何らかの影響を受けて地層境界での変化があってもおかしくないでしょう。そして地下水に変化が起こることも。

今のところ、井戸水の濁りと大地震との因果関係を考察できるような論理的な道筋は見つかっていませんが、偶然として片付けることは引っかかります。
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by beachmollusc | 2011-03-26 08:33 | 津波と地震

地層が訴えていた巨大津波の切迫性

砂浜海岸の環境保全に関連して地盤変動との関係情報を集めていた時、地質調査所(産業技術総合研究所)の宍倉さんと房総半島や九十九里浜の地盤変動のことで情報交換をしました。

宍倉さんは現在「活断層・地震研究センター 海溝型地震履歴研究チーム長」という肩書きで、サイエンス・ポータルで緊急寄稿を発信しています。

地層が訴えていた巨大津波の切迫性
http://scienceportal.jp/HotTopics/opinion/180.html

本文の一部を抜粋して引用:

仙台や石巻の平野に広がる田んぼで穴を掘ると、地表から深さ数十センチのところに厚さ数センチの砂の層が観察できる(図左)。これが過去の巨大津波を示す地層の証拠、津波堆積物である。津波堆積物は海底や海岸の砂礫(れき)が津波の営力によって内陸に運ばれて堆積し、地層として保存されたものである。つまり津波堆積物の分布を調べれば、過去の津波の浸水範囲を知ることができる。東北大学や筆者らの研究チームによるこれまでの地道な地質調査により、宮城県から福島県の沿岸各地で貞観地震の津波堆積物が発見され、その分布範囲は当時の海岸線から内陸約3~4 キロまで分布していることが分かっていた(図右)。つまり過去にも今回の地震と同様に、仙台や石巻の平野を一面浸水させるような規模の巨大津波が生じていたのである。

過去の巨大津波は貞観地震だけではない。貞観地震の津波堆積物よりさらに深く掘り進めると同様の地層の証拠が数層見つかる。巨大津波ははるか昔から繰り返し起こっていたのである。地層の積み重なりを丹念に調べ、各種の分析から津波の発生時期を検討した結果、その繰り返し間隔は約500~1000年間隔であることが解明された。貞観地震からの経過時間を考えると次の巨大津波はいつ来てもおかしくない状況にあったのだ。

(中略)

仙台や石巻の住民の方々は、1978年の宮城県沖地震(マグニチュード7.4)のような地震はよく記憶にとどめているが、この地震では津波被害が小さかった。このため地震の大きな揺れがあっても、その後に大きな津波が来るという意識はほとんどなかった。ましてや海岸から3~4 キロも離れた内陸部にいる人は、まさか自分のいるところまで津波が浸水してくるとは夢にも思わなかったであろう。われわれはその意識を少しでも変えようと、これまでも微力ながら努力してきたつもりである。かつて内陸奥まで浸水する津波があったという事実を一人でも多くの方々に伝えようと、津波浸水履歴図という地図を作成して、住民の方々に無料配布しようという計画も以前から進めていた。

しかしわれわれ研究者の思いは、うまく行政に伝わらないことも多かった。500~1000年に1回という地質学的な時間スケールのメガイベントは、行政もこれまで実感がなかったのである。2004年にインド洋沿岸に大きな津波被害をもたらしたスマトラ島沖地震(マグニチュード9.1)という例があってもそれは対岸の火事であった。筆者がかつてある地方自治体の防災担当者に巨大津波の可能性について説明した際には「お宅らの研究は迷惑だ」とさえ言われたこともある。だが実際に巨大津波が起こってしまった現在、行政だけでなく多くの国民が、今われわれが生きるこの時代にも地質学的なメガイベントが起こり得るのだということを理解していただけたと思う。


メガイベントの周期が1000年スケールの場合、人の一生で出会う確率は大変低いものです。しかし、周期性の根本になっているはずのプレート境界と周辺で何が起こっているのか、についての基礎研究を推進させる努力を求めるべきでしょう。

海底の地形図を見ると、海溝で沈み込んでいるプレートが上に乗せて一緒に動いている海底火山列の歴史が気になります。海底火山や海底堆積物の一部が海溝を乗り越えて大陸地殻の上に「付加体」として積み重なっていること、そして地下深く潜った部分で性状が変化しながら水分が遊離したり、火山活動を誘引したりするモデルができています。宍倉さんたちが行っている、地道な基礎研究と観測の積み重ねが必要です。

同じ著者の過去の記事は西日本の巨大地震と津波についての意見です。

東海・南海『連動型』巨大地震の発生予測
http://scienceportal.jp/HotTopics/opinion/83.html

今のところ、連動型地震が生じた時期の解明は完全ではないものの、BC(紀元前)300年ごろ、AD(西暦) 300年ごろ、1361年の正平地震などが明らかになっており、一番最近のものが宝永地震(1707年)で隆起した群集であることを確認している。400~600年間隔ということは、宝永地震から300年余り経た現在、早ければ次の地震が連動型の巨大地震となる可能性があるのだ。

これらの成果は、ハンマーを片手にひたすら海岸を歩き、地道な調査の積み重ねによって得られたものである。現在進行している事象を探るため、高価な観測器機の整備が進んでいるが、将来を推し量るためには、過去を知らなければならない。そのためには地形、地質のフィールドワークこそが最も効果的な方法なのだ。

しかし、残念ながら近年、フィールドワークが軽視され、大学でもフィールドサイエンスを志す学生が減少しているようである。資金や人材の不足により、大地震の将来予測において重要な「過去の情報を得る」という手段がなくなってしまうことが危惧(きぐ)される。今一度フィールドワークの重要性を再認識しなければならないだろう。

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by beachmollusc | 2011-03-25 21:32 | 津波と地震

放射線の測定値

マスゴミ報道を見ていて実情がさっぱりわからない場合は、信頼できる冷静な学者による、データについて科学的な分析を基にした見解と、内部事情に詳しい技術者が発信する情報を集めて自分なりに判断するしかありません。

データを集めている政府機関が色々な制約のために苦労しているのは理解できます。特に測定したい地点の多くの機器や通信ルートがつぶれている現状から、原発の内側もすぐ外側も、何がどうなっているのか誰にもよくわからない状況です。放射線量が変化しなくても煙が出ると逃げるという状況がそれを示しています。

原発から漏れ出た放射性物質による環境汚染は、最初の爆発ではじまっていたことは明らかです。その数値は出ていましたが、政府当局からは状況が客観的にわかるように説明できていません。大学の講義で一番苦労することはわかっていない相手に理解してもらうことです。それにはデータが見えるように工夫する必要があります。

北海道大学の進化生物学が専門の某科学者のブログは、原発関連の有益な情報発信を続けていますので見てください。

5号館のつぶやき: http://shinka3.exblog.jp/

公式発表データをグラフで視覚に訴えることで、これまでの経過と現状がかなりよくわかると思います。
http://www.exblog.jp/blog_logo.asp?slt=1&imgsrc=201103/23/15/c0025115_1744040.jpg

北風で、主に茨木県に向けてプリュームが拡散してきていることが良くわかります。農作物などの放射性物質汚染が検出されたのは、当然これによっています。隠し事をしてもデータが物語ってしまいます。

また、東京と埼玉でバックグラウンドから上昇(23日時点で、まだ全国の平常値の範囲以上にはなっていないが)開始したのが21日からでした。水源汚染が起こって検知されたのが、これを反映させたことがわかります。

米軍などがサッと退避した時、日本のマスゴミや御用学者連中は「過剰反応」であるかのごとき報道を続けていました。原発が危機的状況を脱していない間は最悪の事態を頭に入れておくことが必要でしょう。

これからの推移は原発の押さえ込みができるかどうかにかかっているので、現地の作業員などの決死の努力が実ることを祈ることだけです。
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by beachmollusc | 2011-03-24 07:58 | 日記

日本列島の上下地殻変動

日本の砂浜海岸の防災と環境保全について「地殻変動」が全く考慮されずにいることに気がついたのは最近になってからである。

潮汐や気圧変動など局所的で短時間の変化を除くと、ある地点の平均海水面の上下変化には、海水量の変化、つまり南極大陸などの陸上に固体(氷)として存在する水の量の変動(気候変動による)、そして大地が上下に動くことが重なっている。このような上下変化は長い年数を経過してからその影響が認識される。ただし、大地震に伴って一瞬の間に大きな変化が起こることが今回の東日本の大地震で誰の目にもわかるようになった。

日本全国で明治時代から国土地理院による測地観測が行われている。さらに、海岸では潮汐観測も続けられていて、その平均海水面変動から地殻の変動を読み取ることができる。最近では精度が高いGPSを利用したデータが得られるようになり、短期間の地殻変動をモニタリングできるようになった。

吉井敏尅 (2005) GPS観測による日本列島の最近の上下地殻変動
日本大学文理学部自然科学研究所 研究紀要 No. 40, 67-72.

http://www.chs.nihon-u.ac.jp/institute/nature/kiyou/2005/pdf/2_2.pdf
この論文は国土地理院による過去100年間の観測に基づいた変化と最近の変化を比較している。

地理院ホーム > 基準点・測地観測データ > 地殻変動情報
過去10年、100年の地殻変動
http://www.gsi.go.jp/CRUST-index.html

大地震の時には瞬時に大きな上下変動が起こるが、それだけでなく、ゆっくりとした変化(スロースリップ)が起こっていることも明らかにされている。こうした地盤の上下変動は、砂浜における海岸線の水平方向の移動に対して大きな影響を及ぼす。

熊木洋太: 日本列島の地震と地殻変動
http://www.gsi.go.jp/common/000024557.pdf

上の一般向けの論説に書かれている、わかりやすい具体例を紹介したい。

室戸岬付近の海岸の岩には,ヤッコカンザシという名のゴカイの一種が平均海面の高さに密集して棲み着いている。この生物は殻を作り,殻はヤッコカンザシが死んでもそのまま岩に付着して残っている。殻の密集帯は,現在の平均海面付近だけでなく,もっと高いところにもある。つまり,もともと平均海面の高さだったところが,隆起して現在はそれよりも高くなっているということを示している。最近,地形学者がその高さと形成年代を詳しく分析した。それによると,ヤッコカンザシの殻の高さは,南海地震とその間で室戸岬が1 ~ 2mの隆起・沈降を繰り返していることを反映して1 ~ 2m 程度上がったり下がったりしている。しかし,今から1000 年前頃に4 m程度,また今から2800 年前頃に2 ~ 3m 程度の急激な隆起があったことも判明した。つまり,南海地震はごくまれに室戸岬を大きく隆起させる地震となる,ということであり,上記の解釈2と合う。

室戸岬の地殻が上昇を続けてきた結果、海岸段丘が形成されているが、大地震で一気に隆起してからゆっくり沈降することを繰り返している。

砂浜海岸における防災のために全国的に防潮提や防潮林が造られれている。その工事の実態は必ずしもそれぞれの地域の気象や地球科学的な情報を元にしていない。今回の津波による被害が想定外だったように、我々は地球の営みをいまだによく理解していない。

科学的・合理的な海岸利用と防災のありかたを見直すべき時がやってきている。コンクリートで砂浜を固めることは愚の骨頂であり、砂浜に港湾などを建設すると砂の堆積の変動に苦しめられるだけでなく、時間の問題で破壊的な力が働く時がやってくるだろう。
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by beachmollusc | 2011-03-21 17:03 | 評論

陸前高田市の海岸変化

国土地理院などが、海岸が大津波の影響で地形変化したことを衛星写真で見せていますが、フランスのAFPサイトにも、それがはっきり見える写真があります。

AFPBBの提携ブログサイトでは直接引用できますが、ここEXCITEブログではできません。

URLでリンクしておきますので見てください。
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2791003/6961146

米画像衛星運営会社ジオアイ(GeoEye)が公開した、東北地方太平洋沖地震の前後の、岩手県陸前高田市付近の衛星写真。建物、自動車、インフラの壊滅的崩壊が分かる(左:震災前、右:2011年3月12日撮影)。(c)AFP/GeoEye satellite image

メンバー登録して拡大画像を見ました。海岸の河口付近にあった砂浜と防潮林などが消滅している様子が、気仙沼市、本吉町の津谷川付近の状況にとても良く似ています。

この場所で防潮提・護岸と防潮林に守られていたはずの運動公園の建物が消えています。

以下は推論です。

この地域はリアス海岸の谷間が基盤となっているようです。この谷間は川が運んできた土砂で埋立てられ、その結果、小さな海岸平野が造られ、砂浜ができていました。

海岸から沖合いの地形はおそらく谷間の延長です。つまり、岩礁性のリアス海岸の奥で津波が収束して高くなることと同じことが、この海岸の海底地形のために起こったかもしれません。言い換えれば、このような谷間の小さな平地は津波のリスクがより大きいと考えられます。

河口で堆積した土砂は、埋立地と同様ですから、強い地震で堆積物の粒子の間にある水分が締め出される現象が起こるはずです。埋立地の液状化、水の噴出現象と同様です。水が抜けると堆積物の容積が減って、地面が低下するでしょう。そして三陸沿岸では岩盤も沈下しているので、結果的に見れば、海水面が上昇したことと同じになって、陸地に海水が浸入してきたでしょう。さらに砂浜の砂は流動して運び去られて消えているようです。

日向市の沿岸部は、地形的には三陸海岸と同様であって、小さい沖積平野です。塩見川の河口にできた小さい平野の部分と細島のリアス海岸の奥に埋立地が広がっています。

日向市は(洪水・がけ崩れ)と津波に対する「ハザードマップ」をつくって配布しています。その津波浸水区域図は概ね妥当だろうと思いますが、多分、地震による堆積物と地殻の上下変化や海底地形の影響を考えていないでしょう。地図の上で等高線で単純に津波の波高をなぞっただろうと想像しています。また、基準とした過去の波高は実際に観測・記録された割合最近のデータによっていて、今回の三陸でのような「想定外」は想定していないはずです。

日向灘沖で想定外の大地震と津波が発生した場合にどうなるか、という点でマップを再点検するべきでしょう。
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by beachmollusc | 2011-03-20 12:10 | 津波と地震

集団疎開の受け入れ準備を進めるべき

宮崎県は太平洋戦当時に沖縄から疎開してきた大勢の児童を収容したと聞いています。

中山間地でもインフラとしての道路整備が進んでいて、ほとんどの場所から車で市街地まで1時間程度で行けます。働き手が市街部に移住し、あるいは大都会に移住して地域から児童生徒がいなくなり、多くの小学校が閉校においこまれてきました。

宮崎県に限らず、地方都市の近郊には近年閉校したばかりの学校が多数あります。

転用された、または閉校したばかりの学校施設が十分使えるだろうし、ホームステイで児童生徒を受け入れ可能な地域は多いはずです。また、家族で疎開して、住居と休耕農地を借りることができれば、少なくとも食料については自給的な生活が可能な場所がいくらでもあります。

日向市周辺では、田舎暮らしを求めて移住してきた家族もかなり見受けます。 それほど遠くない昔に開拓のために入植した人たちの集落も県内にあります。バブル時代に破綻した国営パイロット事業で整備された農地と道路網を復活させることも可能でしょう。

今回の震災・津波の避難民の中で、この際、長期間の疎開、あるいは移住して、適応できる人たちは多いかもしれません。その希望者の実態を把握し、受け入れ可能な場所を見つけ出し、その情報発信を準備することを地域のNPOなどが率先して進めるとよいと思います。移住者のケアや情報提供が重要になるはずです。

原発が危機状態にある福島県の難民の長期的な受け入れ先のことも考えておかねばなりません。

市町村レベルの地方行政には財政的な余裕がありませんから、受け入れの手を上げるのをためらうかもしれません。そこで、国のプログラムとして法を整備し、疎開・移住の態勢を早急に整えるべきでしょう。

国として遊休農地の借り上げ、一定期間無償で貸し付けるようにし、閉校された学校を復活させ、それを核にした疎開集落を設計するとよいかと思います。単独でバラバラに移住するよりも、被災集落の中で気心が知れている仲間を集めて集団疎開すると、助け合いながら生活しやすいかもしれません。

宮崎県では早期耕作の水稲のため、水田の準備がすでに始まっています。

学校は春休みに入るし、疎開、移住が実行しやすい時期であることが救いです。
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by beachmollusc | 2011-03-19 20:22 | 評論

大谷海岸の状況

2週間前に訪問した大谷海岸、小・中学校などの状況を、現地の小野寺さんから電話で聞くことができました。大谷地区ではまだ携帯電話が通じませんが、たまたま出先で通話可能域を移動中の小野寺さんにつながりました。わずかな時間の通話でしたが、皆さんの無事が判明して一安心です。

大谷海岸付近の人的被害は(周辺他所と比べて)比較的少なく、授業を聞いてくれた生徒さんたちは家に戻っていた何人かを別にして無事だったそうです。海岸は空中写真で見たとおり、壊滅的です。プチロクの建物が写真に見えなかったわけです。
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by beachmollusc | 2011-03-19 10:10 | 津波と地震